>劉邦はよく「こどもは乳をのみ、おとなは酒をのむ。どちらも人間を大きくするためものだ。」と、いった。この時代の酒は乳色を帯びていて,酒精分もすくなく、馬が水を飲むほどに飲まねば酔わなかった。
沛の町の飲屋では、王媼(おうばあ)さんの店と武媼(ぶばあ)さんの店がひいきであった。たいていは嚢中一銭もなしにぬっと入り、したたかに酔い、支払う意思もなかった。この時代、旗亭(さかや)はたいてい年末払いだったが、劉邦は口だけでも払うとは言わなかった。
いやな奴が来やがった。
と、最初は王媼も武媼も思ったが、やがては妙に採算が合うことを知った。劉邦が店に来ると、町中の劉邦好きの男や与太者たちにつうたわり、かれらが互いに仲間を誘いながらやってくるため、たちまち店は客で満ちた。劉邦が呼ぶわけではなく、かれらが劉邦を慕い、劉邦の下座(しもざ)にいて飲むことをよろこぶためであった。
劉邦は文盲ではなかったが、それに近い。
無学なために、何か教えを垂れるなどということはしない。とくに諸方の地理人情に明るいわけでなく、またとくに商売のたねになるような商品市況の情報を教えるわけでなく、さらには、座談がうまいわけではない。
ただ劉邦は莚(むしろ)の上にすわっているだけである。大きな椀に米の磨(と)ぎ汁(じる)のような色をした醸造酒を満たし、ときどきそれを両手でかかえては、飲む。
ひとびとはそういう劉邦のそばに居るだけでいいらしい。みな一杯ずつ酒を酤(か)っては座にもどり、互いに好きなことを話し、酒が尽きると、また酤う。劉邦はただそれらを眺めている。彼等にすれば、劉邦に見られているというだけで楽しく、酒の席が充実し、くだらない話にも熱中でき、なにかの用があって劉邦がどこかへ行ってしまったりすると急に店が冷え、ひとびとも面白くなくなり、散ってしまう。
劉邦がもどってくると、ひとびとは、
「よう」
と、歓声をあげながらかれを擁してもとの上座につかせ、一同は退(さが)ってまた飲んだ。劉邦は行儀がわるく、すこし酔えば横に長くなって肘枕(ひじまくら)をし、ときどき癇癪(かんしゃく)をおこすと、その男を口汚くののしった。類がないほどに、言葉遣いが汚なかったが、そのくせ一種愛嬌のある物言いで、罵(ののし)られた者も多くの場合傷つかず、一座もげらげら笑い崩れてしまうというぐあいで、劉邦の芸といえばあるいは唯一の芸であったかもしれない。<
『項羽と劉邦』 (上) 司馬遼太郎 新潮社 P68~69