この真夏日は溜まった洗濯物を一掃するチャンス。
洗濯機を稼働させたものの、夕方にも関わらず、湿っている・・・
日当たりの問題もあるが、湿度が高いせいだと思う。
結局室内干しのハメに・・・
この真夏日は溜まった洗濯物を一掃するチャンス。
洗濯機を稼働させたものの、夕方にも関わらず、湿っている・・・
日当たりの問題もあるが、湿度が高いせいだと思う。
結局室内干しのハメに・・・
午前中は監査で市役所、午後は鎌倉へとバタバタとした一日でしたが、
その締めの行事は、野村横須賀市議の納涼会がソレイユの丘で行われました。
出席者の多さには圧倒・・・。
市の規模が大きいだけでない、支持される魅力の賜物です!!
当日は葉山の土佐町議と参加。
土佐町議の周りには人が集まる魅力の持ち主。
政治家には光るものを持っているか否かによって、大きな差が生じる気がしました。
星のように、自身で光を放つ星、太陽の光で輝く星。
テレビ朝日 スーパーモーニングの取材を受けました。
逗子市議選を受けて、みんなの党の躍進についての取材です。
予定では4月8日08:30~ 僅かな時間でも映るかもしれませんので、
お知らせいたします。
3月28日に行われた市議会議員選挙で2,371票を頂き、当選することが
出来ました。
身に余る結果を受け、喜びを超え、重さを感じるほどの責任を感じました。
この結果は、今の政治に対する不満と不安が、みんなの党に期待を
寄せたものとして受け止め、
しっかりと期待に報いて、今後の活動の励みにします。
これからもご支援を宜しくお願いいたします!!
ついに明日がやってくる。
あと2年、あと1年、あと100日とカウントダウンを行い、焦りが膨らむと
同時に、自分の意志がより一層ハッキリと日に日に明確化してきました。
4年前にはこれやあれをやりますというのが、市議会議員の仕事と
思っていましたが、一期4年間勤めて分かったことは、
議会はチェック機関である。これをしっかりと果たすことであると。
市長側の提案権のより、議会が審査をし判断する。
ムダ・ムラをそこに見つけたら修正や否決をすること。
しかし、議員の多くは行政に対して、問題提起しながらも結果は頷き、予算に賛成している。
僕も恥かしながら『常識なんだ』『仕方ない』と流れに飲まれそうなことも
あった。
しかし、このままではいけない。
この不況は世界に影響を及ぼしたが、回復は国によって格差が大きい。
その判断は国民であり、市民であり、最終的には政治家がそれを動かす。
日本の現状を招いた責任は大いに政治家にあると考えます。
企業や家計が大変苦しい思いをして何とかやり繰りをして日々を
生活している中、
政治家は同様の苦しみを分かち合ってきただろうか。
YESとは言えない。
企業は資産売却・配置転換、家庭は節約と切り詰めているが政治家は
何を切り詰めてきたのか。
行政や官僚にたいしてムダ・ムラを削れと言う前に、政治のムダを削らなければならない。政治のムダとは議員の数です。
議員の適正人数とは定義が定かではないが、企業では市議を取締役に例えると、逗子市の同様規模で3~5名が妥当ではないでしょうか。20名を抱えていれば潰れてしまうだろう。
議会と民間を性質が違うとはいえ、あまりにも多すぎる。
逗子市の規模なら“議員は半分以下にすべき”と思う。
これは多くの市民の方が思い、私も気持の隅で存在していた思いであります。
まずは失われた政治への信頼を取り戻すには、政治家自らが身を切る姿勢を示すべきです。
そうした姿勢を示してこそ、ゼロスタートに立てると思います。
今晩、逗子駅前で街頭演説を行っていたところ、ホットコーヒーの
差入れがありました!!
雪が降りしきる中、マイクを通じて訴えていたしたが、この寒さに震えていた
ところを見兼ねてか、少し年上の男性が近寄ってきました。
手を差し出してきたのでチラシを渡したと同時に、コーヒーを
差し出してくれました。
瞬間、『震えました』。
なんて優しい表情で『ガンバって!』と、一言の振る舞いと缶の温もりが
身に滲みました。
その方は送迎の車に戻り、別れ際にまた一言残し、その場を走り去った。
頂いた思いを受け止め、迷った時には今日を思い出し、初心を抱き続けていきます。
ありがとうございました。
市議会議員として、4年間の任期が来月の初旬で終わります。
一区切りのいま、今までの人生を思い返しました。
振り返れば、政治家になっていたな~。
幼稚園時代には友人とゴミを散らかして大ケガをして、小学生には
ボーイスカウトで恥ずかしがりながらも福祉活動を体験をして過ごしてました。
僕の時代には1年生にファミコンが普及し始め、当時5年生に大ヒットした
ドラクエ3にハマる。
主には、自転車で走り、ドッチや秘密基地設置に夢中の小学生でした。
中学では勉強が大大の苦手で部活動に熱中し、仲間と共に駆けずり回り、
先輩には体育会系を体に叩き込まれ、小さな社会がそこにはありました。
高校は男子校で応援団で夏の高校野球にエールを送って熱い時を
過ごしました。
大学時代にはバイトを始め、ファミレスキッチン・コンビニ・イベント警備・携帯販売と、収入を得る喜びを学び、そのお金で海外へ単独旅行へ行くのが目標でした。
無事卒業し、就職難の時代に何とか証券会社に就職。
営業職の新人の定め、新規開拓に大苦戦し、帰宅後部屋でスーツのまま
朝を迎えることはよくありました・・・。
当時の支店長や先輩に大変お世話になりました。
この場でお礼を『その節は大変お世話になりました。今、あの時がなければ
今の自分はありません。ありがとうございました!』
証券マンは人生の大切なお金のアドバイザー。ITバブル後で不景気でしたが、無理な営業はせず嵐が過ぎ去るのを待ち、お客様に辛抱強くお付き合いいただいていました。
仕事を通して人の役に立てる喜びを再び再認識しました。
それが今につながっていると思います。
この続きはまた後日に。