人に伝えるというアクションは昔から好きでした

 

手を挙げて発表すること

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優等生ではなかった

でも自分でもそれが好きで周りからもそれが適任だと思われていた

「あの子はそれが好きだからやらしといたらいい」と思われていただけかもしれない

 

 

 

 

小さい頃人見知りが激しかったらしい

親戚の叔母に預けられていても泣きひきつけを起こし泡を吹いて救急車によく運ばれていたとか

私には一つ年上の兄がいる

母親からは「お兄ちゃんに手をかけてあげれないほどあんたに手を焼いた」と

いま兄がふらふらやりたいことをやっているのも

常識が身についていないのも私への攻撃があることも全部私のせいになっている

 

「いつもあんたと比べられてかわいそう」

 

比べる人が問題であって

私も比べられている側の人

 

「あんたはよくできるから」

 

そう思うのは兄が不出来だからじゃないか

私は優等生ではない

兄が比べられたら可哀そうだと私は不良になればいいのか

 

そしたら

「二人そろってもう」

というのでしょう

 

 

 

 

伝えることが好きなのは

伝わったことがわかると嬉しいから

 

小学校の時から

どうやったら伝わるのかを探していた

文章なら響くのか

スピードなのかジェスチャーなのか声色なのか表情なのか

伝え方を意識し

伝わらなかったら伝え方が悪いと思って模索した

 

でも人から人の間の物事を伝えるだけで

自分の感情はいつも上手に伝えることができていなかった

それは

感情を表に出さずに冷静だと判断されてきた