3月2日、大好きな母が天国へ旅立った・・・。
昨年5月に体調が悪くなり、いつもなら薬も飲まず自力で治してきた母が病院に行くと言い出したので、よっぽどなんだ…と感じた。
ちょうど連休中だったので救急当番にみてもらい、そのまま入院だと父からの電話、急いで病院へ。
出産以外入院したことのない母なので、家族も動揺、その後医師からの診断結果に
足の力まで入らなくなったことを今でも覚えている。
癌…。
そして、もう手術ができない状態…。
余命数ヶ月…。
信じられない…。
何故…。
それから、母と病気との闘いが始まった。
まずは黄疸を治す処置から始まった。
その為、かなり痛い処置を何度もする。
そのときも、泣き言も言わず頑張った。
『(治療しなくては)前に進まないかんから!』と言った母の言葉が忘れられない。
黄疸が治って、抗がん剤が始まった。
その後退院し自宅療養がスタート。
キツイものだと覚悟していたので、副作用がでていても無理して続けた。
が、予想以上に副作用が酷く、母はかなり弱ってしまった。
そして、再び入院。
体力の回復を見て、種類を変えて再び抗がん剤が始まった。
また、自宅療養が始まり、抗がん剤の点滴を通院でうつことになった。
秋くらいは、体力も少し戻ってきて、孫を抱っこできるほどになった。
色々ところに食べに行ったり、母が癌であることを忘れるほどだった。
しかし、私の長男二歳の誕生日を過ぎたころから、痛みがでてきた。
抱っこなどしていたので、筋肉痛かなぁーなんて言ってたが、癌の痛みだった。
痛み止めがはじまり、痛みとの闘いが始まった。
だんだん、母の痛みと食欲も落ちてきた。
また、黄疸もでできた。
調子が悪くなってきたため受診をして、またそのまま1月2日入院。
痛みが酷くなり、だんだん寝たきりになってしまった。
私のお腹の新しい生命もだんだん大きくなってきて、いつ生まれるかなぁー?なんて話を毎日し始めた1月17日、担当医から余命1,2ヶ月と言われる。
その後病室に戻り母の顔を見ると泣いてしまいそうで、必死で耐えるが…勘のいい母には私の動揺がわかっていたかなぁー。
早く、母にお腹の新しい生命を見てもらいたい!その気持ちが強くなり、その気持ちがお腹の中の次男に伝わったのか、その晩に陣痛、次の日早朝に生まれてきてくれた。
退院の日に寄り道をして、母の病室に…。
『インフルエンザも流行ってるから連れてこられんよ!』と母には言われていたが、それをおしきり、少しの時間ではあったが見てもらう。
それから、何度か病室に連れていった。
本当なら新生児を外出させるべき時期ではないが、母には時間がない…。
症状が悪くなったことで大部屋から個室になったが、大部屋とは違い気を使わずに息子たちを連れていけれるようになった。
母が『二人の孫が見れて…』と幸せにそうに穏やかな顔を見せてくれたあの日を忘れないだろう。
2月になり日々症状が悪くなり、癌の恐ろしさを知った。
それでも、母は『座れるようになって(次男を)抱っこせないかんねぇー』と言っていた。
その言葉が、私たちを心配させないためか、本当に元気になれる!と信じていたのか…わかりませんが、本当に最後まで私には弱音をはかなかった。
本当に母の強さを知る。
2月末に、看護士さんに『会わせたい方がいらっしゃいましたら、会わせてあげてください。』と言われ、母とのお別れの日が近づいてきた…。
それから、二日ほど母は頑張ってくれ、母らしい…どこまで頑張り屋なんだろう。
旅立った前の晩に病室に泊まり、症状も落ち着いてるみたいだったので、朝方少し家に用事をするために戻ったが、
私が帰ったあとくらいから、症状が悪くなったらしく、電話がかかり急いで病院に。
病室に戻ったときには、脈も弱くなってきていた。
すぐに、
ありがとう!ありがとう!…。
よく頑張ったね・・・。
大好きやったよ。
何度も何度も、耳元で母に言い続けた。
とうとう、脈が止まる・・・。
母の最後に間に合って良かった。
私が来るのを待っててくれたかのように、私が病室に着いてすぐに旅立った。
お母さん!最後までお母さんらしい…待っててくれてありがとう。
母の偉大さを知った10ヶ月。
旅立ってから、更に母の存在の大きさを感じ…。
あたたかく、明るい、太陽のような母だったのだと。
いつになったら、母のいない生活に慣れるのだろう。
私にとって人生で何度かくる頑張りどころなんだろう…。
母からバトンタッチされた命を精一杯生きなければ!
笑顔で頑張ろう!
顔晴ろう!
ありがとう!
ありがとう!
ありがとう!
大好き母へ…。
母が旅立った日の空。
Android携帯からの投稿