■「龍と鳳凰に人が乗って空を飛んでる、あの絵が良かったよね」

 日曜日は流石に疲れていて、「ボストン美術館展」の感想も満足には書けていなかった(苦笑)。考えると、上野駅から美術館への往復を含め、2時間余は美術館の中を歩き回っていたことになる。
 子供たちに感想を問うてみた。
「印象に残っている作品は?」
 と問うと、見事に二人とも一致したのだが、狩野養信(かのう・おさのぶ)
『仙境(せんきょう)・簫史(しょうし)・弄玉図(ろうぎょくず)』
 であった。
「龍と鳳凰に人が乗って空を飛んでる、あの絵が良かったよね」
 とのこと(笑)。
 参考までに、ネット上にあるこの度の展覧会のHPの解説には、こうある。

「蓬莱(ほうらい)のような仙境をイメージさせる風景に、簫(しょう)を手に、龍、鳳凰に乗る蕭史と弄玉を組み合わせた3幅対。
 狩野晴川院養信(1796~1846)は江戸城障壁画の制作で知られ、写実的空間を取り入れるなど狩野派の画風を変革した江戸時代後期を代表する幕府の御用絵師」


 「晴川院」は、号である。
 簫史とは、秦の穆公(ぼくこう)の時の簫 (小さな竹管を編んでつくった一種の笛)の名手で、簫で鳳凰の鳴き声をつくったという人物。
 弄玉とは、秦の穆公の娘。
 『仙境・簫史・弄玉図』は、次のような伝説をもとに描かれたようである。サイト上にある『漢詩のページ』「錦嚢のある風景」の「天上謡」から抜粋させて頂いた。

「蕭史という蕭(管楽器)の名人が居た。その音色は鳳凰の鳴き声の様であった。
 弄玉もまた蕭を吹くので、穆公は二人を結婚させた。
 何年も経った後に弄玉の吹奏も鳳の声のようになり、鳳凰が来てその家に止まった。その後、蕭史は龍に、弄玉は鳳に乗って天界へと飛んでいった」


 弄玉は、仙人の簫史(しょうし)から、鳳凰の声のような簫の吹き方を学んだ。それゆえ、弄玉が蕭を吹くと、鳳凰が飛んできたという。

■『雲龍図』は、もともとは、8面からなる襖絵だったが、胴体部分を描いた4面が失われている

 
まだまだ二人とも幼いので、といっても息子は中1、娘は高1であるが、色遣いが綺麗で、ファンタジックな作品が好きなようである。
 蕭白は、他にも蕭史を題材として
『蕭史吹笙図屏風』
 を描いている。

 息子は、さらに伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう)の
『鸚鵡図(おうむず)』
 が印象に残ったという。
 この若冲初期の作品も、今回の展覧会の目玉の一つである。
 
 私のみならずとも、妻も子供たちも気にいっていた曽我蕭白(そが・しょうはく)
『雲龍図』
 に関しては、
「胴体の絵が残っていたら、もっと良かったのにね」
 と、娘が残念がっていた。
『雲龍図』は、もともとは、8面からなる襖絵だったが、胴体部分を描いた4面が失われているのである。
 
 陽明学左派と言えば、儒・仏・道はもともと一つであるとする「三教一致」だが、曽我蕭白はこの「三教一致」をテーマにした作品をよく描いている。
 蕭白は、酒もよく飲み、碁も好きだったという。
 私はというと、もう酒は飲めなくなってきたし、碁や将棋は、あまりやらない(苦笑)。


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