そう、考えてみれば、この世界が想像を超えたものであれ、レックスは肌の色を気にしたことが全くなかった。
それは、今までこの世界で見た肌の色が全て”悠斗”の常識の範囲内だったということ。
例えばレックス自身の肌。
元の世界で言えば、どちらかというと、少し焼けているが白色人種のものに近い。
アビルなどはまさに白人の綺麗な白磁の肌を持っている。
例えばイェルクの肌。こちらもかなり太陽に焼けているが、彼の肌は黄色人種に近いものが見て取れる。
レックスのいるキャンプには様々な肌の色が存在する。
だがそれは全て、悠斗の元の世界に存在することのある色のみだったのだ。彼らが例え悠斗のいる世界を訪ねようと、見た目のみなら難なく溶け込むことができるであろう。
(でも、この子は…)
レックスは、目の前に立つ小さな少年をじっと見据える。
襟足の伸びて所々白っぽく汚れた紺色の髪。
生気みなぎる若葉色の、____角度によっては金にも見える瞳。
固く結んだ色の薄い唇。
汚れた、灰褐色の肌。
身には布一枚纏っていなかった。
あばらの浮き出た身体が、厭に痛々しい。
少年もまたレックスをじっと見ていたが、やがて諦めたように、ふてくされたようにぷいと目線を逸らした。
少年がそっぽ向いた勢いで、ジャラ…と再びあの金属音がして、やっとレックスはその音の原因を目で理解することができた。
少年の、首に重く結びついた首枷。その鎖は骨ばった背中を伝い、壁に固く繋がっていた。
折れそうに細い足首にはずっしりと重そうな足枷は、少年の微細な動きに鉄の不穏な音を鳴らす。
壁に結ばれた黒い鉄鎖は、全体重をかけたとしても取れそうには見えない。
捕まってるんだ
信じがたいことに
この店に。
レックスは、自分の歩いてきた方向、店の入り口の方をふっと振り返る。
自然と暖かく、少し木の香りがする店内。
先ほどまでそこにいた、朗らかな、よく笑う女将店主。
レックスは、腹から込み上げる悪寒に体を固くした。
囚われの少年はもうこちらを見ることはなく、ジャラジャラと鎖を鳴らしながら部屋の端に行くと、その角に膝を抱えて座り込んだ。
「きみ…」
レックスが、少年に声を掛けかけたときだった。
天井から、誰かの歩く音が低く聞こえてきたのだ。
その音は徐々に近くなったり遠くなったり、ときに真上を通った。
レックスは慌てて部屋の出口に足を忍ばせた。細かいガラクタが足元で邪魔をした。
部屋を出る寸前、一瞬だけ、少年の方を振り向いた。
一番足の動きを邪魔したのは、罪悪感。
いいのか
このままで
しかし今のレックスに何ができるでもなく、ただ少年の重たげな鉄枷を見て、一人顔を歪めただけだった。
レックスは逃げるように目をそらした。
扉を閉める直前、背後からピュイッとまたあの口笛が聞こえた。振り返りはしなかった。
吊るされたランプの煌々と灯るろうそくがふっと消えた。
そして慌ただしく扉が閉まる。
その部屋は再び、暗闇に包まれた。
人知れず少年は、その骨張った膝を抱えた。
*
レックスは大急ぎで階段の下まで歩き、上に向けて声をかけた。
動き回って響き鳴ってしまった鎧の音を、誤魔化したかったからだ。
「…ぉ、おかみさーん、いますかー?」
震える声しか出ずとも、それをできる限り張って、レックスは階段の上に呼びかける。
レックスが声を掛けてからほどなくして、先ほどから上で響いていた足音が徐々に近づいてくる。
そして、階段の上にひょっこりと現れた彼女は、レックスを下に見ると「あらあらあらー」と言って自分のエプロンをよけながら、階段を降りてくる。
「ごめんなさいねぇ、お決まりかしら?」
「えっと、こっちのやつ、なんですけど…」
早鐘を打つ心臓。
額に流れる冷や汗。
適当に手に取った時計は、どんな形だったかよく覚えていない。
「これが、気になってるんですけど、僕の持っているお金で足りますか?」
レックスは、腰に下げた麻袋の中身が彼女に見えるように広げた。
小手の中で震える手先は彼女には見えない。
どれどれ、と彼女はその袋を見ると、まぁ、と小さく声を漏らしたあと、人の良い笑みをレックスに向けた。
「ぜーんぜん大丈夫よ。その小さい金貨1枚で足りるわ。お買い上げね?」
彼女は太った首を傾げる。
手持ちのお金で足りるというのはわかったが、決定させるような彼女の口ぶりにレックスはたじろぐ。
「あー、どうしようかな。えっと…その、一応他の店も見て来てから、決めたいな、と思ってまして…」
その女は眉をへの字に曲げて笑う。
「あらぁ、そうなの。…まあいろいろ見てみて、やっぱりこれがいい、ってなったらまた来てくださいね」
はい、とそう言って、その優しそうな笑顔を、レックスはふいに見返した。
目の前のこの女があの少年を鎖で繋いでいるとはにわかに信じがたい。
「このお店…おかあさん一人でやってるんですか?」
「ううん、旦那と二人でやってるの」
女は相変わらず陽気に答える。
「ああ、そうなんだ。いや、いい店だなぁと思って。…じゃあ、また来ます」
レックスが口上に登らせた適当なお世辞にも女は笑顔で手を振る。
「ありがとねぇ」
レックスは踵を返した。
あるかないかもわからない視線に背中を強張らせ、できるだけ自然な歩き方を努め、通りを歩いていく。
そのままあの時計屋が見えないところまで充分に歩き距離をとって、ふいに足を止める。
変わらず賑やかな人波の中、彼は振り返った。
もう黒と金の洒落た看板はとうに見えなかった。
レックスは再び前を向き、がむしゃらに、それでも一応次の時計屋方面____通りの南側に向かって歩き出した。
一体、あの少年は何だったのだろう。
野生の獣のような雰囲気を纏った少年。
生気のない灰色の肌に、生気みなぎる金若葉色の瞳。
2度っきり聞こえた妙な口笛の音は、彼が吹いていたのだろうか。
ろうそくの火がいきなり灯ったのは?
部屋が妙に蒸し暑かったのは?
レックスは角を曲がる。
衝撃と、残された大量の疑問と、
それに、多くの後悔が、彼の足を速める。
見ず知らずとはいえ鎖につながれ何日も物を食べてないであろう子供を、自分の身の安全のためだけに、置き去りにしてしまったのだ…とレックスは今になり自責に暮れる。
(あんな、暗く蒸した部屋に)
レックスはまた、角を曲がる。
そして、やっと右手に見えた時計のシンボルのついた扉を見てため息を吐いた。
扉にぶら下がった木の看板に黒く書いてある文字は読めない。
だが、蜘蛛の巣と埃にまみれたその人の気配のない店内を見れば、その店が営業などやっていけるわけがないのは、文字を見ずとも分かる。
レックスが扉の取手に手をかけると、取手はあっけなく外れてしまい、閉め切ったその戸を引くことはできなかった。
外れてしまった錆びたアンティーク調の取手を、扉の前の石畳に供え物のように置くと、レックスはそこを立ち去った。
(あとは北東の端、か…)
重い足取り、3つ目の店へ彼は向かう。
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