新生活については新ブログにお引越ししたけど、またブログテーマが収集つかなくなるので、諸手続きはこっちのブログで・・・。


本日は、健康保険の手続きに行ってきました音譜

手続きっていってもサービスBCに行って、申請書に記入しただけひよざえもん やったね

申請用紙はランディングの時に渡される書類の中にもあるので、それを申請用紙に書いてあるヴィクトリア住所に郵送するのでもOK。

失くしちゃってもサービスBCにあるけど。

ちなみに私は、窓口提出ならどこに行けば良いかしらなかったけど、他の方のブログでサービスBCに行けば良いっていうのを知りましたあせる

だってランディングの時にもらった申請書にはヴィクトリアの住所があるだけで、


最寄のサービスBC窓口で申請する

OR

ヴィクトリアのこの住所へ郵送してください


なんていう分かりやすい指示は一切書いてないんだもん!汗

自分で申請してねと言われて用紙をもらったは良いけど、「んで、この用紙を記入したらどうすればいいワケ?」って思ったよ、マジで。


その点、カスタマーサービスが進んで至れり尽くせりな日本と違うわ。


この国では、自分で調べないと何も進まない叫び

誰も親切に指示してはくれないってことか。



ちなみに、健康保険と言いましたが、正確にはMSP(Medical Service Plan)と言うらしい。

州によるけど、BC(ブリティッシュコロンビア)州は3か月の待機期間があるはずなので、実際に加入できてカードが来るのには3か月かかることになるはず。

一応3か月カバーする個人保険には入っているんだけど、落ち着かないから早く来てほしいわ~。

カードが届けば、病気になってもタダで病院に行けるからね。

カナダの健康保険は、収入によって毎月の保険掛け金がかわるけど、日本の健康保険との決定的な違いが2つあります。


1.収入がゼロか極端に少ない場合は毎月の掛け金はゼロ→日本は無収入でも高い掛け金を要求されて、掛け金(国民健康保険料)を納めないと保険に入れない(無保険になるので、何の保護もない医療費全額負担)

2.先進医療を除き、医療行為であれば無料→日本は通常3割負担


日本の健康保険制度は、


病気になって働けなくなる→無収入→健康保険料が払えない→無保険→高額医療費が払えなくて病院にかかれない


という魔のスパイラルにハマる危険な構造があって、決して弱者や病を抱えた人を守るための制度じゃないと思う。

金が払えないやつには医療サービスを提供しないというのが大原則ってことだもんね。

カナダは、貧しくても医療サービスはすべての人が平等に受けられるっていうのが原則。

そういう意味では、とっても安心して暮らすことができると思う。


話を戻して、申請には、申請用紙と一緒にPRカードの表裏のコピーを添付しました。

コピーを準備しろって書いてあったのは知ってたけど、まあいいやと思って何も準備せずに行ったら


「PRカードのコピーしてきた?今もってるならコピーしてあげるわよ。」


と言って、さらっとカウンター裏でコピーしてくれました。


このあたりは、


「規則なんで、こちらではコピーできません

お客様でコピーをご用意ください」


って、真後ろにコピー機があるのにコピーしてくれない日本の役所よりは融通が効くといえばきく。

忙しい都会のブランチはわかりませんが、田舎なんでスタッフも気さくっていうか親切でした。

待ち時間も10分くらいだったし、待つことが少ないのは人口が少ない田舎の特権か?





シェムリアップのもうひとつのメインイベントは、お買いものでした音譜

ブランドバッグとかの話じゃないよ。

お土産やら、ちょっとした小物やら、そういうものです。


私は元々お買いものを沢山する予定じゃなかったし、どうせお金を使うならば、経済的に一番後発の国でお金を落とそうと思っていたので、カンボジアまでお買いものは待っておりました。

お土産買うなら、カンボジアが安い!

シルクのスカーフが一枚USD2~3だから、免税店でお土産用チョコレート買うより安いかも。


アジアン小物とかはほとんどなくて、衣料品中心って感じだったけど。


マーケットでお買いものするなら、


キッチン小物やインテリア用品ならバリ

色んな物をまんべんなく見たいならベトナム

衣料品ならカンボジア


かな。


シェムリアップには、日が暮れてからオープンするナイトマーケット(観光客向け)と昼にあいてるオールドマーケット(食肉や生鮮野菜などの地元の人向け食糧品と観光客向けのお土産やさんの両方アリ)があります。

オールドマーケットはローカル向けの食品店も多く、どうみても不衛生な台に生肉やらがドカドカ置いてあったりして、ニオイがキツイ汗



32歳でワーホリ終了。33歳なその後。
オールドマーケット付近の街並み


32歳でワーホリ終了。33歳なその後。
肉売り場はグロくて写真なし汗

大きな倉庫の中って感じで、薄暗い



お買いものするなら品揃え的にも断然ナイトマーケットですが、小虫に注意。


32歳でワーホリ終了。33歳なその後。
ナイトマーケット



32歳でワーホリ終了。33歳なその後。

32歳でワーホリ終了。33歳なその後。
ナイトマーケット内のバー

食事もできる。マーケット内にあるから値段が高いかと思いきや、リーズナブル。

ただしハッピーアワー50セントビールは無い


夜に外でやっているマーケットだから仕方ないと思うけど、各店舗にぶらさがってる懐かしのハエ取り紙は満員御礼状態です。

バッグや衣料品のポケットやら内側に、この小蠅(蠅か蚊か不明だけど)みたいなのが大量に溜まって死んでたりします。

夜とびまわっていた虫が、昼の間、衣料品やバッグの隙間の暗闇にもぐりこんで、そのまま死んでるんだと思う・・・叫び

自分のスーツケースに入れる前に、ひとつひとつ裏表ひっくりかえしてパンパン!とはたく必要ありです。



シェムリアップの遺跡以外の観光は、地雷博物館とマーケット。

まずは地雷博物館の話を。


地雷博物館、日本人の姿はなかった。

ベトナムのクチトンネルにも日本人はいなかったけど、あっちはまだ「トンネル」っていう観光目玉があったから、日本人観光客もたまにはいるっぽい。


この地雷博物館、ホテルやマーケットのあるメインエリアからも、遺跡があるエリアからもちょっと離れていて、片道40分くらいかかったので、休みが続けてとれない日本人はそんな離れた所には行かないのかも。


この博物館の設立者は、カンボジア人のアキラさんという人。

両親の名前どころか、自分の名前も生年月日もわからず、内戦中の軍で他の孤児と一緒に育てられて、10歳で武器を持ったご本人が、自分で「これを生涯の名前にしよう」と決めたそうだ。

軍を転々とする中で、その時々で色んな名前で呼ばれてきたんだけど、内戦が終わった後に出会った日本人ジャーナリスト達が、彼をアキラと呼んでいたことからつけたんだとか。



自らが、内戦中に沢山の地雷を埋めてきたんだそうだ。

それが普通だと思っていたし、戦争が普通だと思っていたという子供時代。

今はその地雷を撤去する活動をしていて、自分の国の人々を守りたいという思いで、撤去して集めた地雷や不発弾で博物館を作ったらしい。

地雷の撤去って命がけな訳だけど、地雷をしかけるプロだったからこそ色んなタイプに精通していて、今はその知識を、このタイプの地雷はどう撤去すれば良いかっていうところに使っている人。

カンボジアには、今でも600万個の地雷や不発弾が埋まっていると言われているそうだ。

だから畑や田んぼを作ろうにも、そう簡単に未開の土地に手を出せない。

土地を広げられないっていうのは、発展途上国にとって本当に手痛い足枷なわけで。

600万個の地雷を撤去するのには、あと何十年かかるんだろう。


日本でも、今でも時々住宅街で不発弾が見つかったっていうニュースが流れるけど、数が違うもんね。

戦地だった日本にも、空襲でたくさんの爆弾が落とされた。

「今でも、たまにだけど、東京でも不発弾が見つかることはある」と相方に言ったら、びっくり仰天してました。

自分の庭を掘り返したら戦争の時の爆弾が出てくるっていうのは、戦地にならなかった国では有り得ないことなので、想像すらできなかったらしい。

やっぱり、戦地であった国と、戦地になったことのない国の人の、戦争の見方は、生々しさが違う気がします。



とはいえ日本でも、戦争を体験している世代は、私達の祖父母世代。

私達の子世代は、戦後生まれの人間からしかその歴史を聞くこともなくなる。

そうなると、生々しさは抜け落ちて行く。

でもその分、個人の感情の制約を受けずに事実を受け止めることができるはず。


体験世代だと、感情が絡んで事実が曲げられたり、婉曲されて伝わる面もあるからね。

親類や知人が戦争で○○人に殺されたってなれば、その人達にとっては○○人は憎むべき敵でしかない。

だから○○人は鬼だ悪魔だ畜生だっていって、個人感情が「真実」であるかのように伝わる。

感情で脚色された事実だけで歴史を語ると、恨みという感情だけが残って解決手段の存在しない問題に発展する。

それを政治に利用している国は、幼稚だと思うけどさ。


歴史を正しく分析できるのは、個人感情が絡まなくなる3世代先の年代、時間でいえばだいたい60年を過ぎてからなんだって、何かの本で読んだ。

なるほどって思った。

それほど長い時間を要してしまうと、資料が失われたり(意図的であれ事故であれ)、別の問題も出てくるけど、利害関係がある直接の世代が居なくなったからこそ外に出てくる資料もある。

だからこそ私達は、一方的に自国で教育で与えられた情報だけじゃなく、違う視点で語られた同じ歴史を、自分で勉強しに行く必要があるんだと思う。

日本人もこれからは、観光旅行といえども、歴史を勉強するような場所に自ら出向いていく必要があるんじゃないかなと思った。



ちなみに地雷博物館の、展示品の説明や内戦の歴史の説明は、日本語パネルもありました。

そんなに大きな博物館でもないけれど、是非行ってみてください。

青々と茂る草や木々の自然あふれる風景に、一歩ふみこんだら命を失うかもしれないという事実。

街から博物館までののどかな自然も、少し違って見えてくるかも。