むぎと別れて約2ヵ月経った今、
うちには生後ちょうど5ヵ月目のLULUが居ます。
むぎと別れたときにむぎは6ヵ月になろうとしていたので、
LULUは最後の蜜月の頃のむぎとちょうど同じくらいの月齢です。
LULUは何代にも渡って人間に飼いやすいよう改良された愛玩動物なので
ほとんど鳴きませんし、噛んだり、ひっかいたり、いたずらもあまりしませんし、
動きもおとなしく、あまり走り回ったりもしません。
「お風呂もおとなしく入りますよ」
というのは違ってましたが、
比較的大人しく爪を切らせてくれるので
私の体中の傷もなくなりました。
だから同じ猫でも、むぎとは全然違う生き物を飼っているようで、
そのかわいさはむぎを更新することなく、
全く別のような気がしています。
でも、大島弓子の「グーグーだって猫である」の映画で
小泉今日子が
「二度目の猫は
前の猫の分まで大事にされるから得ですね~♪.」
と言うセリフがありましたが、それは本当にその通りで、
今LULUちゃんをかわいがるとき、
いつもむぎちゃんのことまで想ってかわいがっている気がします。
むぎちゃんがおちびりするがゆえに泣く泣く禁止していた
テーブルに乗ったり、一緒に布団に入ったり、要求されればすぐに抱っこしたりを
思う存分LULUには許してしまうのでした。
その後吉田さんからは2回
むぎちゃんがさかりがついてくねくねしながら鳴いている動画と
吉田さんのご主人の背中に乗って甘えている写真が送られてきて
本当に幸せそうでした。
おもらしも気にならない程度しかしないそうで、
むぎちゃんは吉田さんのところに帰りたくて
訴えていたのかもしれない。
それなのに、私たちのエゴで
引き留めてしまっていただけなのかもしれない。
と思えるようになりました。
正直、むぎを返すことは
私にとっては自分が身を切るように寂しかったのと同時に、
飼いたい猫を飼い続けることもできない無力感と敗北感に打ちのめされ、
始めたばかりの独身生活が間違った方向に進んでいるかのような
そんな気にさえなっていたのかもしれません。
むぎを飼えなかった自分の不甲斐なさ喪失感を昇華するために、
そしてむぎと過ごした大切な3ヵ月を忘れないために
最初は書くのさえつらくなかなか進みませんでしたが、
どうしてもこのブログを書いておきたかったのです。
最後まで読んでいただき、
ありがとうございました!
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