昔、まだ幼かった頃
母はよく、しもやけを作った。
父のこだわりで
お客さんが立ち止まって手にとりやすいようにと
私の実家の店には
戸やガラスがなかった。
だから冬の店に1日いるのは
女性の母にとっては重労働だったろう。
よく、店が終わったあと、母はしもやけの治療をしていた。
私は、1日のほとんどを、店の奥の住居スペースで
人形遊びをして過ごしていて
夜の少しの時間の母との時間が大好きだった。
その時間に母が辛そうに、しもやけの治療をしているから
本当に可哀想になって、よく
「大丈夫?痛い?」と母の顔を覗きこんでは言っていた。
若かった父は、店と嫁姑とに1日板挟みになり
息抜きに毎晩、飲みに行って、いなかった。
父に急用ができた時は
二・三軒飲み屋を回って探すよう
よく母に遣いに出された。
母はよく泣いていた。
田舎から町に嫁に来て、
慣れない風習や町衆の嫁さんたちの、
目に見えない競争や嫉妬にさらされ
1日姑と一緒に商売をして
夜は遅くまで夜なべをして
父がいない家で、子育てと家事をこなして。
明るくマイペースな母だからこそ
耐えられたに違いない。
そんな母が小さい私に
「お前がなあ、大丈夫って言ってくれるのが、お母ちゃん一番嬉しいねんで」
と一言、言ったのが今でも忘れられない。
あの時の母を支えていたのは
私達2人の成長だったに違いない。
母親になれたからこそ、本当の意味でわかる、昔の母の気持ちなのかもしれない。
母はよく、しもやけを作った。
父のこだわりで
お客さんが立ち止まって手にとりやすいようにと
私の実家の店には
戸やガラスがなかった。
だから冬の店に1日いるのは
女性の母にとっては重労働だったろう。
よく、店が終わったあと、母はしもやけの治療をしていた。
私は、1日のほとんどを、店の奥の住居スペースで
人形遊びをして過ごしていて
夜の少しの時間の母との時間が大好きだった。
その時間に母が辛そうに、しもやけの治療をしているから
本当に可哀想になって、よく
「大丈夫?痛い?」と母の顔を覗きこんでは言っていた。
若かった父は、店と嫁姑とに1日板挟みになり
息抜きに毎晩、飲みに行って、いなかった。
父に急用ができた時は
二・三軒飲み屋を回って探すよう
よく母に遣いに出された。
母はよく泣いていた。
田舎から町に嫁に来て、
慣れない風習や町衆の嫁さんたちの、
目に見えない競争や嫉妬にさらされ
1日姑と一緒に商売をして
夜は遅くまで夜なべをして
父がいない家で、子育てと家事をこなして。
明るくマイペースな母だからこそ
耐えられたに違いない。
そんな母が小さい私に
「お前がなあ、大丈夫って言ってくれるのが、お母ちゃん一番嬉しいねんで」
と一言、言ったのが今でも忘れられない。
あの時の母を支えていたのは
私達2人の成長だったに違いない。
母親になれたからこそ、本当の意味でわかる、昔の母の気持ちなのかもしれない。
