『思い出のマーニー』を見ました。
正直、意味が分からないと思った。
メッセージを伝えたいのならもっとわかりやすくしないと伝わらない。
途中からは少し引き込まれたけれど、展開が意味不明すぎて残念。
無条件に愛してくれる人がいるから、自分は自由にしていいんだということですかね
ただ、ネットを見ていると思うところはあった。
(自分の中で感想がまとまらないうちにネットを見て答えを探してしまうのは悪い癖だ)
「自己肯定」と「自己受容」について書いている人がいた。
「自己肯定」では、頑張っている自分を認めるということだから、頑張れない自分はダメということになってしまう、
一方で「自己受容」は、そのままの自分を受け入れるということだ、と。
太っちょ豚ちゃんが
「普通のフリをしても無駄。
だって、あんたは“あんたの通り”に見えているんだから。」
というシーン。
何気に非常に印象的。
前から思っていたけれど、みんな普通になんかなれないのです。
「普通」なんて存在しない。
自分が変だな~、あの子は良いな、誰とでも仲良くできる普通の子で、と思っても、その子が普通であるわけではないのです。
みんな、ちょっとおかしくて、それが個性であり、ちがって当たり前、つまり「普通」ということなのです。
だから、人のまねではない、自分らしい生き方をするしかないということです。
話がずれてしまいましたが、
ありのままの自分を受け入れること、自己受容は、成長するうえで重要なことだと思います。
客観的に自分をとらえることで、進むべき道も見えると思っています。
しかしなのです。
私は自己受容に甘えたくない。
悩みもがくなかで、自己受容の重要性は強く感じましたが、どうしても、ありのままでいいやというのは弱い人間の思考だと思ってしまうのです。
だからこそ今現在も、理想と現実との差に苦しみ、自分が好きになれず悩んでいるのですが、やはり私としては、理想を追いたい。
もちろん、自分ならではの長所にも気づいていますよ、
理想を追うばかりが幸せではないとわかる。
しかし、「ありのままでいいよ」っていうのは、自分が受け入れられない、弱った状態のときにかけてもらう言葉であり、
高みを目指すには「もっと、もっと」の精神が必要だと思うのです。
ま、私は一時期非常に弱っていたから、「ありのままでいいよ」が実際必要だったのですがね。
うむ、つまるところ、自分はどっちを目指したらよいのかわからないのです
おそらく、「ありのままで、少し無理をする」、というのがベストなのですかね。
私は「自己肯定」ばかりに気を取られていたから、
頑張れない自分が情けないという思考に陥っていたのだということは理解できました。
しかし、人間頑張らなくちゃダメでしょう。。
うむ。。
ちなみに、ジブリでは『千と千尋の神隠し』が大好きです。
物事の解釈をたてることは、好きでもあり、ゴネゴネするのは面倒でもあるのですが、筒井康隆著『旅のラゴス』は解釈をしたなと思い出しました。