ねぶた最終日

そこそこ雨が強い

今日は昼運行だ

 

中止だろうか

ねぶたは多少の雨はビニールで覆って運行する

少し滲んだようなねぶたも味があるものだ

 

夜は受賞したねぶたの海上運行だ

青森花火大会も同時開催だ

花火に送られてねぶたは海に放たれる

 

精霊流しのようにねぶたもそれと共に乗船した人々ももう帰っては来ない

(うそです。ちゃんと帰ってきます)

青森県はねぶた・ねぷたが多い

 

青森市だけが海上運行を行う

五所川原立佞武多と弘前ねぷたでは時折、燃やすことでねぶたを送る

ねぶたが終わると青森は雪に覆われる

 

ワケはないのだが、皮膚感覚ではそうである

ねぶたが終わったなあとボーッとしていると気付くと雪かきに追われるのだ

お盆からハロウィンまでの記憶なんてどこに行ってしまっている

 

甘いものは別腹と言う

秋の記憶は別の脳に記憶されるような気がする

盆踊りや紅葉の行楽の記憶は何故かその時だけのものだ

 

青森の人は冬が無ければ、雪が積もらなければどれだけ楽かを常に思う

だからと言って、冬だけ沖縄で暮らすとかは考えてはいてもやる人は少ない

お金が無いというのもある

 

でも、冬を耐えることで夏が楽しいのだという思いも少しはある気がする

太宰とか文学者が津軽を描く

あえて美化しない津軽も描かれる

 

そこにあるのは本当の憎しみではない

故郷を憎ければ描かない

甘えのような近親憎悪のような複雑な思いを青森県人特に津軽地方の人は持っている気がしてならない

 

東北の人々は我慢強い人が多いと聞く

生まれて間もなくエンツコで育てられると自ずと忍耐を強いられるのだ

赤ん坊が泣いても泣いても誰もケアしてくれないという幼少体験はこの世にどうしようもない諦感を植え付ける