銀座・新橋・有楽町 ブログランキングへ
銀座検定 第 3 2問
『銀座』の地名の由来は、
(3)駿府にあった銀貨鋳造所をここに移した。
が正解です。
銀座中央通り2丁目には「銀座発祥の地碑」があります。
この碑は銀座周辺の文化碑の一つです。
碑文には銀座の由来が次のように記してあります。
************************
銀座発祥の地
銀座役所趾
慶長17年(紀元2272年 西暦1612年)
徳川幕府此の地に銀貨幣鋳造の銀座役所を設置す
当時町名を新両替町と称せしも 通称を銀座町と呼称せられ
明治2年
逐に銀座を町名とする事に公示さる
昭和30年4月1日建之
銀座通連合会
*************************
銀座の由来
銀貨鋳造所は、幕府のために銀貨を作る「銀座」という
座組織から成り、銀の買い入れや銀の管理及び事務を
取り扱う役所と、銀貨の鋳造を行う工場がありました。
最初は、慶長6年(1601年)に伏見に創設されましたが、
同11年には駿河にも設けられ、同13年に伏見銀座は京都に、
同17年に駿河銀座は江戸(現在の銀座2丁目)に移され、
やがて、駿府・京都・江戸・大坂・長崎などにあった銀座が
江戸に統合されました。
銀座の業務は、銀地金を買い入れ銀貨と引き換えること、
すなわち両替業務であり、多くの両替商が集まりました。
この場所の正式な町名は、既に存在していた「金座」のある
場所が「両替町」と呼ばれていたので、「新両替町」とされ
ましたが、通称の『銀座』で呼ばれるようになっていきました。
役人・汚職の構造はこの時代にも
「銀座」は銀を特権的に扱うため、相当な利益があり、「銀座」
役人は相当羽振りが良かったと言われています。
ところが、いくつもの不正事件を起こし、1800年(嘉政12年)に
は蛎殻町へ移されてしまい、さらに、明治2年(1869年)には、
金座とともに廃止されましたが、『銀座』は町名として残りました。
因みに、金座があったのは今の日本銀行のある場所でした。
銀座はもともと職人たちが住む町でしたが、徐々に商業や
江戸文化が発展し、元禄時代には大いに賑わうようになり
ました。
地の祥発座銀
さて、「銀座発祥の地」碑の文字を改めて見てみますと、
「地の祥発座銀」と右から左に読むようになっています。
そういえば、若い人はあまり知らないかもしれませんが、
昔は右から書かれた看板も街でよく見かけました。
そういえばギンタロー。が幼い頃、こんなことがありました。
おじいちゃんが絵本を読んでくれるというので、お気に
入りの絵本を持っていって読んでもらおうとした時のことです。
おじいちゃんが「オキノピ」と読んで表紙を開けようとした時、
幼いギンタロー。は、「おじいちゃん、ピノキオだよぅ。」と
大きな声で言いました。
おじいちゃんは、「そうかそうか。ピノキオかぁ。間違っちゃた
なぁ。」と、ケラケラと笑いながら頭をかいていました。
おじいちゃんは、尋常小学校を出てすぐに丁稚奉公をし、その
頃には王子に染物・洗い張りの店を自営するとても気が利き
お客さんに愛された商売人で、ギンタロー。をとても可愛がって
くれた優しい人でしたが、
これがギンタロー。のおじいちゃんの記憶の一つです。
そこで、
銀座検定 第33問 です。
**************************
銀座検定(GINKEN)第33問
日本語表記の縦書き、横書きに関して、
正しいのは次のどれでしょうか。
(1)もともと、縦書きも横書きも右からだったが、
戦後、GHQにより横書きは左からと定められた。
(2)元来、日本語は縦書きで右から書くものであり、
漢字を縦書きすることから平仮名の発明があった。
(3)もともと、縦書きも横書きも右からだったが、
昭和になると、文部省が横書きは左からと決めた。
(4)もともと縦書きも横書きも左からだったが、新聞が
紙面を右から縦書きとしたので、それが定着した。
***********************
正解は、銀座検定第34問とともに、お届けします。
銀座・新橋・有楽町 ブログランキングへ