もう15年ですか。
毎年書いてる訳ではないです。
何回か当時の事を書いてます。
同じ内容のつもりですが
読み返している訳ではないので
多少違っているかもしれません。
リブログもあえてしません。
今日も当時の体験した事を書きます。
2011年3月11日
14時46分
相手先からの依頼で書類をコピーしてました。
当時は7階か10階(ここは記憶があいまい)のオフィスにいて、ビルの上のほうは特に揺れるそうで
ユラ〜ユラ〜と、大きく揺れました。
コピー機のすぐ後ろにこのようなオフィス用の書庫があり、
写真お借りしました
誰かが、「離れろ!」って言ったんだけど
私はコピー機にしがみついてて、その場にいるしかなかったです😰
少しして揺れがおさまったので
ようやく身を低くして自分の席に戻りました。
休暇を取っていた同僚の椅子があっちの方に移動してました💦
その時は仕事優先で
早く書類をFAXしなくてはと思って
相手先にFAXを送りました。
するとすぐにメールが来て
いつものお決まりのビジネスメールではなく
「今、凄い揺れましたね大丈夫でしたか?」
と来ました。
いつもお堅い方なので親近感が湧いたのを
覚えてます。
家は、大丈夫かな
まめ🐈⬛はどうしたかな
と心配しながら
電車が止まってる事など知らずに
仕事をしてました。
定時の17時になり
家に帰れない事を知りました。
現在は危険なのですぐに家に帰らない決まりになりましたが、当時はこのような事態になったらどの部署が陣頭指揮をとるのか決まってなかったので
誰からも何も言われず、自分の判断で帰れないから会社にいてもいいよね?的な感じでした。
テレビでは、東北の津波のニュースが流れてて
窓から外を見ると駅に向かう沢山の人が歩いているのが見えました。
メールは繋がらないし
携帯の電池は少なくなるし
ジュンスは帰れたのか(日本に来てた)
余震の続く中、不安でいっぱいでした。
当然、毛布なども無く
食事も無く、
誰かがオニギリとか買ってきたのか←ここは全く記憶がないです。
会社で一夜を過ごしました。
翌朝は土曜日で仕事はありません
7時には会社から追い出されました。
電車は間引き運転でしたが動いてました。
寒い中ずっと電車を待ってました
でも凄い人でなかなか乗れませんでした。
東京メトロやJRを乗り継いで
やっと三分の一くらいまで来たら
行き先変更されて、この先の運行は無いとの事で
下ろされました。
同じ方面の同僚と居たんですが
ここから歩いてみようと言う事になり
線路伝いに歩き始めました。
街中では人が立っていて
色々な方面の矢印が書いてあり
沢山の人がそれを見て家路に向かったのだろうと思いました。
私の場合、県境の長い橋を渡らなければなりません。
橋は見えるけどなかなか着けず
ずーと遠回りしてやっと橋のたもとに辿り着いて
橋を渡っている時、食事もしてない飲み物もない。寝不足だし、すごく疲れたと感じました。
時刻は15時頃で
日も傾いて来ました。
たったひと駅歩いただけでしたが
私は歩くのはやめて、ホームに居ました。
同僚も居ました。
今日中に帰れるだろうかとか
この先どうしようとか
そのような事すら考えられないほど
憔悴しきってました。
どのくらいホームに居たか忘れましたが
電車の運行が始まりました。
しかも最寄り駅まで行きます。
それで
ようやく家に着くことが出来ました。
家に着いたのは何時頃か忘れましたが
旦那も帰ってきて家の中は片付いてました。
旦那は地震当日に歩いて帰ってきたそうです。
私よりずっと近いからね
橋も渡らないし。
まめ🐈⬛は探しても居なくて
見つけた時は本棚の本の隙間に居たそうです。
ご飯も食べないしトイレもしなかったらしいです。
怖かっただろうな、一人で可哀想に😢
地震の揺れがちょうど
食器棚やタンスの向きから横揺れだったようで
食器は多少割れたんですが、食器棚のガラスも割れなかったし食器もそんなに散乱してなかったそうです。
もし、棚に対して縦に揺れてたら
固定もしてないので食器棚ごと倒れて
タンスもおそらく倒れテレビも倒れ
家の中は大惨事になってたと思います。
上に置いてあった物は全部落ちてたそうです。
私のものはそのままにしてありました。
自分で片付けたいだろうとの事です。
それでいいのです。
当日の記憶はここまでです。
こうして思い起こして書いてみると
ところどころ記憶が薄れてますね。
どうでもいい所は忘れてる。
大変だったところだけ覚えてる。
怖かった、大変だった記憶さえあれば
いいのです。
忘れないことが大切だと思います。
14時46分に黙とうしました
人ごとでは無い災害でした。
行方不明の方が一人でも
みつかりますように。。。
そして早く復活しますように。。。

