私が小学校3・4年生くらいのこと

父と母がケンカし

父が母に土下座をしている姿を目の当たりにした

母は椅子に座り、脚を組んで

涙を拭いていた

「離婚する」と言った母に

許しを請う父

 

子ども心に

「離婚しちゃうのか」

と思い、あることを考えた

 

「私はどっちに付いていくべきなのか?」

 

答えはすぐに出た

父親だ

母は専業主婦で

結婚してから十年以上、外で働いていない

私たち姉妹を連れて

どう暮らせるだろう?

どんな苦しい暮らしが待っているんだろう?

 

私は「お姉ちゃん」だから

妹たちに辛い思いをさせたくないと

父親に付いていけば

一人分の食い扶持が減って

母も少しは楽になるだろう

そう考えていた

 

もし今の世の中のように

一人親に手厚い支援があったとしても

私は父親を選んだろう

 

本当に当時離婚していたとしたら

母はきっと

私を連れて行かなかったと思う

私は母に嫌われている

当時もよく当たられていた

 

親の気持ちになれば分かるんだろう

でも

そのために親になる気はない

小学校1年で

平仮名をカタカナを書き直すという宿題があった

 

「シャツ」

 

自分で言うのもなんだが

私は結構、色々と遅れていて

ソとンの違いも含めて

ちゃんと理解できるようになったのは

中学校に入ってからだった

 

この「ツ」と「シ」の違いが分からず

当時の私は、父親に教えてくれるよう頼んだ

父親が教えてくれた通りに記入し

宿題を提出した結果

なんと

「ツャシ」

になってしまい×

 

「パパに教えてもらったのに…」

と、意気消沈して帰った

その夜

父親に、宿題が間違っていたことを告げると

 

「なんで俺に聞くんだよ!」

「俺が悪いのか?!」

「(お前が)ちゃんと教わってこないのが悪いんだろ!」

 

ショックだった

教えてもらったことが間違っていたことは勿論

聞いたこと自体が悪いと言われたこと

自分の父親はカタカナがちゃんと書けないこと

それだけのことで、怒鳴られたこと

 

いつの頃からか

父親は罰として、私たちに正座をさせるようになった

足が痺れて辛くても

泣いて許しを乞うても

フローリングの上で

何分も何十分も

時には、邪魔だと足蹴にされながら

それが普通なのだと、信じて疑わなかった

 

子どもの生きる世界の狭さは、時に残酷だと思う

三十数年前

当時、お互いに三十代で晩婚だった父と母

 

私は二人の第一子・長女として生まれた

 

私が小学校に上がる頃までは

優しい人たちだったと思う

正直、あまり覚えていない

優しく大切に育てられたというより

気分で当たられ、粗雑に育てられたという方が

自分の中でしっくりくる

 

忘れられないエピソードがある

 

私の小学校入学式

正門前の入学式の立看板の前で、それは起こった

 

当時、私は父親と写真を撮るのが、既に嫌だった

写真を撮られるのも、好きではなかった

大勢の前で注目されるのが嫌いで、単に恥ずかしかったのだ

 

なのに、それを察することも、理解することも出来ず

分かろうともしてくれなかった父親に

写真を撮るから笑えと怒鳴られ、写真にも怒号にも、嫌で泣く私

入学式早々から地獄絵図

 

三十年前の話なのに

いまだにそれをネチネチと責められる

 

その入学式以降

私と父親の中で

段々と積もっていくあれこれ

私は

こんな人にはなりたくないと思いながら

日々似ていく自分に

嫌悪感しか持てずにいる