思春期と言うものは不思議なものである。理解不可能な行動をする。中学生の頃だろうか。現在の青森市の大型クルーズ船の埠頭あたりはただの岸壁だった。昼下がりから夕暮れまで、ずっとたたずんでいたことがある。漁船の漁師が「どうした?漁師になりたいのか?一緒に行くか?」と誘ってくれると本気で思ったのである。いるはずもない。漁師の朝は早い。勝手に連れ出したら未成年者誘拐罪に問われる。その時の自分の思いは寺山修司の「時には母のない子のように」そのものであった。

 中学の一つ年上の先輩が修学旅行を全編録音して、音声による旅行記にまとめ上げた。素晴らしい作品であった。教師らは褒めそやし、自分も録音などに興味があり、それを知った教師が、今年は君が挑戦したらどうかと勧めてきた。興味があったので、挑戦した。青森港を出港する青函連絡船の銅鑼の音から録音し始めた。

 コミュニケーションに問題のある自分はクラスでも浮く存在だった。そんな自分が南北海道を巡る修学旅行を大過なく終えることさえ難しいのに、さらに音声による旅行記を作成するなんて土台無理であった。途中から録音された内容はグダグダでまとめ上げる気力も失った。青森港出港時の銅鑼の音だけがむなしくカセットテープに残った。

 成人して、港は釣りを楽しむ場となった。おそらく違反なのだろうが、イソメでカレイを釣ったり、竹輪でイカを釣ったりした。しかし、生き物を触るのが苦手な自分は、ほどなくして興味を失った。

 現在、大型クルーズ船が時折入港する。乗船客を歓迎したいと思った。特に廣田神社を案内したかった。拝殿に常時、ねぶた面があるし、金生稲荷さまのご神徳も弘めたかった。下船する乗客に声をかけたがほとんど予約済みの大型バスで出かける。新町を歩く乗客も胡散臭いのだろう、誰も相手にはしてくれない。そんな中、日本人乗客が多いクルーズで兵庫からの中年女性二人組が道を尋ねてきた。これ幸いと、もしよければと断って、廣田神社への案内を申し出た。幸い時間を持て余していたようで、それでいながら懐が残りすくないそうで、同行してくれた。大いに喜んでくれた。小一時間程度であろうか、参拝し、授与物も少し戴いて神苑で腰掛け日向ぼっこをして、後は好きに青森市を歩くと言う。特別、感激したとは思えないが、少しばかり思い出にはなったであろう。

 別な日にはカナダビクトリア州の乗客から案内の記念に州のバッチを戴いたこともある。現代は便利な時代である。スマホさえあればコミュニケーションに困ることはない。

 港は人と人との交流の場でもある。思いがけない出会いが人生を豊かにさせる。八代亜紀の「舟歌」のような酒場で港を眺めながら時を忘れて感慨に耽りたい、そんなゆったりとした時間が持ちたいと思う。