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中学生まではルール、つまり何かしなければならないとか、何かをしてはいけないとかそういう大人が決めたことに従順でした。というか、疑問なんて持たなかった。ルールは存在して当たり前のものだった。踏み越えちゃいけない境界線だった。
なんで、と初めて疑問に思ったのは高校一年生の時、担任が言ったことでした。

「君の生き方はアブノーマルだ。周りの大人に迷惑をかけているんだよ」

なんで?
なんで教室にいなくちゃならないの?なんであんな息苦しい場所で縮こまらなければならないの?

ルールだからです。
それが決まりごとで、大人はそれを正しいと思っているからです。
大勢の人が良いと思ったことが次第にルールになる。守らなければならないものになる。でも、それじゃあ、少数派のわたしたちは?社会という壁を、そこで初めて知りました。中学の時のわたしがいかに囲われた檻の中でのんきに暮らしていたかわかりました。
高校一年生の時は地獄だったように、いえ、今となっては一瞬のような気もしますが、確かに泣いてばかりの日々でした。早退を繰り返して、決まりごとの中でもがいて、特進と呼ばれてはいましたが実際なんちゃって特進と名高いクラスでも、わたしの成績は落ちました。

高校二年生の時です。
わたしは、わたしの人生を変えるであろう先生に出会いました。
Y先生とします。とても型破りな先生で、車を第四職員室と称してずっとそこにいるような人でした。その型破りさに、わたしは救われました。
一学期が始まるとすぐに面談が行われました。とても広い教室で向かい合ったのを覚えています。

「保健室で食べているらしいな」
「はい」

何を言われるか恐怖でいっぱいでした。アブノーマルって、迷惑だろうって、困るって、言われるだろうか。先生もわたしを見放すのだろうか。先生はノートから顔もあげず、なんてことのないような声のトーンで言いました。

「うん、いいんじゃないの。それでお前が楽なんなら」

今でもあの時の気持ちは忘れません。
許された、と思いました。許された、と思ったのです。おかしな話ですよね。高1の担任が大嫌いで、小学校の時の記憶とあいまって教師なんて大嫌いだったのに、心の底ではわたしは誰かの許しを必要としていた。先生の許しがほしかった。目が熱くなって涙が出ました。ここで泣くってどんな情緒不安定な子だ、と思われるのが怖くて堪えましたが。
先生はもう一度、「楽なんだろ?なら、いいじゃん。」と言いました。はい、とわたしは答えました。今思えば、保健室でお昼ご飯を食べるか食べないかのそんなちっぽけなことにわたしは怯えていました。

決まりごとってなんだろう。
Y先生はそんなもの糞食らえと言わんばかりの人でした。校長とはしょっちゅう喧嘩をし、車に立てこもり、時にはホームルームを忘れ、見張り当番をサボり、体育大会をサボり、タバコとパチンコを愛する。でも、とても生きやすそうに生きていました。これが彼の人生なのだと思いました。職員室に彼の友人はいなくとも、外の友人たちとわたしのクラスメイトに愛されていました。
ルールを守らないことでデメリットはあるでしょう。仲間外れにされるかも、初対面のジジイにアイフォンをぶんどられるかも、周りの目が気になるかも。
でも、遥かに生きるのが楽です。
母は「耐えられないと本気で思ったら逃げなさい。その代わり、全速力で逃げなさい」と言います。
迷惑をかけてもいいです。迷惑かけられますから。アブノーマルでもいいです。逆にノーマルな人生に、何が残るんですか。道から外れまい外れまいとして、それで?
大人が言うことは大体正しいです。正しいが故に苦しいです。そして、案外その中身は空っぽだ。風船の中身は何もないです。恐れるものは、ルールばかりにしばられるわたしでした。
ルールが始まるのは大勢の人々の考えからでしょう。それは正しいと認識されます。やがて決まりごととしてわけのわからない絶大な力を持つようになります。運の悪い人は絡め取られて息をするのが大変になります。でも少数派ですから誰もそのことに気付きません。
ルールって、なんだ。
苦しくなったらわたしは逃げます。名前だけの仲間とか、中身のない授業とか。意味のない守りごととか。いらないって思うんなら捨てます。ルールに絡め取られる前に。それがわたしの人生です。