昔、まだ幼かった頃
母はよく、しもやけを作った。

父のこだわりで
お客さんが立ち止まって手にとりやすいようにと
私の実家の店には
戸やガラスがなかった。

だから冬の店に1日いるのは
女性の母にとっては重労働だったろう。

よく、店が終わったあと、母はしもやけの治療をしていた。
私は、1日のほとんどを、店の奥の住居スペースで
人形遊びをして過ごしていて
夜の少しの時間の母との時間が大好きだった。

その時間に母が辛そうに、しもやけの治療をしているから
本当に可哀想になって、よく
「大丈夫?痛い?」と母の顔を覗きこんでは言っていた。

若かった父は、店と嫁姑とに1日板挟みになり
息抜きに毎晩、飲みに行って、いなかった。

父に急用ができた時は
二・三軒飲み屋を回って探すよう
よく母に遣いに出された。

母はよく泣いていた。

田舎から町に嫁に来て、
慣れない風習や町衆の嫁さんたちの、
目に見えない競争や嫉妬にさらされ
1日姑と一緒に商売をして
夜は遅くまで夜なべをして
父がいない家で、子育てと家事をこなして。

明るくマイペースな母だからこそ
耐えられたに違いない。

そんな母が小さい私に
「お前がなあ、大丈夫って言ってくれるのが、お母ちゃん一番嬉しいねんで」
と一言、言ったのが今でも忘れられない。


あの時の母を支えていたのは
私達2人の成長だったに違いない。


母親になれたからこそ、本当の意味でわかる、昔の母の気持ちなのかもしれない。
とうとう娘から
そろそろ個室にして欲しいと
言われました。

自分の空間が欲しくなったのね。
成長してるんだなあ。


息子が野球に行ってる間に
3人で模様替えをし、娘は大喜び。
気持ち良さそう。


そうそう。
この日のために、母は、間取り、学習机、ベッドなどなど選んできたのよ。

どうだ!ピッタリでしょ。

風通し良く、日当たりも良く、
私達の子供の頃から考えると大違いな住環境。


でも、狭いと言いながら、みんなで仲良く寝るのも楽しかった。

狭いには狭いの楽しさもありました。
楽しかった期間。


これからは旦那と2人部屋で、ある意味、お互い緊張(笑)

子供が独立したら、子供部屋もらっちゃおうハート
2才の娘を連れ、お腹に息子を身ごもった身体で
夫と共に、今の自治体に来てから10年。

裕福ではなかったけど
お金では得られない充実感と幸せを
沢山、沢山、得られた。

一生、こうして、忙しく貧乏ながら
何も望まず、慎ましく、
夫と共にしていくのだと
働けるうちは頑張って働いて
身の丈に合った自由だけはある暮らしを
していくと、夫の実家を出たとき
そう覚悟を決め生きてきた。


今、私の実家の親が予想より早く衰え始めて
覚悟をしなおさなければならない時期にさしかかった。

兄達も、親のことは気にしているようだ。

どうしたいか、兄達の気持ちも
聞かなくてはいけないが
私が実家を継ぐか、兄達が継ぐかで、役目も変わってくる。

どちらになっても、夫は、私に恩返しをしたいと言ってくれている。

それが私に、
何があっても揺るがないで受け止めようという
強さをくれている。
2人で子供を自立させ、慎ましく暮らすもよし、
実家を継いで、親を看取り、先祖代々の資産を預かり、地元に根付くもよし。


夫がいてくれたから、どんな困難も乗り越えられてきた。

だから、これからも大丈夫。

つくづく、幸せな10年だったと思う。
何があっても、揺らがない夫との大切な絆を作って来られたから。

上司にも親の事情を話し、
制度を最大限使うことになるかもしれないが
出来るだけ仕事に支障を出さないようにして
続けていきたいと話したら
例え一時的に休んでも、あなたは高いスキルを持っていて
代わりはいないから
待ってでも会社は手放さない。
細々休んでも、任された仕事に穴を開ける人でもないし
早めに相談してくれる人だとわかっているから
心配せず、そのまま安心して働きなさいと言ってくれた。

母は商売に明け暮れ、祖母を看取り、父を介護しながら、したいことがやっと出来る年代になったのに
今、病気になり、人生を思うと、
母の前では泣けないけど、一人になると泣けてくると話すと
コーヒーを奢ってくれながら
お互いに大切に思えあえる人が周りにいるあなたもお母さんも、
それは、何よりきっと幸せな人生だよと、上司は慰めてくれた。

理解してくれる人がいる環境が本当にありがたいし
10年、信用や実績をコツコツ積み重ねてきて、良かったと思う。

努力は報われる。