母のわかりづらい愛

 

 

 

今日は母デーであった。

 

 

 

免許を持たない母は遠くへは行けないため、私がヒマな日にあちこち連れて歩く。

いわゆる母のアッシー君になる。

 

 

 

今日は先月亡くなった父の除籍や、もうすぐやってくる四十九日の用事など、色々切ない用事が多かった。

 

 

たった2時間程度のことだが、母のばあば振りを聞かされ、実家の近くで同級生の年老いた親に会うこともあり、もうこれが最後かもしれない・・・と、いろんな思いが去来する時間となる。

 

 

 

 

 

ちなみに、母のばあば振りだがハッキリ言ってキモい。

 

 

私の息子は外孫なのでそんなに介入されないが、同居している弟夫婦の子に対して偏執的なほどの愛情をかけている。

 

私はそれを生暖かい目で見守っている。

 

 

 

 

私は母に母らしいことをしてもらった記憶がない。母と言う存在が、私の中では非常に薄いのだ。

 

 

 

もちろんこの世に産んでくれたのは母だし、毎日のご飯や手編みのセーターなど何不自由なく育ててもらった。

 

 

子供の私が母から欲しかったもの。

それは、思いに寄り添ってもらうとか、思いを受け止めてもらうとか。

 

 

ののしられる、否定される、比較される、馬鹿にされる、そういったことも皆無の代わりに、情緒的な面への愛も無かった。

 

 

母は私には無関心なんだと思ってた。

 

弟にだけしか興味が無いんだと。

 

 

 

だから彼女のばあば振りを見ていると、この人って、人育てた事無いんだな、

きっとコレが最初だな、って思う。

(愛情の出し方が異常。下手すぎるから)

 

 

 

 

 

ふと車窓から黄砂がかった、春の新緑を見ていると山の頂に小さなお堂が見えた。

 

あれは私が子供のころ良く登っていた山ではないか。

 

 

 

あんなところまで行っていたのか、と驚愕すると共に、母にそのことを言うと、「知らない」という。

 

 

「あんたの子供があんな遠い山の上まで、子供たちだけで一日中行ってたんやで、今の子供なら考えられんことやで」

 

 

 

 

思えば、のんびりした時代だった。

 

 

あの時代の親は子供の事など何も気にしてはいなかった。

 

 

少なくともそんな風にこちらからは見えた。

 

 

 

 

子供は思いっきり野山で遊び、川に飛び込み、レンゲの咲いた田んぼで走り回りっていた。

 

 

 

 

人の家の柿やら、さくらんぼやら、びーびーという小さな果実を勝手に食って。

 

そのことで注意されたり怒られたことなど一度も無かった。

 

 

 

 

 

そう、その山に登ってお昼に食べた、母のおにぎりの味は異常に覚えている。

 

冷たい空気と、白米になじんだ塩味と。

 

 

 

 

無駄だと分かって聞いてみたが、母はそのおにぎりを作ったことも覚えていない。

(母は認知症では無いよ)

 

 

 

「ああ、この人は私の人生に対して何も言わなかった。

 

私はこの人に愛されていないと思ってたし、まるで異次元の人のようだったと思っていたな。

 

だけど何も言わないことも愛だなぁ。

 

だって現に私はそのおにぎりの味を覚えているんだもの」

 

 

 

 

 

アッシー君の用事が終わって、「コーヒーでも飲んで帰る?」と母は言う。

 

 

いや、おかしいやろ。昼の12時やで。

普通ならごはん食べて帰る?ってゆうんちゃう?

 

 

 

 

「いや、いいわ、動物が待ってるし」と私が言うと、

 

 

母はなぜかホッとした様子(この反応も実に母らしい)で

 

 

「そう、今日はありがと」という。

 

 

 

 

私と父はとても似ている。

父は死んでしまった。

 

 

母と私は違う。

だけど、この人から産まれたんだよなぁと思う。

 

 

 

 

 

 

これは私が息子に初めて作ったお弁当たち。

 

 

 

 

息子にも聞いてみたけど、このお弁当の記憶はない、とのこと。

 

 

 

でも親子ってそういう目に見える記憶というよりは、目に見えない何かで繋がっているのかな、なんて思った今日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

変える変えるゆうてまだですが、そのうちしれっと・・・