多くの人は、自分が“狂っている”ことを知りません。

毎日毎日働くこと。病院へいくこと。薬を飲むこと。手術すること。ペットショップで動物を買うこと。
TVや新聞のNEWSは 正しい。 お肉は栄養があって食べなきゃ生きていけない。,,,,etc
あげればきりがありませんが、

当たり前だと思ってやっていることは、果たして本当に必要で、すべきことなのでしょうか,,,,,。


そこで、

あなたの周りには、行動や言葉に責任を持ち、全ての面で尊敬でき、自分のことを本当に想って接してくれた大人はいましたか。

宗教に入ってる人は、実際に生きている人で、聖人を見たことがありますか。
そもそもそんな人はいないと思ってるんでしょうか,,,,,

私は27年間生きて来て、周りにたった一人だけ、そうゆう人がいました。(親ではない)

ちなみにその人に、私の人生を決めてもらったことは一度もありません。
本当は全てをお見通しだけれど、決して“正解”は教えてもらったことはありません。
(しばらく経ってから、あれはアドバイスだったんだ!とわかった(理解できた)ことは何度もありましたが,,,,,。)

ただその人が見本になってくれたことで、私は自分が“狂っている”ことに気づくことができました。


あるときは事後であっても、
どうすれば一番調和的で、ごく自然で、健全で、適切な選択であったのか、考えることができるようになりました。
(実際にそのような選択をできるのかとゆうと、そうではなかったりする場合の方がまだまだ多いけど。)

そんな人がたった一人でも身近にいたことが、実はとても貴重なことなのかもしれないと最近気づきました。

盲目的に、自己放棄のような形で、崇める対象になる人はたくさんいるかもしれない。
崇めている人は、楽なのでしょうか。自分のやることに責任を持たなくて済むからでしょうか。
では崇められてる人は、本当に責任を取ってくれるような人だと思いますか?
もしもそのような形で結ばれている絆ならば、それは“狂っている”としか言えません。

人は本質的に、自分のことしか責任を持てないからです。
個人個人で“観てる世界”が違うからです。
二つとして同じではないんです。


そうしてよぉく見てみたら、
そんな迷子の人たちを、更に思考停止にさせて、
真実に気づかせないように社会がまわっていた。ルールができていた。目に入る人工物の全てがそうだった。
それに沿って生きていかなければ、豊かにはなれないと小さな頃から刷り込まれていた。

そんなふうに
なんだかよくわからないまま働いて、なんだかよくわからないまま結婚し、
なんだかよくわからないまま腹を切って子供を取り出し、
自分はなーんにもわからないのに、子を“育てる”。(ようとする)

その小さな天使たちはまもなくすぐに羽根をもぎ取られることになる。

それが本当は何にどう効いて、あとあとどうなるかわかったもんじゃないものを注射され、
体が熱を出したり、咳や鼻水が出るのには必ず理由があり、治るために必要だから出てる症状なのに、すぐに薬で抑えてしまう。
そして食べ物や、髪や体を洗うシャンプー、身につけるもの・口にするものを洗う洗剤など、
それらは
化学的に作られた毒物がたくさん入って出来ている。
それらは私たちの細胞、同時に
、水や大地を汚染し、傷つけ、破壊していく,,,,。


どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。

それは誰が望んでいた世界なのでしょうか。

本当は全ての人に本能や直観といったものが備わっているんです。

それを目覚めさせないようにして、私たちが目覚めたら困る人たちがいるんです。


まずは自分が“狂っていること”を自覚しませんか。

それだけで世界は大きく変わります。



みんなわかってない。
自分の観てる世界は、自分の思考から造られていることを。



どうして周りの人や環境のせいにする?

あなたの目に映り、
あなたの脳を通して観てる周りの人たちや環境は
あなたが解釈した、
あなたが造り出した、
あなたが産み出した、
あなたの一部なのに。


どうして逃げる?

あなたが造り出したものから
どうやったら逃げれる?



逃げることなんて出来ない。
逃げたら問題は多きさを増してまたやってくる。必ず。


受け止めて、覚悟を決めて、動き出すしかないんです。


不安や恐怖を煽るものは自ら目にしないこと。

自分が落ち着く、豊かな気持ちになれるものを見つけること。



「今こそ困っている人を助けたい!」

「政府は間違っている!反対運動に参加したい!」


その思いはどこからやってきていますか?

あなたが今やるべきことは、外側にあると思いますか?


まずは自分を見つめてみることから始めませんか?










※8月くらいに作成したものです アシカラズ



くそ暑い日が続いております。



体調を崩す方や、あちらへ連れて逝かれる方も多いようで。


今回は、この辺の現象を私なりに解説してみようと思う。


まず、今の時期に体調を崩している人、揉め事や悩み事に直面してる人、

それに気付き、感じている人、 “チャンス” です。


今まで習慣化していて慣れてしまっていた体の不調、諦めていた人間関係の悩み、
あやふやだったこと、隠れていたことは、
この、暑さともゆう強いエネルギーによって押し出され、
病名のついた具体的な不調としてや、とりとめのない悲しみ、怒り などとして
表面化したり、意識に上がってくる。

この時期のそういったことはとてもとても重要な意味を持つ。

そこで、心から“健康な体”や、“健康な心”を望むことができれば
その願いはすぐに叶うから。


かくゆう私も喉もと、リンパや気管支あたりが不快でした。

私の周りの人たちや見聞きする情報も、何かと不調を訴えていました。

このおかげで今回の考えに至ったわけです。

感謝。


お母さんは人に対して優しい人だ。



傷を癒やせず、蓄積された荷物を背負っているから

“表現”や“伝え方”には濁りがあるけど。



人の痛みを感じて涙を流し

人を助けることや、思い遣ること、手を貸してあげること

それを、自分のできる精一杯でやる人。

それを仕事にした人。


そしていつも元気だ。

本当に、元気いっぱいで、パワフルだ。


前は、私はお母さんに自分を受け止めて欲しいとゆう想いがあったから

子供のようにはしゃいでいる母が嫌だった。

でも私が自分の足で歩き、前を向いていさえすれば

母は応援してくれる。

そして私がどんな人と付き合っても、友達であっても、

その人を受け入れ、仲良くしようとしてくれていた。



お母さんの良いところ。素晴らしいところ。





そこに気付けた私は、そこを見習うべきだと想った。

「二極化」してきている。


私は立ち止り、流れを止めて、縮こまり、小さな空間の中に浮かんでいる。



“外側の世界”では

さまざまな変化が起こり

終わるもの と 始まるもの とが

はっきりと、より大きな塊となって。



あぁ....引っ張られている。

私はどちらを望んでいるのだろうか。

それは自分しか決めれない。



全体がつまづいている。

キキっとブレーキがかかっている。

一度、止まる。

流れも止める。



その次に来るのは 二つの世界。

それは自分しか決めれない。