むぎちゃんー膀胱括約筋障害の子猫のこと

むぎちゃんー膀胱括約筋障害の子猫のこと

里親になった子猫には膀胱括約筋に問題がありました。

それ以外は本当にやんちゃで甘えん坊でかわいいのに!
飼い続けることは不可能。
でも時間とともに情は増すばかり。

そんな子猫との3ヵ月間の生活と
毎日揺れ動く心中の葛藤を綴ります。

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むぎと別れて約2ヵ月経った今、

うちには生後ちょうど5ヵ月目のLULUが居ます。

 

むぎと別れたときにむぎは6ヵ月になろうとしていたので、

LULUは最後の蜜月の頃のむぎとちょうど同じくらいの月齢です。

 

 

LULUは何代にも渡って人間に飼いやすいよう改良された愛玩動物なので

ほとんど鳴きませんし、噛んだり、ひっかいたり、いたずらもあまりしませんし、

動きもおとなしく、あまり走り回ったりもしません。

 

「お風呂もおとなしく入りますよ」

というのは違ってましたが、

比較的大人しく爪を切らせてくれるので

私の体中の傷もなくなりました。

 

だから同じ猫でも、むぎとは全然違う生き物を飼っているようで、

そのかわいさはむぎを更新することなく、

全く別のような気がしています。

 

でも、大島弓子の「グーグーだって猫である」の映画で

小泉今日子が

 

「二度目の猫は

前の猫の分まで大事にされるから得ですね~♪.」

 

と言うセリフがありましたが、それは本当にその通りで、

今LULUちゃんをかわいがるとき、

いつもむぎちゃんのことまで想ってかわいがっている気がします。

 

むぎちゃんがおちびりするがゆえに泣く泣く禁止していた

テーブルに乗ったり、一緒に布団に入ったり、要求されればすぐに抱っこしたりを

思う存分LULUには許してしまうのでした。

 

 

 

その後吉田さんからは2回

むぎちゃんがさかりがついてくねくねしながら鳴いている動画と

吉田さんのご主人の背中に乗って甘えている写真が送られてきて

本当に幸せそうでした。

 

おもらしも気にならない程度しかしないそうで、

 

むぎちゃんは吉田さんのところに帰りたくて

訴えていたのかもしれない。

それなのに、私たちのエゴで

引き留めてしまっていただけなのかもしれない。

 

と思えるようになりました。

 

 

正直、むぎを返すことは

私にとっては自分が身を切るように寂しかったのと同時に、

飼いたい猫を飼い続けることもできない無力感と敗北感に打ちのめされ、

始めたばかりの独身生活が間違った方向に進んでいるかのような

そんな気にさえなっていたのかもしれません。

 

むぎを飼えなかった自分の不甲斐なさ喪失感を昇華するために、

そしてむぎと過ごした大切な3ヵ月を忘れないために

最初は書くのさえつらくなかなか進みませんでしたが、

どうしてもこのブログを書いておきたかったのです。

 

 

 

最後まで読んでいただき、

ありがとうございました!

 

LULUの写真はこちらに時々投稿しています→

よかったらこちらもご覧ください。

 

むぎのいない家はあまりにも静かでした

 

 

帰り着いたのは夜でしたが、

とにかく何かしていないとめそめそしてしまいそうだったので、

夜中まで徹底的に掃除をし続けました。

 

 

次の日も、むぎがいたずらするので片づけていたカーテンを元に戻したり

あきらめていた観葉植物を買いに行ったり、

ちょっとでも隙を作るとめそめそしそうだったので、

やたらと動き回っていました。

 

(めそめそしてる暇はない!

次の週末には買った子猫を迎えないといけないんだから

準備しなくちゃ!)

 

と前向きに、前向きに。

 

 

むぎちゃんが使っていたものは、

ほとんどがおもらしで使い物にならなくなって捨てましたが、

キャットタワーの下半分だけはきれいだったので、

上にDIYで乗るところを作ってみたり。

 

 

トイレもきれいだったので洗って天日干ししたり、

おもちゃを新調するためにあちこち探して買いに行ったり、

ブリーダーさんに指定されたカリカリをネットで探したり…。

 

 

3日後に元親の吉田さんからむぎちゃんの

兄弟猫に奪われながらもおずおずとごはんを食べる動画が届いたときには、

さすがに泣いてしまいましたが、

今思えば、むぎちゃんを返す直前よりめそめそしていなかった気がします。

 

 

そして、ついにその日はやって来てしまいました…

 

 

母の希望通り、母の運転で元親さんのところに連れていくことになっていて

その日は朝から母が来るのを待っていましたが、

約束の正午の時間を過ぎても来ないのです。

 

 

電話してみると、、なんと、まだ家に居ました。

「昨日確認の電話がなかったから」という理由で。

 

 

それからさらに待つことしばらく、

そろそろ来てもいい時間になっても来ないので再度電話すると、

父が

「ついさっき出たよ」

「……」

 

 

その後しばらく経ってやっとうちに到着したので、

その日も体調不良で寝込んでいる吉田さんを数時間既に待たせていることもあり、

うちにも上げず、すぐにむぎを乗せて車で吉田邸に向かいました。

 

 

むぎが車に乗るのはうちに来て以来の2度目。

むぎは車に乗ったとたんに後部座席の娘の膝の上で、

大音量で鳴き続けていました。

 

 

母曰く

「もう夕方の混む時間になっちゃったからね~。

渋滞避けた裏道で行こうかね」

 

 

30分もあれば着くはずだったのに、

車はなぜかうちと実家の間にある吉田邸を大回りして実家の近所をぐるりと回り、

2時間近くかかって吉田邸の近くまで着いたときには

娘もむぎも車酔いですっかりぐったりしていました。

 

 

車中では、今返しに行こうとしているところなのに、

 

「昔は子猫が生まれたらすぐに川に流しに生きよったけどね。

今は保健所も殺処分してくれんけんね。

うちに居ったマチゾウ(実家で飼っていた猫)が老衰になった時には

いくら頼んでも安楽死はしてくれんかったけど、

この猫は理由が理由やけん、

病院に連れて行けば安楽死にしてくれるんやないかね。」

 

とまだむぎを殺す話を

「もう今元親さんのところに返しに行きよっちゃけん

その話はせんでもいいやん!」

と私が怒鳴るまでし続けてました。

 

 

吉田さんは体調が悪いにもかかわらず出迎えてくださり、

「大丈夫!安心してお任せください!」

と言ってくださいました。

 

 

もうこれでむぎに会うことは多分二度とないんだなぁと思うと、

泣けて泣けて…娘と2人でしくしく泣いているのを、

母はぎょっとして見ていました。

 

 

母にとって猫はもちろん、自分の子どもも孫も

自分の人生を飾るための添え物でしかなく、

自分の思い通りにしてよい所有物でしかないので

そんなもののために涙を流す人を理解できなくても仕方ないです。

 

今回も母の思い通りに厄介払いできて

さぞかし満足だったことでしょう。

 

 

私と娘はそこで母と別れ、

公共交通機関を使ってもうむぎのいない家に帰って行ったのでした。