■一般的に同僚や同年輩以外の年長者や世話になった相手には賀正、迎春などの2文字熟語は避けるのが慣わしである

 謹んで新春のお慶びを申し上げます。

 年賀状の始まりは、歴史的には、平安時代の貴族や公家が始めたことで、年始の挨拶に行けない遠方の人への挨拶だった。
 それが、江戸期になって武士の世界で一般化し、やがて一般庶民の間でも年始のあいさつ文書が交わされるようになったのである。
 ここで、注意を要することがある。
 あけましておめでとうございます、謹賀新年など、
「いくつかの決まり文句があるが、一般的に同僚や同年輩以外の年長者や世話になった相手には賀正、迎春などの2文字熟語は避けるのが慣わしである」
 などとウィキペディアにあった。
 私も、こんなことまでは知らなかった(苦笑)。
 今知っても、私の場合は、もう後の祭りであった(苦笑)。
 果たして、皆さんは、如何であったろうか。

■寝正月とは、「どこにも出かけず正月を家でゆっくり寝て過ごすこと」

 3日(火)である。
 朝8時に起床。
 と言うのも、昨夜は遅くとも10時には床に就いていた。
 と言うのも(笑)、私は31日の朝から、喉(のど)の痛みと咳(せき)に悩まされ、そのために体力を消耗し、翌1日もほとんど横になってテレビを見る、というありさまであった。
 まさしく、文字通りの
「寝正月」
 である。
 妻も、31日まで働いて、久々の三連休ということで、やはり「寝正月」と決め込んだ。
 ただし、厳密に言うと、寝正月とは、
「どこにも出かけず正月を家でゆっくり寝て過ごすこと。また、病気で正月を寝て過ごす場合、縁起をかついでいう」
 とある。
 と言うわけで、正月恒例の御酒と言えば、家族で恒例の御屠蘇(おとそ)をちょっとずつ飲んで、小さい御猪口に一杯飲んだくらいで、食欲も無いので、粗食ですませ、2日の夜に、家族で鍋で「野菜入りの豚しゃぶ」をつついた程度であった。
 もちろん、パソコンも触らず、本も開かなかった。
 ただし、横になってテレビを見続けることにした。
 家族の迷惑も顧みず(苦笑)、私は、御正月には、きまって、能や歌舞伎を見ることにしている。私の父が、正月に限らず、よく能や歌舞伎を見ていたのだが、いつの間にか、私の習慣になってしまった感があるが、正直言って、私も子供のころには、当時の幼い私に言わせれば面白くも無い能や歌舞伎を見て父がテレビを独占しているのが、とても嫌だった(苦笑)。
 といっても、一方では、子ども心に、伝統芸能に感心を持つ父への尊敬心はひそかに抱いていたものである。
 そんな父から私が習い覚えた謡曲は、初心者向けで知られる
「橋弁慶」
 ただ一つであった。
 私が見たいと言うのもあるのだが、せめて正月だけでも、能や歌舞伎の音が室内に流れているだけで、私がそうだったように、子どもたちは、能や歌舞伎の片りんに触れることが大事だ、と思ってのことでもあるのだ。

■能「天鼓(てんこ)」と、歌舞伎「彦山権現誓助剱(ひこさんごんげんちかいのすけだち)」を見た。

 話を戻して、見続けたテレビのこと。
 録画していたところの、能
「天鼓(てんこ)」
 と、歌舞伎
「彦山権現誓助剱(ひこさんごんげんちかいのすけだち)」
 を見た。
 後者は、仇打ちものである。女剣士の立ち回りが見れる点でも、興味深い。
 個人的には、鬼平役で知られる中村吉右衛門・主演だったから見たかった、というのもある。

 印象に残ったのは、
「天鼓(てんこ)」
 である。
 音楽法要によって、霊が昇天する話、とも受け取れるこの演目は、教訓話といってもいいものだろう。皇帝の我ままから素晴らしいミュージシャン天鼓を殺してしまうこと、その最高権力者の命に抵抗したがために殺されてしまったことへの天鼓の反省も含まれている。
 以下は、そのおおよそのストーリーである。

 
中国・後漢の時代の話。
 王伯・王母という夫婦は、子どもを授かるのだが、王母が、天から鼓が降って胎内に宿るという夢を見て授かったので、「天鼓」と名付けた。その後、父異議なことに、鼓が天から降ってきたので、天鼓は、この鼓とともに育つのである。
 天鼓の発する鼓の音は、多くの人々を感動させ、やがてその噂は皇帝の耳にも入った。
 そして、皇帝から、鼓を召し出せとの勅令が下される。
 天鼓は、その命に背いて、鼓を持って山に隠れてしまうのだが、やがて見つかり、呂水という川に沈められてしまうのである。
 鼓は、宮殿に運ばれて、楽師たちが演奏しようとするのだが、誰が打っても全く音を発しない。
 そこで、皇帝は、天鼓の父・王伯を呼びだして、鼓を打つように命じたのだった。
 鼓が鳴らなければ自分も殺されることを覚悟して宮殿に上がった王伯は、今は亡きわが子への思いを胸に鼓を打ったところ、この世のものとは思われない音色が鳴り響く。
 感動した皇帝は、褒美を与えて王伯を帰し、天鼓の冥福を祈るため、呂水のほとりで管弦講(音楽法要)を行ったところ、なんと、水中から天鼓の霊が現れ、懐かしみながら鼓を打ち、管弦に合わせて、喜びの舞を舞い、夜明けと共に消え去って行く。



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