>気がつくといつも字を書いています。昔から授業中でも会議中でも、ちょっと間が空くと字を書いて遊んでいました。


 真夜中に目が覚めて書きたくなることもあるし、字を書くのがとにかく好きでしょうがない。


 「なぜ、そんなに好きなのか」と言われても、物心ついたときからこうなので自分でも説明できないのです。音楽が好きとか、ダンスが好きというのと同じで、好きなことに理由はないですね。


 故郷の熊本弁で言うと「字を書くことが楽しくて仕方のなか」という感じです。母親は武田双葉(そうよう)という書道家で、今も現役バリバリです。


 3歳から筆を持たされ、母の教室できびしく指導されました。いろいろ決まりごとが多くて、多少の抵抗はありましたが、僕は筆を持って以来、字を書くのが嫌いになったことは一度もないんです。


 小学校では、よく隣の席の女の子のマル文字を真似したり、先生が黒板に書くクセ字をそっくり真似してノートに書いたりしていました。授業中退屈すると漢字でよく遊びましたね。


 その頃のノートは3D(立体)にした漢字やぐにゃぐにゃの漢字、分解されて真横から見た漢字とか、変な漢字でいっぱいです。


 つまり昔から模写や漢字遊びをやっていたわけで先生や女の子の字が「古典」に代わって、真似っこが「臨書」になっただけで、僕自身今もずっと同じことを続けているわけです。


 字が好きな人はいっぱいいます。教室の生徒さんも本当に書くのが好きな人が多い。中には嫌いだったのがじわじわ好きになっていくケースもあります。


 でも、字が好きなだけで書道家になれるわけではないし、なろうと考える人も普通はいないでしょう。ではなぜ僕が書道家になったのかそこから話してみます。


 きっかけは二つあって、まずは母親です。


 大学を卒業してNTTという会社に勤めるようになり、社会に出て初めて母親を客観的に見るようになったんですね。


今まで当たり前に見ていた書道家・武田双葉が、あらためて新鮮に見えました。「すごいことやってるんだな」「かっこいいなー」と。それまで書道を職業として見たことがなかったので、プロとして活躍している母親にすごさを感じたわけです。


 その姿を真似しようというのではなく、それは生き方についてのヒントというか、「こういう生き方もありだ」という独立のきっかけになっていますね。(つづく)





               『双雲流自由書入門 書愉道』    武田双雲   池田書店