◆「死を、死を、まじかに迎えた時、人はやっとプライドや意地といったものを捨て、本当の心を取り戻します」

 久しくブログを書かなかった。
 昨年末から書いている年賀状がまだ書き終えないからである。というのも、一枚、一枚手書きなのだ(苦笑)。
 一昨年末は、体調不良で年賀状が書き終えれなくて、中途で断念したこともあり、今年受け取らせて頂いた年賀状は減ったのだが、それでも書かなければならない年賀状は150枚ほどある。以前は、200~300枚だったので、流石に今回のように手紙というわけには行かなかった。
 筆ペンで書くので、一日に10枚、多くて20枚が限度なのである。

 さて、正月から今日までのこと。
 新年早々、感動したと言おうか、
「えっ、こんないい作家、いたの!」
と思ったのは、作家・東野圭吾(ひがしの・けいご)である。
 名前は知ってはいたのだが、作品を読んだことは無かったのだが、たまたま、テレビで東野圭吾の推理小説の映画化作品『麒麟(きりん)の翼』(2012年)を見たのである。
 社会派といっていいだろう、この『麒麟の翼』という作品では、格差社会、労災隠し、教師の隠蔽、親子問題、中でも父と息子の関係、などといった社会問題が描かれている。

 父と息子のことでは、身につまされつついろいろと考えさせられたが、我が家では、現段階では、問題はない。 これは余談だが、家ではあまり掃除をやってくれない娘や息子たちなのだが、なんと高1の娘は、冬休み明けの新学期の初日、弓道部の部室の一番気になっていた箇所を、たったひとりで掃除したという。何年も掃除した形跡がなく、ゴミがたくさん出たのだそうで、先輩から褒められたそうだ。
 また、中1の息子はといえば、最近は、私や妻から言われていないにもかかわらず、進んで風呂場の床や流しの掃除をしてくれたばかりである。
 
 話を戻そう。
 東野圭吾が
「加賀恭一郎シリーズ中の最高傑作」
だと自認するだけのことはある。
監督は土井裕泰、阿部寛・主演で、新垣結衣(あらがき・ゆい)、溝端淳平らが共演している。
行きつけの近所の床屋の店主の話では、
「東野圭吾は、サラリーマンに人気がある」
のだそうである。
なんといっても、いくつもの社会問題をとり上げながらも、日本橋のちょうど中央にある柱に置かれている翼のある麒麟像が(明治44年に完成)本作品のモチーフとなっている点が、心憎いではないか。
翼のある麒麟像については、劇中でも説明があるが、事実、「東京都公文書館」の「日本橋の麒麟(きりん)像-当館ホームページのロゴ画像について」には、「日本の道路の起点となる日本橋から飛び立つというイメージから、それまでの麒麟の作品には見られない羽を付けることを決めた」とある。もうひとつ、興味深いサブ・モチーフに、「日本橋七福神巡り」がある。
この「日本橋七福神巡り」が、江戸を感じさせてくれるから、なお楽しく見ることができるというものだ。
劇中のセリフがなかなかいいのである。
一番どきりとさせられたセリフは、以下である。

「死を、死を、まじかに迎えた時、人はやっとプライドや意地といったものを捨て、本当の心を取り戻します」

もちろん、上記の「本当の心」というのは、陽明学で言う
「良知」
のことである。
中井貴一の演技がなかなかいいのだが、そのほかの役者も、実力者ばかりで、大根役者はいない。
長くなったので、この続きはまた次回にでも。



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