いっぽ いっぽ あるいてく

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まいにち いっぽ、すこしづつでも 自分らしく すすむために

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独りでいられない人が増えている。


実際に現実の世界でも群れていないと不安になるのか、いつも誰かと行動する。

たとえ現実に一人でいたとしても、SNS などで絶えず誰かと繋がっている。



絶えず誰かと繋がって、いいね!の数や、フォローの数、友達の数が自分の評価とか価値に思えるようだ。


人は独りでいる時間に自分を見つめ、反省したり、悔しがったり、幻滅したりする。

誰か群れながら自分を見つめるなんて、そんな事は出来ないはずだ。出来るとしたら、優劣などの比較くらいだろう。

比較は、自分らしさからは遠退いて行きやすいものだ。


独りの時間の中で反省したり、悔しがったりする。そして、今度はこうしよう!とかやっぱりこれは変えられない!とかの自分が見えてくる。

だから、独りでいる時間を持てない人に自分を知る事は出来ないと思う。そして成長もないと思う。


独りでいられる人ほど、自分を見て自分を知る事が出来る。


本当に学べるのは独りの時間からだ。
群れたって、本物にはなれない。


独りの時間が哀しい様な気持ちになるときもあるだろう。でも群れていても哀しい気持ちは生まれる。


どちらをとるか…。みなそれぞれなのだけど。





どんな事でも、どうしてこうなったんだろう?と知ろうとすることはとても大事だ。



結果さえよければいい人は、どうしてこうなったんだろう?と考えるよりも、あれが悪いから出来なかった、とか周りが手伝ってくれなかったから上手くいかなかったとか言う。



どんな事でも、どうして?と考える人は、自分の分析や、相手の思いなんかも考える。

そして、そのどうして?の先に自分の意見や目線が出来てくる。


結果さえいい人は、目線も自分の正義もないまま成果を求める。

だから上手く行かなければ人のせいや環境のせいにし、上手くいったところでそう長くは続かない。
少しでも状況が悪くなれば、またあれこれと言い出すものだ。



どんな小さなことでもどうしてなんだろな?って自分なりに考えて欲しい。
人のせいにすることなく、自分にその疑問を向けて欲しい。


疑問をいくつも重ねると大体の自分のパターンが見えてくる。

そしたらあとは動くだけだ。
もう答えはでてるようなもんだ。


そしてそこには、結果よりも大きなものが残るんだと思う。
一生自分の中に残るものがあるんだと思う。



こんなことを書くと なんだ?こいつ頭おかしいんじゃないか?と思う人もいるんじゃないかと思うけど…。




私は小さい頃から、人に見えないものが見える子供だった。

人がいるから通れない、とか ずっと見てる人がいる、とかよく言ってたので、母親からは「お願いだから普通にしてて」「余計なことは言わない」と注意を受けることが多かった。


大きくなってずっとそんなのも気にならなくなっていたのだが、妊娠を境に以前にも増して一気に見えるようになった。


私は小さい頃から見えていたそれに自分が特別な力を持っているなんて発想はなかった。

だから、妊娠してからの色んなのが見える事にも「とうとう頭がやられたのかな」って思った。

「こういうのは精神科なんだろうな」「どこの病院に行けばいいんだろう」「親が悲しむな…」って事ばかり考えていた。


その後、色々あって滝をはじめて、半年から1年くらいでずっとずーっと見えなくなった。
すごく生き易くなった。

現実とそっちの世界がゴチャゴチャの中にいて、車の運転や普通の生活が大変な頃もあったから。


でも人の相談を受けることの中で、これが役に立つこともあるんだって思った時があった。

そしたら当てることとか喜んでもらう事、相手が望むことに出来るだけ添えないか?って思うようになった。そのことに集中していたら、しょっちゅう体を壊して、相手の問題と自分の事が境がなくなって…ってなった。


滝を始めた頃もそうだったから、よく熱を出していた。


私は幸い、自分の見えているものにいつも疑問を持っていた。自分は特別な力を授かっているとかも思わなかった。


でも今、周りにはヒーラーとか占いとかで起業?または副業として始める人が多い。

私のお客さんの中でも「私、けっこう見えちゃうんで…」「私は感じるタイプなんですよね~」と得意そうにいう人がいる。


私には○○って神様がついているそうなんです。だからその方に導かれてヒーラーをやっています、とか 私はお役目を持っているんですよね~なので迷っている人を光の方に導くのが今世の役目なんです、と恥ずかしげもなく言える。


その見えているもの、感じているものに疑問を持たないのだろうか?


例えば、本当に見えたり感じたりしているとして、それによって人を導くような人格を持ち合わせた自分なのか?は思わない。


今はほとんどそういう類の「当てる」とか「見える」とかは相談をしている私の中にはない。

そんなの生きる上でなんにもプラスにならないからだ。


かえって偏りが増えて、もの事を都合よく解釈するようになると思っている。

そこいらにある霊能力と言われるものとその人の人間性や人格は全く比例しない。かえって反比例していることも多くある。

自分を見ていてもそれは実感する。見えていた頃の方がどんなにひ弱で、やるべきをやっていなかったか。自分の満足が基準だったかを思い知らされる。




現実で起きた出来事は現実でしか解決出来ない。

見えない力での解決はないのだ。

問題を先送りにしているか、その時だけ目をつむっているだけにしかならない。


そういう力を欲している人も沢山いるが、そんなことより自分をしっかり見ていく方が遥かに成長する。



現実で起きた出来事は現実でしか解決出来ない。

それは人として生まれたのだから当たり前のことなのだと思う。





























友達でも恋人でも夫婦でも長く繋がっていられる相手には必ず「尊敬」が入っていると思う。


親友っていうものが私はわからないんだけど、私が大事に思っている友達はいる。
相手がどう思っていようが、私は大事に思っているし、なにより尊敬している。


人によっては大事に思うっていうことが「得を与えてくれる人」に限定される人もいるようだ。



自分に楽を与えてくれる人・自分のやった事への見返りをくれる人・自分にとって利益を生んでくれる人・自分の居場所を確保してくれる人…。



そこには「尊敬」はなくて、ただ自分の安堵感の為に繋がっているように見える。

一緒に長くやっていく上で「尊敬」がなくなっていくのはとても辛い。


「尊敬」は年齢も性別も職業なんかも一切関係ない。
私もこうでありたいな、という一面を持っている事が唯一の条件だ。


私が大事に思っている友人たちが、私をそう思ってくれているかは不明だし、あんまり関係ない。私が持っている彼女たちへの「尊敬」で十分だと思っている。


同じだけ思いを持ってくれているから親友ってことになるのなら、たぶん一生わからないものなんじゃないかと思う。


もしそう思ってくれる友人が欲しいなら、まず自分を真っ直ぐに見ていくことがいいと思う。
自分を過小評価しすぎたり、大きく見せすぎたりってどこかで何か変だぞって思えるもの。


等身大が見える人は、正直な心が見えるってことだと思う。
正直な心ってみんなホントは欲しいものなんだと思うな。



私も等身大の自分で、自分に正直でいられるようでありたい。
その心で相手に「尊敬」を持ち続けたいと思う。






ある日、突然に一発逆転で思いを叶えたり、自分が変われると思う人は多い。




セミナーに行って・本を読んで・ヒーリングや占いに行って…。



もしそれで変われたとしたら、それはセミナーでも本でもヒーリングの効果ではなく、その人が今まで悩んできた結果、悩みを持ち続けてきた結果だと思う。




セミナーに行ってノウハウを学んで、その通りにやれば夢が叶います!って話もあるけれど、それは自分で考えたことではないから、やって行く中で何かに躓いた時、また新しいノウハウを見つけに奔走する。



自分で考え、工夫して行動し、後始末までをする…それが出来て初めて自立になるのだ。
自分で起業していこうと思うならなおさらだ。


ノウハウではあっという間に行き詰まる。





でももし、自分の考えがまだ見つからない時、厳しい人の意見を聞いてみるべきだ。
自分で行動することを大事にしている人にそってみるべきだと思う。




ノウハウは学べなくとも、生き方を学ぶことが出来るから。












よく、私は学ぶために これをしてます!とか、このセミナーに行って学んでます!とか言うけれど、自分で選んで学んでます!っていうのは、自分の好ましいものを学んでいるって事が多いんだろうな、と思う。


そういう学びを重ねれば重ねるほど、たぶん自分の偏りが強くなっていくように思う。
そういう人は、そういう中でしか通用しない人になりがちだとも思う。


好みで始めた学びも、継続していく中には必ず好みでないものも出てくる。
それがほんとに学ぶってことの入口なんだろう。

最初は楽しい~♪って思ってたのにな…
学んでる!私、変化してきてる!って思えてたのにな…ってちょっと前を思うなら、これからがほんとに学ぶとか身に付くとかのステージに立ったんだと思う。

そこからが本番。身に染みていくのはここからしかない。


学びの偏りが強くなっていく人は、自分がいつも喜ばしく思えていないといけないから、行き詰まると、どうも合わないと言ってまた次の喜ばしいものを探す。


蓄えていくのは、実積のない頭でっかちな理論と知識で、しかも好ましいものだけ。それによって自分が学べた、変化した、と思ってしまう。

でも実積のないものは、なんとなく変な空気をまとってる。だから、同じような人としか交われない。


学びの場は、色んなところに当たり前に転がっている。


色々なセミナーも講演も考え方を種類を拡げてくれるひとつでしかない。

短期間であれこれセミナーを沢山受けている人も結構見るけれど、そういう人ほど自分の好ましい情報を選んでいるんだろうと思う。


最近の私の周りを見ていて、学びとは…自分で選択するものではないんだ、という事を改めて感じる事が繰り返されている。

私も同じく選んでいる事があるから、繰り返し思うんだろう。


選ばない、流れのままにその都度、その場所で一所懸命に、を生きていけるようでありたい。






 
話すってことは、相手への想いが大事だなって改めて思った。

相手を想う気持ちがなく話すのって、傍から見るとこんなに滑稽で浅く見えるものなんだって。


私も少なからず人の相談に乗ることがあるから、本当に気をつけなければいけないことだと思っている。


人の集まりの中でもた~まに見かけるこの風景。
人の相談に乗りながら、自分が気持ちよくなりながら話してる。
ともすれば、自分が偉い人間のように思えるのかもしれないな。


そういう話し方をしている時、そこに相手はなく、自分の満足でいっぱになっているように見えた。


いい話をしているのに、きっとあまり人には届いていないんじゃないかと思う。
地に足がついていないというか…なんか心にとまらないというか…
私は意地悪だから、嫌な気持ちにさえなった。


相手への想いを大事にもって、自分の満足のために話さない。


今回の場面は、私への戒めとしてみせてもらったんだと思った。






大変遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。

今年もポチポチと書いていきますのでよろしくお願いたします。




先日、滝場でポンプアップしている滝の補修をしていました。

先生が滝の上に上がって補修をし、私は落ちてきた雪を滝の水でスコップを使いながら溶かしていました。


最近、心のかたくなさや思いグセについて考えていることが多く、どうしていけばいいのやら…と思っていたところだった。


雪の塊を溶かしながら、水は雪を溶かすけど、放置したままよりも水や雪を動かしたりしていたほうが溶けるのが早いんだよな~と思いながらスコップを動かし作業をしていた。



こういうものなんだな、と突然思った。


人もおんなじで、




水の流れのあるところは、あっという間に雪は溶けていく。雪が残ろうとしていても自分の意思とは関係なく溶かされていく。
自分で選ぶことなくどんどん変化させられていく。


水たまりでも雪は溶けていくけれど、ゆっくりゆっくりだ。しかも気温が下がればそれは凍り、もっと固く、触ると皮膚を傷つけることさえある。


動かなければいけないんだと。


おんなじ環境や頭・考えだけの中にいても、溶けるのか、もっと固くなって行くのかはわからない。


でも動いていく、行動していく、それも今までの行動パターンと違えて行く。


それは確実に溶ける方向に向かう。
溶けていくときは、冷たい水に浸かって冷たくて痛いけれど、それは確実に溶けていくための痛みだ。





変わるってことは動いて行くことだ。





雪を消しながらそんなこと考えて、自然がみんな教えてくれるものなんだとまた改めて思った。





プライドとは、やっかいだ。
人に対してのプライドや自分に対してのプライド。
自分を律する為に働くプライドもあるけれど、やっかいなのは自分を守る為のプライドだ。

変わりたいと言いながら、人の言うことは効きたくない。

友達が欲しいと言いながら、自分に都合のよい関係(ポジション)でありたい。


頑なに自分を守りながら変わるってあり得ないんだよ。
変わるってことは、自分を壊していく、もしくは壊れていくところからしか始まらない。


頑なになるのは、何でなのか?


自分に対してもプライドが働いて、自分の心さえも認めない。


そして自分を追い込んでいく。自分だけが満たされてない、と。
本当に自分を認めるのは自分しかいない。
でも自分にも都合のよいところしか見ようとしない。

そして体にも不調が出てくる。

そんなプライド、壊しちゃえ。そしたらあれもこれも違うものに見えてくるよ。
色んな関係も変わってくる。

本人の望むものとは違うかもだけど、自分をだいたいの等身大で見れれば、おさまりのいい自分になってるものだ。

いらないプライド、私もまだ持ってるんだと思う。でももう頑なさはずいぶん減ってきてるとも思う。

そしたらほんとに熱もあまり出さなくなった。もー!みんな辞めてやるー!ってのもずーっと少なくなった。

頑なに守るものが多いほど、人は身動きが取れなくなって、健やかさからは程遠くなるんだと思う。

清々しい人は守るものは、ほんのひとつぶくらいなのかも知れない。

私も大事なひとつぶだけ持って、清々しく、潔く、健やかにいたいと思う。
そう生きたいと思う。


作家イベントのtsumugi vol8無事終わりました。





このイベントは作り手同士も手に取ってくれる人も縁を紡いで欲しいな、と思って立ち上げたイベントです。

今回も新しい作家さん達が加わり、また新しい縁が繋がっていけそうです。





自分の作品を手に取って見てくれる人がいるっていう事が小さな自信になってくれると思うし、新しい人との縁から学んだりできる。

参加した人達がいきいきと変わるきっかけになるイベントになってくれれば…と思っています。


好きな事だし、楽しい!と始めた事でも、続けていくってことはそれだけで迷い始めたり、成果評価に一喜一憂したりしてしまうもの。

そんな中でも続けて行こうとすることが大事なんだと思っています。


少しつづ、その形に近づいてきているかな?と思えたtsumugi vol8。


その中で、私も一緒に成長できてるかな…。