その通りだ。
ただ、わたしはこれまで何も自分では選んで来なかっただけ。
子供の頃から、周囲の期待に応えないといけないと思って、こうすべきに従って生きてきた。
昔から成績はよかったし、大抵のことはそれなりにできた。生徒会にも入って、まとめ役に回ることも多かった。
小、中はそれでよかった。
周りがどれほど勉強していたかは知らないけれど、わたしは人一倍努力する方で、そしてその努力は結果として数字として現れていた。わたしはわたしの努力で、わたしのポジションを保っていた。
そんな中で、たぶん、こうあるべき道をなんとなく悟って、そしてそれに従わなければならないと思い込んで、そしてそんな自分を形成しながらここまでやってきた。
気づいた時には自分は英語の道に進むべきなんだと思っていた。
勉強が結構出来て、特に英語が得意だった。
海外に興味があった。
田舎町の学校には自分よりその分野で秀でた同級生も居なくて、周りも自分もわたしは英語、英語といえばわたしだと思っていた。
親から何か言われた訳ではないけれど、気付いた時には親も先生も友達も、そして自分もわたしは英語が大好きでその道に進みたいんだと思っていた。
それからの人生、気づけばそんな事の連続で、自分で心からこうしたいと望む前に、気づいたら、「こうすべきなんだろうな」という方へひたすら向かって進んでいた。
薄々その事実を感じながら気付かないふりをしてここまできた。
省みて深く考えた時、本当はそれは好きでもなければ進みたい道じゃなかったって気づいてしまうのが怖かったんだ。
その思い込みのまま突き進んで、突き進み続けられたんだから、きっと満更でとないんだとは思う。たぶん本当に英語も、語学も好きなんだとは思う。
だけど人生の岐路に立ってみて、これから先を考えた時、果たして一体私は何がしたいのか。よくわからない。
自分で決められなくて、先が見えない。やりたい事がよくわからない。
旅がしたいと思う。旅行に行きたいと思う。
こんなところさっさと見切りをつけて、一度日本へ帰って仕切り直し。
辛いことに耐え続けてようやくここまでたどり着いたんだから、いい加減自分の為に好きなことをしたっていいと思う。
でも、それから先どうなる。
結局はまた働かないといけないし、その時に述べる真っ当な理由が思いつかない。
頑張りすぎたのでご褒美に旅に出ましたなんて言えない。
この歳で自分探しなんてやってられない。
だけど自分で自分が見えない。
心からやりたいと思えばきっとそんな事二の次でやってしまうんだと思う。
どんなに時間の余裕がなくても調べて計画を立てて準備して遂行してしまうんだと思う。
それをしないということは、そこまでの熱量がないのか、やる気がないのか、結局のところものぐさなのか。
いつもこうすべきに従って、人に頼って生きてきたツケが今になって出始めたと自覚している。
そう考えながら結局はこのまま何と無く過ごし続けてしまうんだろな。恐ろしいけれど。悔しいけれど。それが現実でそれが自分か。
