2023.2.9木曜日

神代植物公園で、それは起きた。

ロジャーをドッグランで遊ばせた後、隣の原っぱに移動して、遊んでいた時だった。私がリードを持って、遊ぼうとしたら、ロジャーが急に走り、予期せず、引っ張られてこけたのである。捕まる所もなく、いきなり地面に叩きつけられた。最初の衝撃は、右足の甲で、次は顔。鼻、歯が地面に食い込んだ気がしたので、マスクの中は、血みどろ?。だが、これは、無事で、歯も折れてなかったし、何の出血もなかった。だが、左手首を見たら、手のひらが、別の方向向いていて、これは、折れたと思った。が、主人は「捻挫だろ」と言う。とにかく、持っていたロジャーのヨダレ拭きの雑巾で手首を冷やして、病院に行くことにした。その日は、木曜日だった為運悪く、休診の所が多かったが、帰宅途中にあった整形外科で、診てもらう事ができた。やはり、手首と足を骨折していた。

その時は、私だけ受診して、ロジャーと主人は家に帰ってもらった。

その後、手首はギプスをされ、三角巾で吊り足は包帯をグルグル巻きされて、固定。武蔵野徳洲会病院への、紹介状をもらって、主人の迎えの車で、帰宅したのであった。


翌日、運悪く、雪が積もったが、幸い、道路は、積雪もなかったので、主人の車で、朝一番で、病院へ行き、診察を受けた。そして、その日の午後、プレートを入れる手術を受ける事となった。私としては、早くこの痛みから、解放されたいと思っていたから、手術には、何の抵抗もなかった。
午後、全身麻酔で、手術を受けた。
その前に、初めてPCR検査を受けた。鼻の奥まで、検査の棒を突っ込まれて、凄く痛かった。
そして、、検査の結果が、陰性だったので、即、手術になった。
手術室までは、歩いて行き、自分で、手術台に乗った。そして、先生が「左手を出してください」と言ったので、思いっきり腕を伸ばした。そして、マスクの上から、麻酔をかけられ、あっという間に、気を失った。



目覚めた時は、すでに手術は終わって、「終わりましたよ」の声が聞こえ、主人の顔も見えた。病室には、主人は入れないので、確か、主人に「飲み物お願い」と「明日杖買ってきて」と頼んだ気がした。
病室は、個室で、洗面所とトイレとシャワーが付いていた。手術を受けた人は、その日は個室に入る事になっている。
個室は、気がねもなく、ゆっくり休める。
さて、私の手はどうなったかと言うと、肩の付け根から指先まで、丸太状態。全然感覚なくて、右手を沿えないと、動かす事も出来ない。何か、恐ろしい感じであった。




そして、足は、痛いけど、ソロリソロリ歩くしかないのだ。包帯で、しっかり巻いてあるだけだから。
翌日、退院。退院手続きは主人がやってくれた。先生が来て、手首の包帯を取り、傷口に、薄いシートを貼ってくれた。




そして、「シャワーokですよ」と言われてた。ビックリ、まだ、血が出てるのに‼️
その血も、そのうち、止まったが。
家に帰ってから、今度は、あちらこちら、痛くなってきた。要するに全身、打撲したからなのだ。眉間には、青アザが出てきたし、太ももにも、大きなアザ‼️左手と右足は、内出血で、真っ青。足なんか、むくんで、気持ち悪いくらいだった。
そして、胸や肩も、ぶつけたせいか、寝返りするだび、痛くて大変だった。
とにかく、お産以外で入院経験なかったので、この出来事は、本当に衝撃的であった。
1週間後の診察の時は、「お風呂もいいてすよ」と言われ、シートは剥がされた‼️



溶ける糸で縫合したので抜糸はないが、傷痕は大きい。

この歳で、こんな事が起きるなんて‼️
でも、これですんで、良かったとも思ったりしたり。
何とも複雑な心境である。
手術後は、数回リハビリに通った。次の診察は、7月である。
足は、まだ腫れているので、スニーカーかウォーキングシューズしか履けないだろう。手首は、傷の所が皮がつっぱって痛いが、動きはほぼ正常と思う。でも、重い物や、手首に力がかかることは、当分避けなくてはならない。
この怪我のおかげで、骨折した3日後に出発予定だった「流氷ツアー」は泣く泣くキャンセルした。
そして、スポーツクラブも3月は休会した。4月からは、簡単な動きのエアロビクスに参加している。ヨガは、当分無理だと思う。

そして、手術した先生は「骨がもろかった」と言ったが、それだけ❗「こうした方が良いとか」何のアドバイスもなかった。



傷痕は、やや、凸凹が取れてきたが。

私は、改めて近所の整形外科へ行き、骨密度を計ってもらったら、バリバリの「骨粗鬆症」であったのである。その日から、「骨粗鬆症」の薬を開始する事となった。
そして、又、又、不運が・・・😵
それは、次回にします💦