■悲劇の歌手フローレンス・バラードは、アル中になり、32歳で亡くなった 

 26日(日)である。
 私の仕事机は、窓際にあるので、窓側の左足が冷えること(苦笑)。机の下に電気ストーブを置いて使っているのだが、それでも右足の、特にかつて自動車事故で鞭打ちをして以来痺れが来る膝上部分は、冷えてどうしようもない。それゆえ、なかなか仕事に集中できないのである。
 

 久々に、我が家のマイ・ブームについてである。
 妻は、好きだったホイットニー・ヒューストンが急死して、がっかりしていたのだが、今は、映画
『ドリーム・ガールズ』
 (といってもケーブルで録画しておいたものだが)を見て以来、ビヨンセにはまっている。
 1960年代に大ヒットしたダイアナ・ロス&ザ・シュープリームス(Diana Ross & the Supremes)とモータウン・レコードがモデルになっている映画である。今では、シュープリームスではなくて、スプリームスと言うようだが、私は、シュープリームスで育ってきた(笑)。
 WAR、エディー・ケンドリックス、マービン・ゲイ等のコンサートやカーティス・メイフィールドの歌をフィュチャーした映画『スーパー・フライ』などを見てきた私にとって、モータウン・サウンドは、まさしく青春時代の音楽であった。
 もう少し詳しく言うと、『ドリーム・ガールズ』は、シュープリームスという3人娘の一人のフローレンス・バラード(1943~76)が抜けて、その後に入ってきたダイアナ・ロスの成功物語であり、その後売れなくて苦悩するフローレンスの悲劇物語でもある。つまり、映画の前半の主役は、フローレンスであり、後半の主役が、ビヨンセ演じるダイアナ・ロスなのである。
 フローレンスは、スプリームスをダイアナ・ロスに追い出された後(苦笑)、契約の関係で“元シュプリームス"を謳うことを許されず、それでもソロ歌手として2枚のシングルを出したがヒットせず、アルコール依存症になり、貯金は悪徳弁護士に食い尽くされ、晩年は公団住宅で過ごし、失意のうちに1976年に心不全で亡くなっている。32歳という若さであった。
 実際には、四人でシュープリームスとして活躍していたのだが、途中からダイアナ・ロス&ザ・シュープリームスという形で、ダイアナ・ロスが前面に出たために、他のメンバーとの関係が悪化し、グループのリーダー格だったフローレンスが抜けることになるのである。
 ダイアナ・ロスの抜擢は、モータウン・レコードの社長のベリー・ゴーディーの判断だったと言われているが、映画の中でも描かれているように、ベリー・ゴーディは、フローレンスともダイアナ・ロスとも関係を持っていて、そのことも関係していたようである。
 映画の中では、フローレンスがかなり我儘女に描かれているが、実際は、ダイアナ・ロスの方が、スターになるためには、何でもやるていのエゴイストだったようだ。

 そのことを物語るエピソードを一つ。ネット上にある「モータウンが生んだスーパー・エゴイステック・ビューティ、ダイアナ・ロス(ザ・シュープリームス)」を参照させて頂いた。

 
1983年に「モータウン25周年記念コンサート」が開催された時のこと。
 このコンサートの目玉のひとつにシュープリームスの再結成があり、当日はそれが舞台の上でひさしぶりに実現しました。故フローレンス・バラードの後がまとなっていたシンディー・バードソングとオリジナル・メンバーのメリー・ウィルソン、そしてダイアナの3人が舞台に現れると、会場は大きな拍手に包まれた。
 3人は歌いながら少しづつ歩み寄っていったが、なんとダイアナは、近づいてきたメリー・ウィルソンにひじ鉄をくわせ、マイクを落とさせたのだ!(もちろん、そのシーンはテレビ放映の際、カットされました)すごい女です。
「あんた目立ち過ぎよ!」
 とでも言ったのでしょう?



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