■「宗教的行為の自由」を阻害するのでは

 
30日(日)である。
 いつだったか、「暴力団排除条例」とやらの施行の一環で、神社への暴力団の集団参拝を拒否する指導がなされているという記事を目にし、
「そこまでやるのは、ちょっと行き過ぎではないか」
 との思いを抱いていたのだが、そのことについて新たな進展があったので、触れさせて頂く。
 新聞記事を目にした当時、
「行き過ぎではないか」
 と思ったのは、暴力団といえども中にはいい人もいるだろうし、公務員といえども中には悪い人もいるわけで、職業や外見で人を判断できないことは、当たり前の話で、社会的には嫌われる存在であっても、信仰心があるのであれば人としてまだましなのだし、信仰心をさらに深める契機になるのだから、その機会さえも奪うようなことをする必要はないと思ったのである。
 私に言わせて頂くなら、まるで逆で、むしろ、神社に行くように仕向けるべきだと思うのである。もちろん、これ見よがしの参拝は、一般の方々に迷惑になるので、一般の方々に恐怖感を与えるなどの迷惑行為があれば、指導し、迷惑行為を自粛するのであれば、むしろ神道や宗教に関心を持って頂いているのだから、積極的に参拝して頂くべきなのではないだろうか。
 もうひとつ、「信仰(信教)の自由」という問題もある。
 そこには、
「宗教的行為の自由」
 つまり
「宗教上の礼拝や祈祷その他の宗教上の行為に参加し、またはこのような行為をしない自由」
 が含まれているのだから、県警であれ、国家であれ、そこまで規制することはできないはずである。
 神社側は、毅然とした態度をとるべきであろう。
 以下、そのことに関しての最新ニュースである。

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●「暴力団お断り」は重々承知ですが… 初詣の集団参拝に神社対応苦慮
「産経ニュースwest」2011.10.30 20:41

 暴力団排除条例が全都道府県で施行され、来年の初詣への暴力団の参拝をめぐり、神社側が対応に苦慮している。
 
指定暴力団山口組総本部を管轄する兵庫県警が
「結束強化につながる」
 として地元神社などに集団参拝を拒否するよう要請したことが発端だが、宗教行為と暴力団排除の“両立”という課題を背負わされた形の神社関係者は
「作法に従っている参拝者を拒めない」
 と困惑している。

「命令ではなく、あくまで要請ですから、どう対応したものか…」

 今月20日、兵庫県警から県神社庁(神戸市中央区、約3800社)とともに暴力団の集団参拝を断るよう文書で要請された神戸護国神社(同市灘区)の関係者の歯切れは悪い。同神社は指定暴力団山口組総本部の北、わずか約200メートルにあり、最高幹部らが毎年元日に集団参拝するのが恒例となっているからだ。
 神社関係者の胸中は複雑だ。兵庫県内のある神社関係者は
「作法に従って粛々と参拝しているものを拒否することはできない」
 と否定的な見方を示す。
 県警が受け付けないよう要請したのは、暴力団の団体名を示しての祈願祈祷(きとう)のケース。しかし神社によっては、団体名ではなく、代表者の名前を記帳する場合もあるという。仮に集団参拝を拒否するにしても、
「神社の職員が(記帳した)代表者を組員と判断できるのか疑問」(東京都内の神社関係者)
 と問題点を指摘する声も上がっており、今後「集団参拝」の定義が議論の対象となってくる可能性もある。
 一方、暴力団抗争が激化している福岡市内の神社関係者は
「一般参拝客に迷惑をかける恐れがあるため、暴力団の集団参拝は受け付けていない」
 という。
 ただし、受付時に会社名で偽装している可能性もあるといい、
「外見ぐらいしか判断材料がない」
 と、表情を曇らせる。
 今回の要請について、全国の神社を包括する神社本庁(東京都渋谷区)は、対応を
「勉強中」(担当者)
 の段階。
 暴排条例は都道府県ごとに施行され、それぞれ内容も異なるため、
「神社本庁が全国向けの注意文書を作成するのも難しい」(同庁関係者)
 という。
 暴力団に詳しいノンフィクションライターの溝口敦さんは
「神社側の見解によっては、今後、大きな問題になる可能性がある。警察に対しての立場もあるが、宗教団体としての立場もあり、神社側は迷うところだろう」
 と話している。


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