■宇都宮市立図書館では、1日20冊の本が無くなっているという
偶々TVをつけたら、宇都宮市立図書館での話で、それも本を借りて読む人のマナーの悪さについてだった。
この話は、宇都宮だけのことではなく、全国レベルでのことだという。
利用者のモラルの低下を物語る行為というのは、以下の3点であった。
・なくなってしまう
・傷つけられたり汚される
・書き込みされる
「なくなってしまう」と言うのは、紛失、いわゆる万引き(無断で持ち出し)である。
驚いたことに、宇都宮市立図書館では、1日20冊の本が無くなっているという。それも、この数年ひどくなっているとのこと。
また、本が壊れされて・・・、ぼろぼろのひどい状態で返却されているのだ。
たぶん犬か猫だろうが、動物が齧ってぼろぼろになった本、表紙や中も破れてばらばらになりそうな本、そういった本を、敢えてガラス・ケースに入れて、展示したのだという。無言のメッセージである。
その他に、私が個人的に驚いたのは、例えば『仏教とは何か』といいう本の中の余白ページに、びっしりと書き込みがあるのだ。書き込みをした人の意見だか感想なのだろうが、それにしても仏教を学ぼうという人が、これでは・・・、話にならない(苦笑)。
さらに『東洋の心』という本には、書き込みがあった。
書き込みの中には、文字一文字一文字に○を付けながら読んだ形跡のあるもの、色付きの蛍光ペンでアンダーラインを引いたもの、勿論、鉛筆やボールペンでアンダーラインを引いたものもある。
雑誌類のページの切り取りも絶えないようだ。
まるで自分の本と同じ扱いである。
自分以外にも読む人がいるわけで、その人達への思いやりは、微塵も感じられない。
■「傍(かたわ)らに人無きが若(ごと)し」
まさしく、
「傍若無人(ぼうじゃくぶじん)」
というしかない。
「傍若無人」とは、「傍(かたわ)らに人無きが若(ごと)し」
から、
「人前をはばからず、勝手気ままにふるまうこと」
「人を人とも思わないこと」
を意味する。
ついでながら、この言葉の出典についてである。
以下、ウィキペディアを参照。
秦(しん)の時代、燕(えん)の衛(河南省の一部を支配した諸侯国)の荊軻 (けいか)は、筑(ちく)の上手い高漸離 (こうぜんり)と酒を飲んでは、うたって、酔い、騒ぎわめいて、まるで傍に人がいないかのような振る舞いをして暮らしていたという故事から。
荊軻(けい か、ビンイン :Jing Ke, ? - 紀元前227年 )は、中国戦国時代 末期の刺客。燕の太子の命を受け、策略を用いて秦王の政(後の始皇帝)を暗殺しようとするが、失敗し逆に殺された。
高漸離は、荊軻の友人で、音楽をよくし、楽器の筑を撃つのが巧みであった。荊軻による始皇帝暗殺失敗ののち隠れたが、筑をもってふたたび知られるようになり、始皇帝 に召された。
始皇帝は、高漸離が荊軻の友であることを知るが、高漸離の音楽の才能を惜しんでその両の目をつぶして、筑を撃たせて賞美した。高漸離は、後に、荊軻の志をとげようと筑に鉛を仕込んで機会をうかがい、殴りかかるが失敗し、誅殺された。
話を戻す。
冒頭で述べたような反則行為をやる人に対して、弁償させるとか、図書館への出入り禁止とかの罰則規定はないのだろうか。
学校も、やはり同じような悩みを抱えているに違いない。
これは数日前のこと。
中2の娘が学校の図書館から借りてきた本の表紙と本文部分がはがれかかっていたので、娘と一緒に補修して返却したばかりであった(笑)。
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