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やっぱり一人は辛いやー(´`)

胃に優しい料理するために色々献立立てて、昨日買いだめしに行ったわけだけど、ご飯時になると急に体調が悪くなって本末転倒だわわ○| ̄|_
一人暮らしってこう言う時が一番辛いのだとわかったよん。

でもあんま話もできないから音楽聴いたりしてかなりノーストレスな生活を送ってるのだけどo(^o^)o

にしても、私を置いてった親の親切心のなさ。
冷蔵庫の中身。
サーモン賞味期限半月前だし、人参花はえてるしきゅうりは黴びてるし。
じゃがいもと玉ねぎ位しかないの(笑)
なのにきゅうりはまだ5、6本あるし・・・

カップラーメンあればいいと思ったのか、やけに沢山あるのだけど、味濃いの怖くて食べれないし。

とりあえず柔らかいものと思ってヨーグルトや果物、かぼちゃ、じゃがいも、さつまいもをとろとろにして攻めておりまする。


親まじ恨むわ(-_-)
楽しいこと、素晴らしい人にあった一方ですごく考えさせられたことも多かったタンザニアの旅。

まずは、アフリカの国々って、負の遺産だったり、産業構造だったり、厳しい自然環境だったりして貧困に直面していて、そこから豊かさを求めて発展をしようとしている訳だけど、この国にとっての発展ってどんな形何だろうと思った。
だって街を見てても、
$(´・ω・)mon Dieu!

これが、アメリカや日本のような近代化してしまう姿なんて見たくないし、そもそも目指してないはず。
しかも市場は人々で活気づいてて(確かに靴屋の隣が果物屋やいも売ってるのにその隣がSIMカード売っててその隣がかばん屋で隣が野菜とかでこの無秩序さは改善した方がいいと思うけど)、子どもも親に大切にされているなという場面を多々見たし、人々は十分幸せに見えたよ。
数年後たってこの国がどういう形で発展の姿を見せていくのか、絶対見に行きたい!

今回教育に携わって、すごく壁にぶつかった。
というのもその1つは、そもそもNGO団体と小学校の問題なんだけど、協力体制なさすぎて、毎回どの学年のどのクラスを教えるのが行かないとわからないし、その子達の習熟度レベル知るすべがないし、1クラス推定80人以上?いるし( ̄ー ̄;

$(´・ω・)mon Dieu!

という結構ひどい状況で。1クラス2~3人で教えるんだけど、もうどうしようもないことをずっと嘆いても仕方ないから毎日毎日探り探り試行錯誤しながら授業したんだよね・・・。
日本から、ある程度これやろうって決めてたり、「次の日までに覚えておこうね」みたいなこと初日やってたのに次の日行って困惑。
出来るだけのことはやったつもりだけど、その時どうしていたらベストだったのか、今でもわからないんだ。

まず、学校に子どもが溢れかえっていて、教室が足りないから、例えば月曜午前は5年生で、午後は6年生、火曜の午前は7年生~、みたいな感じでどんどんシフトしていく形になっているから、毎日同じ生徒教えられないのなんて思えば当然だったんだよね(・_・;)

衝撃的だったのは、午前中にペンキ塗りしているときに子どもが教室にきてって頼みに来て、
「授業中なはずなのになんで?」って聞いてみると、「理科の授業中なのだけど、先生がこないんだ」
って、「どこにいるの?」-「職員室で朝ご飯食べてるの」
え?って感じだよね。
私たちのこんな探り探りの英語の授業だってどうして先生にすごく歓迎されるのか訳がわかる。

公立の小学校の教師のお給料はとても低くて、私立の教師が小遣い稼ぎのためバイトで雇われている人が多いんだって。だからやっぱり先生のモチベーションややる気もとても低くて、エクササイズだけ与えてクラス放置したり、(80人もいたら全員に能力差とか把握できないって物理的理由もあるけども)いい加減がまかり通ってる。
話聞いてもそもそも小学校の英語の教師の英語が訛りすぎてて聞き取れないし、こんな先生で生徒が英語上達するとはとてもじゃないけど思えない( p_q)
各学年の達成到達度とかどうきめてるのかなぁ・・・。

とにかく悲しかった。毎日やりきれなかった。
子どもたちに少しでも使える英語を、って何か残したくて来たのに。
子どもたちの無垢な笑顔がまたそんな想いを倍増させていたよ。
でも、その子達はこの先海外に出れるかわからないし、たくさん来た外人にすごく喜んでくれてその経験だけでもせめて楽しかった思い出として彼らの人生に何か喜びを与えられたならいいけどな。
毎日小学校から施設への帰り道でね、気付くといつも誰かが私の手をとって一緒に歩いてくれて、時には大名行列みたいになってたりして、歌を歌ったりして帰る道がすごく幸せだったよ。
そのまま持って帰ってきたかったくらい。
$(´・ω・)mon Dieu!

日本では高齢化が進んで、介護に携わる人の福利厚生が良くなくて人が足りない状況。
タンザニアでは子どもは多いし、教育に携わる人の福利厚生が良くなくて人が足りない。
なんだか全く逆だね( ´(ェ)`)

こういう身をもって感じたことのおかげで、じゃあ日本の教育制度は、他の国の教育制度は、また介護制度や保障、少しここには関係ないけど、「焼畑」ってなんだろうとかいっろいろ調べたい知的好奇心が刺激されっぱなし。
教育への興味も深まった。
課題はこの経験を振り返って今後の自分の人生にどう生かすか、引き続き親を始めとしてどうやって社会への貢献やお返しをするか。答えを探していきたいと思いますφ(.. )

マサイ族のまねー
$(´・ω・)mon Dieu!百聞は一見にしかずなり
(終)
私の人生の中でかなり大きなイベントであり、貴重な体験となったアフリカ。
気がつけば出発でわたわたしていた時期からもう一か月経とうとしている( ゜∋゜)はやいなあ

22日に無事帰国し、何をしていたかというと。
次の日には部活への復帰を果たしたとこまでは良かったのだけれどその後、
ひたすら胃痛に悩まされて体力がだんだん落ちていき、気付けば9月(ノ_-。)

両親は29日からハワイコオリナに行っちゃって、一方私は楽しみにしてた隅田川の花火にも行けず、
昨日胃内視鏡のんだところ軽い胃炎ですた(´□`。)
結局原因は何だかよくわからないままなのですが、これは時間をかけなければ治らないらしくて。
逆に言えば、ゆっくり休んで栄養摂ったら治るってことだし変なウイルスじゃなくてよかったーーー(´□`。)
とにかくね、内視鏡が怖くて怖くて、宣告された時から半泣きだったから看護婦のおばちゃんが
めっちゃ優しくてそれにも泣きそうになった(笑) にしても麻酔ってすごいのね。
何にも覚えてないもん。

こんなことは良しとして。

$(´・ω・)mon Dieu!

タンザニアはどんなところって気になる方も多いと思います。
$(´・ω・)mon Dieu!
茶色いところはケニアだからねo(^-^)o その下(笑)

私もその一人だったけども、行った印象は「活力」と「pole pole(ゆっくりゆっくり)」精神に満ちた素敵な国。
市場の人々や学校の子ども、若い子と話してもそんな感じがしたよ。
タンザニアは日本の2.5倍の大きさで、話す言葉はスワヒリ語(jambo!Habari,my name is Mukamiってやつ、ケニアの。)と英語。宗教はイスラム教とキリスト教。
南半球に位置するので、季節は冬。 っていうのを現地で知った(笑)なんか夜寒いと思ったんだよね、

昔はドイツの植民地⇒イギリスの植民地で、海沿いだったこともあり奴隷貿易とダウ船で有名な香辛料貿易が盛んだった。英国植民地時代に連れてこられた名残でインド人が多くいて、大体店のオーナーはインド人たちだったり、と未だに割と権力を持っているところ。
人々の一番の足となるバス(ダラダラという)はほぼ100パーセント日本製。たまに見る自家用車も日本車。$(´・ω・)mon Dieu!
日本との貿易は中古車輸入っていうのがみてわかる。ほんとに絶対キャパオーバーだろうって位人乗せちゃうし、もはやドア外れてるし、そこまで使ってくれていてなんだかじんとくるものがある(笑)

現地での活動のテーマは教育。
タンザニアは、アフリカの中でも発展をしている方。でも病気・教育・貧困っていう大きな3つの問題を抱えている。私が参加したNGO団体はこの3つの柱を少しでも良くしていこうっていうもの。

プログラムの内容は、
朝:近くの小学校に行って教室の壁のはがれてるペンキを塗りなおして、子どもの勉強意欲を始めとする教育環境を整えること
午後:子どもたちに英語を教える/子どもと校庭で遊ぶ
時々、都市の大学や中学校に訪問に行ったり、地元の学生や、政府の日本で言う文科省の大臣さんを
施設に招いて、人権、男女平等、病気などのグループに分かれてワークショップをしたり。

ボランティア参加者は全国から。スペイン、イタリア、ドイツ、フランス、ギリシャ、オーストリア、スイス、ベルギー、アメリカ、カナダ、韓国、日本、そしてタンザニア本土からもでわいわい共同生活しながら国際交流できたのもすごく楽しかった(-^□^-)

そして、プログラムが終わって帰国まで2日程あったから向こうで一緒だったスペイン、イタリア、韓国の友だちと小旅行を企画して。
本島からフェリーで2時間くらいのザ・観光地のザンジバル島というところ。
$(´・ω・)mon Dieu!
海もきれいだし、香辛料を巡るスパイスツアーも楽しかったしご飯も美味しかったし満足(^O^)*


と、概要はここまでにして次からはいくつか思ったことを。