先日、父の四十九日法要を執り行いました。
自宅での法要後、お墓で納骨して、その後は会食。
すべて問題なく無事に終えることができました。
………とお伝えしたいところなんだけど、、、
僕の浅はかなところがあり、会食で行き届かない場面がありました。
その結果、参列いただいた方に不快な想いをさせてしまいました。
それでも大抵の方からは何も言われなかったのですが、ある方から…
「もし、あなたのお父さんが生きてたら、今のはきっと怒ってたよ。」
とお叱りを受けました。
どうも僕は昔から考えが浅はかで、失敗からしか学べないところがあるので、お叱りを受けるのも仕方ない。
「失敗したけれど次はちゃんとすればいい」と思うことができたのだけど、
しかし……この
「もし、お父さんが生きてたら…」
この言葉……実はかなり落ち込みました。
ふいに「悲しみスイッチ」を他人に押されたような…そんな印象でした。
言われて初めてこの言葉のつらさに気がつきました。
だって……
お父さんはもう生きていないんだよ。
死んじゃったんだよ。
ついさっき納骨したところなんだよ。
「もし」って何だよ。
「もし」も何も、どうやったって生き返ってこないんだよ。
「もし」なんてあり得ないんだよ。
お経を100回唱えようが、1000回唱えようが、死んだ人間は生き返らないんだよ。
「もし」って言うならお父さんを生き返らせてよ。
あんたはイタコか。
自分の意見は自分の意見として言えばいいじゃないか。
「死人に口無し」をいいことに、自分の意見を父の意見にすり替えるなよ!
…………。
……と、言いたいところをグッと堪えて
「すみません、おっしゃる通りです。」と、静かに頭を下げた。
父の死から四十九日がたち、どうにかその現実を受け入れようとしている僕にとっては、正直かなり酷な言葉でした。
どうかこの言葉を遺族に投げつけないで欲しい。
今、これを言っていいのは僕と母だけだ。
そんなこともあり会食ではいろんな方々に気を遣いっぱなしで、本当に疲れた。
まさに、気疲れ、とはこのことだろう、と言った感じ。
自宅に帰り、優しく微笑む父の遺影を見て、思わず涙が出た。
父は最期まで僕に優しかったんだよ。
死んだ人間はどうやったって生き返らない。
それは紛れも無い現実なんだ。
「もし、お父さんが生きてたら…」
この言葉自体はよくある一言だけどこんなにも無神経な言葉だとは考えてもみなかった。
遺族になってこの言葉を投げつけられて初めて気がつきました。
僕は多分、人には言ったことがないとは思うけど、あまりこの言葉の重みを意識していなかった。
あーくそ。
なんだよ。
めっちゃさみしくなってしまったじゃないか。