現在。太陽の膨張と爆発によって我々人類の太陽系が滅び、その直前に太陽系外に超次元航法を用いて人類が辛くも脱出してから数千年が経過し、天の川銀河の遍く広くに居住を開始し、太陽系に籠っていたころよりも人類は遥かに繁栄を成し遂げていた。
 自らの種の進化を、その身体においてはDNAの操作で24重螺旋まで推し進め、知においては人工知能との合体で数世代を一気に推し進め、平均寿命は400歳という老化の無い、しかし死だけは、免れ得ない領域まで到達させ、人類はい今までにない栄耀栄華を浴していた。
 しかし、究極に到達しようとしている人類の知と技術を以てしても分からないことはあった。出来ないことはあった。
「この宇宙に果てはあるのだろうか?終わるところはあるのだろうか?」
 人類の究極の知の命題の、残されたいくつかの一つだった。
 かつて、自らの故郷である地球が、その太陽系が、その太陽の膨張爆発によって滅びてから数千年。人類は再び、いやその後にも、遥か後にも同じことが起きるのではないかと、人類は恐れさせていた。
 あまりにもその時の恐怖の記録のために、とうとう人類はその知と技術の全てを用いて宇宙の果て、終わるところを探し始めた。
 知りたかったのだ。
 自分たちのいる宇宙に繁栄のできる限界点はあるのか?逃げ場所の限界はあるのか?
 ただ、知りたかっただけだった。
 探索は続けられた。
 遍く宇宙に、その深淵に向けて探査船が向かって行った。
 超次元航法の改良も進められ、数十億、数百億光年を一瞬で跳躍し、宇宙の果てを、終わるところを探した。その努力は数千年にも及んだ。
 だが、宇宙の果ては、終わるところは見つからなかった。
 どこまでも宇宙は続き、どこまで行っても宇宙は広がっていて、その果ては、終わるところは見いだせなかった。
 そんな無益な徒労にも思える探索が繰り返される数千年が経過したある日、人類全体と直結し、その知能を極限まで発達させている生体コンピューターサーバーと究極にまで進化した人工知能と自らの脳の進化によって獲得した人類の知はある結論に達した。
 量子物理学が予測していた通りに、宇宙には果てが無いのだと。
 知性ありと自ら認識する生命体の観測のある限り、宇宙はその観測の増大に伴い広がっていき、その果ては存在しないのだと断定された。観測の技術の向上の極限がその観測結果を支えた。
 同時に、宇宙に、世界に、果てはある。終わるところはあるのだと答えがだされた。
 この我々の身体の広さほどの空間にこそ、宇宙の、世界の、果ては、終わるところはあるのだと。
逆説的推論。
人類自らの観測による宇宙の最果ての無きことの結果は、人類の、いや、自ら知性ありと認識する存在の観測の停止による宇宙膨張の停止を意味する。
即ち、人類が宇宙観測の停止に至れば、人類の観測する宇宙はその膨張をやめることを、人類は数千年の観測と探索と思索によって見つけだしたのである。
人類はようやく自らの限界と無限の可能性に完全に篤信したのである。
自らの感覚器の限界が自らの宇宙の限界だったのだ。
そして、人類はことなべて無く、世界は神の御心のままに在りて在るままだった。