
秀吉の天下統一事業で、最後のおおいくさが、小田原征伐。
総勢約20万もの大軍が、北条氏の本拠地・小田原城を囲みます。
これだけの大軍勢の遠征ですから、兵站(へいたん)がとても重要になってきます。なにせ、これだけの大軍勢ですから、食糧の確保だけでもたいへんですよね。
『腹が減っては、いくさはできぬ!』ってな感じで
とにかくこの戦場の後方にあって、前線の部隊のために、鉄砲の玉などの軍需品から、兵士たちの食糧、そして馬などの補充などの確保が
戦においては、勝敗を決するほどに重要なんですね。
当時は兵站(へいたん)という言葉はなかったとは思いますが、この
後方支援ができる能力を持ち合わせていたのが、石田三成になります。
この後方支援=兵站に問われる能力というのは、まず計算能力が問われるし、戦いの現場で何が不足し、どういう状況下で戦われるかなどの想像力も問われるし、あらゆる場面設定を思い浮かべながらも、軍勢が滞りなく現地で戦えるように持っていくのが仕事なわけです。
なので、この大役をそつなくこなす石田三成の能力は、秀吉にはなくてはならない人材であったわけです。
この細かいところまで気づくことができる三成は、その後の豊臣政権内でも、秀吉に重宝がられ、秀吉の代理として自分の意にそぐわない役もやらなければならなかったわけですが、特に秀吉の晩年の朝鮮出兵は、石田三成と武断派と言われる加藤清正らとの決定的な対立を生むことになるのですが、
秀吉本人が生きている間は、大丈夫だったのですが……。
とにかく、石田三成は裏方として今までは、実績を積み上げてきて
小田原征伐の時に、秀吉の親ごころとして、
『三成に戦闘指揮官としても、やれるんだぞ』という実績つまり
箔(はく)をつけさせるために、忍城攻めに抜擢したのですが
かえって石田三成は戦下手というレッテルを貼られる結果となってしまいます。しかし、知恵者でもある三成は
この失敗をどうしたか?
つまり自分の欠点でもある戦下手を補う人材を登用したんですね。
その人材とは、みなさんご存じの知勇兼備の鬼左近こと島清興(しまきよおき)なる人物です。
さすがに転んでもただではおきませんね。
そんな、石田三成の忍城攻めについてシェアできたらと思います。
すこし前置きが長くなりましたが
いきましょう!
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