■教育委員会にも、学校側にも、いじめに対する具体的な対応策が無いのだ

 
大津市の中2の男子生徒がいじめを苦に自殺した事件で、同じ中学に子どもが通うというお母さんたちからいくつかコメントを頂戴させて頂いた。ちなみに、私は、公立に通う小6の息子と、中3の娘の父親である。
 教育委員会にも、学校側にも、いじめに対する具体的な対応策が無いのだ。
 話せば長くなるが、かつての、たとえば体罰ありの教育方針を、かつての文部省と日教組が改革して、現在の形、つまり体罰厳禁の
「子ども中心主義」
 に作り変えてしまったのである。
 今では、子どもの人権を過剰に守り過ぎた形になってしまっているのだ。
 結果、手を出せない先生は、子供たちからなめられて、いじめは横行し、授業中にもさわぎまくるという混乱ぶりとなっている。
 娘の通う中学校で、授業中に堂々と机にうつぶせになって寝ている子や紙飛行機を飛ばす子がいるが、これは生生にもよるが、注意もしないでひたすら黒板に向かって、説明しながら(苦笑)、板書するだけの先生もいる、つまり黒板の方を向いて、授業をしているのだ、これが普通の状態なのである。
 勉強をしたい子どもは、勉強に集中できないし、当然、日本人の学力は低下し続けている。
 今では、企業で、大学生の学力を再教育するというのだから、驚きである。大学卒に値しない、低学力の大学生が大量生産されているのである。
 数年前の話だが、私の知る小学校の某先生などは、熱血ぶりが有名だったが、問題児の生徒に、突然後ろからドロップキック(飛びけり)を受けて、背骨にひびが入ってしまった。
 それでも、先生たちは、生徒に対して何も罰則を与えないのである。その生徒は、何のおとがめもなく、そのままその学校に通った。今その生徒は、中学生だ。
 生徒たちが、増長するのは当たり前である。

■時には「体罰あり」のしつけ指導もよしとするこの古き良き教育方針に、アメリカ国民の83パーセントが支持した

「子ども中心主義」についてである。
 私の造語などではない。
 日本の公教育が、子どもたちの人権を過剰と言えるほどに尊重するようになったのには、理由がある。そのお手本がアメリカにあったからである。
 アメリカの公教育は、60年代以後、ジョン・デューイの教育理論、フロイトの娘のアンナ・フロイトやエリック・エリクソンらの精神分析学の影響を受けて、子どもたちを規則や罰則で型にはめるのではなく、その逆の、学校独自の規律を強制しない個性重視の自由化(自由放任)、人間化の方針を徹底した。
 言い換えれば、学校の中が、ストリート同様の自由な校風へと変わっていったのだ。
 結果、アメリカは、子供たちの著しい学力低下と風紀の悪化に陥ったのである。
 そのころのアメリカの教育の現場は、以下のようであった。

「教師は、昔の毅然たる姿勢を失い、生徒の歓心(喜び)を買う芸人と化し、生徒は、権威に対する尊敬を忘れて、刹那主義に走る者が多くなっていった。これが、70年代初頭におけるアメリカの学校の風潮であって、伝統的な『古き良き教育』がほぼ完全に崩れさってしまったのである」(加藤十八『アメリカ教育のルネッサンス』学事出版)

 そして、70年代後半以後、南部の父母たちが中心となった草の根運動
「基本に帰れ!(Back to Basics!)」
 が展開されていくことになる。
 1981年1月、アメリカ合衆国大統領のロナルド・レーガンは、就任早々教育改革に着手、「子ども中心主義」から
「教師主導型」
 へ移行させたのである。
 基礎学力の充実と規律の回復という伝統的な教育の在り方に回帰したのだった。
 時には「体罰あり」の「しつけ指導」もよしとするこの古き良き教育方針に、アメリカ国民の83パーセントが支持したという。
 長くなったので、この話の続きは、また次回にということで、コメントに対しての私の感想、意見を以下に述べさせていただきたい。

■できれば、いじめられた経験の無い人に、いじめ問題は語って欲しくないし、語れない。

  私は、拙著
『イヤな「仕事」もニッコリやれる陽明学』(三五館)
 に吐露させて頂いたように、中学3年間は、いじめで苦しんだ。自殺のみならず、相手を殺すことも考える毎日だった。
 一番の原因は、私の父が警察官だったからである。指導、補導されていた不良たちにとって、憎くてたまらなかったのであろう。
 こういうと、必ず、いじめられるのは、いじめられる側にも、問題があるからだ、と言うことを平気で言ってくる人がいるのだが、私が警察官の息子だからという理由でいじめられたという話は、当時の教師たちも知っていたことだったのだ。そのことは、数十年ぶりで参加した中学校の同窓会の席上で、数十年ぶりに会った当時の恩師の一人に言われて、私も驚いたのである。その同窓会でのことも、上記の拙著に書かせて頂いた。
 そんな経験から言わせて頂くのだが、クラスの同級生たちは、暴力行為を見ても、被害を受けたくないので、見て見ぬふりをするし、たまたま先生に見つかったにしても、仕返しが怖いので、
「プロレスごっこをしていたんですよ、そうだよな、林田」
 と言われると、
「そうですよ」
 と言って、笑顔でごまかすしかないのである。
 いじめっ子たちと遊んでいて、仲良しのように見えるかもしれないが、事実は、属に言う「パシリ(使い走り)」なのである。
 不良たちの溜まり場に、父と補導の先生たちが踏み込んで補導し、少年院に送ったり、あるいは女子生徒が妊娠して転向する、不良の男子生徒のかばんにはドスが入っていて、恐喝して金品をまきあげる、そんな中学校が私が通った中学校だった。
 できれば、いじめられた経験の無い人に、いじめ問題は語って欲しくないし、語れない。

 このことも前に本ブログで書かせて頂いたことだが、中学時代の同級生が、あるとき、中学時代の同級生から、
「中学時代にお前にいじめられた。許せない」
 と食ってかかられたと言う。
「おれは、ちょっとからかったかもしれないけれど、いじめた覚えが無いんだ。そう言われてショックだった」
 と私に言ってきたが、私から見れば、彼はあきらかにいじめグループの一員だった。
 アメリカの教育の現場が、良い方に変わったように、現実に、いじめが無いクラスや学校も、存在しているのである。ということは、より良い方向に変えれるし、いじめを少なくすることも可能なのだ。
 原発事故による放射線に関する安全神話にも騙されてはいけないし、いじめ問題にも慣れっこになってはいけない。

 新たに、いじめに関するショッキングなニュースが沖縄から飛び込んできた。以下、「いじめから子供を守ろう!ネットワークブログ」からである。

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●小6男児、集団暴行 女児が動画撮影
【2011年11月3日 琉球新報】【沖縄県】

 本島内の小学校で10月に、6年生の男子児童が複数の同級生から暴行を受け、その様子を別の女子児童が携帯電話で撮影していたことが2日、分かった。
 被害を受けた男児に大きなけがはなく、現在も学校に通っているという。学校や管轄する教育委員会が児童や保護者から話を聞くなどして詳細を調べている。

 関係者によると被害男児は10月20日の昼休み、体育館で4人以上の男子児童から殴るなどの暴行を受けた。女子児童は暴行に加わらなかったが様子を撮影した。現場には多くの児童がいて暴行の様子を見ていた。児童らは体育館入り口に教諭らが来ないよう見張りも立てていたという。撮影された動画は女児の他に複数の生徒が見ている。

 学校側は当初、暴行を把握していなかった。女児の関係者が携帯電話に保存されていた動画を見たことから発覚。1日に学校や教委に連絡した。被害者側は警察にも相談しているという。
 被害児童は日ごろからいじめを受けていたという話もあり、学校側が実態を把握していたかなど、教委が事実関係を調査している。学校側もいじめの実態について児童にアンケートを行った。

 教委は
「早急に情報を収集しながら学校や関係者へ指導を行いたい。臨床心理士と連携した児童のケアも進める」
 と説明した。
 学校側は
「今までも心の教育をしていたが、十分でなかったことを反省している。児童のケアをしながら、保護者にも説明したい」
 と話した。

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