統合失調症発症の一因
精神科医療を巡っては不法なことがまかり通っているのが事実である。本来、臨床においては、医師が病気の人を見つけ出して、強制的治療を施すことはあり得ない話なのである。あくまで本人と医師との契約に基づくものであり、第三者が介入する話ではない。
ところが、素人はこの常識を弁えず、疑わしい人間を試そうとすることがある。統合失調症かどうか素人が確かめようとすれば、統合失調症の患者が抱く妄想の世界を、その人に対して作り出すことになり、その人の性格が弱ければ、統合失調症と思われる症状が現われるのは当然なのである。これは決して、その人が統合失調症であることではない。これに医師が気付かない場合、医師が統合失調症と判断してしまう可能性は高いのである。
統合失調症でないにも関わらず、坑精神薬を服用すれば、副作用だけが現われ、悲惨な結果になるのは避けられない。坑精神薬の危険性は以前述べた通りである。
陰湿ないじめとして、このようなことが行われることもあるのである。本来ならば、企業の人事部、警察、自治体の職員でも、このようなことは行ってはならないのである。
決して、素人が人を統合失調症であるか確かめてはならない。そのようなことをすれば、性格の弱い人間は統合失調症と思われる症状を示してしまうのは当然なのである。これは、決して、その人が統合失調症であるということではない。素人は、この点を勘違いするのである。
かようなことは巌に慎むべきであることを、肝に銘じるべきである。あきらかな越権行為なのである。
今回の自立支援法は、このような行為を助長するものであり、まことに残念なことである。如何に反動的なことであるか自覚されないとは不思議である。精神科医療に対する偏見であるのは事実であろう。統合失調症と誤解され、警戒されるとすれば、その苦痛は計り知れないものであろう。まことに遺憾である。
統合失調症予防策
「人間の心の病で最も深刻で重い病は”猜疑心”というものである。」
できれば次のサイトに目を通して頂きたいですが、私の記述だけでも充分理解可能と思われます。
http://www.antipsychiatry.org/japanese.htm
ーーーーーSさんへーーーーー
今時こんな患者いませんよ。現在のところ、ドーパミン仮説しかありません。「仮説」です。レインやクーパーの反精神医学、社会学者の役割理論などのほうが、精神疾患というもの政治性や被レッテル性をよく捉えています。
随分古い理論を持ち出していますね。40年以上何の進歩もないというのも不思議ですね。
誰にとっても自分に都合が悪い人間は「異常」なのですよ。猜疑心の強い権力者や大衆に近づかないようにするのが、唯一の防御策です。今度は自閉と言ってくるでしょうが、猜疑心の強い人間は、何に対してもクレームを付けてきて、権力行使を行なうことに快楽を覚えていますから、近づかないで防衛するしかありません。
多数決によって病気とされることもあります。とにかく逃げることです。犯罪を犯さない限り、警察も手を出せません。しかし、犯罪でもないことに、いちゃもんを付けること自体おかしな現象だと思いません?学ぶべきは政治学です。
インターネットの世界はともかく、現実世界で理由もなく興味を示してくる人や、人間にしか興味を持てない人には近づかないほうがよいでしょう。そういう意味では、文系よりも理系の人達と付き合ったほうが安全です。彼らは基本的に政治的発想や権力志向性を持ちませんから。
ーーーーーKさんへーーーーー
私はありませんね。バリアフリーの活動をしていますから、接触する機会が多いですが、貴方の偏見や認知の偏りに問題があるのではないですか。私に言わせれば異常な人などひとりもいない。むしろ向精神薬の副作用の結果が症状と誤解されているように思います。
ドーパミンを抑えれば、動作も遅く、陰性症状に陥るのは当然ですからね。薬の副作用なのか、病気による症状なのか、判断は難しいと思います。
医学教育は暗記教育の職業訓練ですから、医師の研究能力や思考力も高いとは言えません。これは、ある医師が告白していました。我々は研究者ではないから分からないと。正直な方だと思いました。
薬の服用は習慣が付く前に止めたほうがいいですよ。殺虫剤を修飾した化合物が多いので非常に危険です。
ーーーーーKさんへーーーーー
貴方には「他人の幻聴」が聴こえたり、「他人の幻覚」が見えたりするのですか。できるというなら超能力者みたいですね。独断ではありませんか。短絡しているのは貴方です。これは、患者とされる人の表現力も絡んでおり、言葉通りとるほうが馬鹿です。幻聴、幻覚を訴える人も、何らかの比喩表現をしているに過ぎないと思います。現実に他人の幻聴や幻覚を確認する手段はありません。それよりも、そういう主張をする人の「意図」を理解するほうが、科学的ではないですか。
再度言いますが、「他人の幻聴」「他人の幻覚」の存在を信じるほど短絡的で、非科学的なことはありません。だれにも、これらを確認できないと言うのが、動かせない「事実」です。
科学は万能ではありません。
治験は人権侵害の一種ではないですか。傲慢な意見はお止め下さい。
精神医学も心理学も実存を無視した一般論に過ぎません。反精神医学は人間の実存とまともに格闘し、個々の実存としての人間を扱いきれなくなり、挫折したにせよ、従来の精神医学や心理学が無視してきたものの存在に気付かせたのです。
まあ、お若い人には分からんでしょう。
最近は薬品のデータベースが販売されるようになり、薬の効能や副作用が医師でなくとも知ることができるようになりました。それを見れば全て明らかです。私が説明する必要はありません。
パーキンソン病を発症させる向精神薬が安全と考えるほうがおかしいと思いますよ。
ーーーーーKさんへーーーーー
貴方の意見を認めても、向精神薬の危険性は明らかじゃないですか。
パーキンソン病でなく、パーキンソン症状という言葉に代えれば、危険性はなくなるというのは詭弁ですよ。
向精神薬の副作用には物凄いものがあります。結婚生活が不可能になり、結婚を諦める人達もいます。人生を左右することさえあるのですよ。
薬のデータベースを調べてからレスして下さい。
自分の意思で精神科の門をくぐるのは自由です。ただし、精神科医にできることは、薬物療法による対症療法だけであり、根治はできません。そのことを一般の人は認識しておく必要があります。精神科医はスーパーマンではなく、問題解決能力には限界があるという認識も必要です。弁護士と相談したほうがよい場合もあります。
病気でないのですから、根治などという言葉さえナンセンスです。
ーーーーーKさんへーーーーー
私はあるかないか決定できないと言っているだけです。不可知論ではありません。
どんなことでも確実な事実の上に理論を構築しなければ、無意味な理論になるのは当然でしょう。
統合失調症についてのスレッドでしょう。「向精神薬だけ特別扱い」しているのではなく、統合失調症のスレッドだから、向精神薬を問題にしているだけでしょう。貴方の論理では、何の話をしているかも分からなくなり、支離滅裂になりますよ。
「全ての薬に副作用があり、軽い精神病ならば、副作用の出る薬はでない。」という命題は意味をなしますか?一種の非文であり、論理が完全に破綻しています。それでも、私はあなたの人権を尊重し、精神病扱いはしませんがね。多分、数学も論理学も哲学も素養がないのでしょう。
確かに、私の強い論理性に反論できず、苦痛から、支離滅裂に陥るのは貴方だけではないですから、いい経験をしたと思い、勉強に励んで下さい。健闘を祈ります。
学問には終わりも限界もありません。
ーーーーー賢者へーーーーー
神経伝達物質だけでも、エステルのアセチルコリン、アミンのノルアドレナリン、ドーパミン、セロトニン、ヒスタミン、アミノ酸のグルタミン酸、アスパラギン酸、ガンマアミノ酸(GABA)グリシン、ペプチド、サブスタンスP、エンケファリン他20種以上に及び、更に新しい発見がなされています。
つまり、かなりの数の仮説を生成できますが、特定は不可能かと思います。
ドーパミンが増えるから興奮するのか、興奮するからドーパミンが増えるのかもはっきりしません。はたしてドーパミン仮説も正しいのか、検証は未だになされていません。
統合失調症の原因を人間の内部に求めるのでは、昔からある憑依を精神病の原因にする発想からも何ら進歩が見られません。狐の代わりにドーパミンと言っても現実に変化はありません。
私の反論者でさえ、対人関係の問題として、統合失調症を捉えています。
人間の内部から外部へという発想の移動が、レインやクーパーの反精神医学、社会学(ミードなど)の役割理論による、統合失調症の解明への道筋を付けています。
脳科学、化学、薬学などを援用するほうが先端的に見えますが、発想自体は反動的です。恐らく謎は深まり、迷信が語られ、おかしな仮説が流布する結果にしかならないでしょう。
大体、対人関係に問題がある人が、精神疾患とされることが多いのが事実ですから、分子レベルで考察するのでなく、人間関係そのままを考察すべきでしょう。
木村敏なども、和辻哲郎を援用して、人間と人間との「間」の問題として考察しています。
精神医学でも論客が少なくなり、薄っぺらな議論が多くなったように思います。
ーーーーー悩める人へーーーーー
まあ、ケースバイケースというのが現実でしょうね。ただ、医師やカウンセラーはクライエントに自分が万能で何でも解決できるという印象を与えるように教育されています。あまりに彼らに依存すると、最終的に裏切られたと感じるのも事実です。私も通院歴がありますが、結局薬物による対症療法以外のことはできないことがわかりました。人間関係に問題を抱えていても、医師には介入する権限はないので、依頼しても断られるだけです。相手が家族の場合はこの限りではありません。従って通院は止めました。
確かに薬に頼る気持ちは分かりますし、頼るのも自由です。
ただ最初に申し上げた通り、ケースバイケースで、心理テストやメンタルヘルスの対象になって(特に企業内に於いて)、不本意に、長年、通院(酷い場合は入院)、服薬を強要されるケースも多く、後になって、そういう措置によるトラウマに苦しむケースもあります。現行法では本人ないし家族の承諾なしに、そのようなことはできないことになっていますが、一昔前は、第三者(企業の人事部など)がこれを行い、人権侵害が公然と行なわれていたのです。このようなことはあってはならないことです。
私の言いたいことは、本人の意思が最優先されなければならないということで、精神医学を否定しようということではありません。薬に頼りたい人は、頼ればよいし、誰にも頼らず孤高の道を歩むのもよいと思います。
大きな問題は、家族でもない第三者が特定の人間を精神病扱いすることで、これは無くさなくてなりません。
こう考えていくと、精神医学の知識は両刃の剣であることが分かるはずです。
本人の意に反する形で精神医学の知識が使われるのにはあくまで反対です。精神医学の知識を広めることも、素人や大衆が勝手な解釈をして、他人を試したり、ちょっかいを出す要因になります。これは危険なことです。越権行為でもあります。
私の言いたいことは、医療においても、本人の意思が最優先されるべきだということです。本人の意思は個人個人違いますから、必然的にケースバイケースになるはずです。そうでなく、一般論で語れば、必然的に本人の意思を無視する結果になります。実存主義との接点がここで生じます。
一般論で済ませれば楽なのは事実ですが、個人には一般論に当てはまらない部分が必ずあり、理不尽な経験に繋がってしまうのです。
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ある精神障害者の方が言っていました。「自分のことを精神障害者と知らない人達とは何の問題もなく仲良く付き合えるのであるが、自分のことを精神障害者と知っている人からは、その人が専門家でない場合、必ず理不尽な扱いを受け、トラブルになるので付き合わないようにしている。普段自分が精神障害者であることを知られないように必死になっている。一番の苦痛は、妄想と決め付けられたり、幻聴があるのかとか、素人考えの質問をされることである。」と。
私はレインやクーパーの反精神医学の洗礼を受けた世代なので、統合失調症は存在せず、人間関係がもつれた場合に、不利な立場にある人間に張られるレッテルに過ぎないと思っているから、精神障害者と接しても、異常は見出せないことが多い。したがって、差別もしないし、偏見もないから、精神障害者と普通に付き合えると評判の男である。実際、生真面目で大人しい人が多く、犯罪率は健常者の1パーセントに過ぎない。これは警察統計で示されている。
精神障害者を異常と判断する側の責任が問われないのは不思議である。自分に都合が悪くなると相手を精神病扱いしたり、悪者扱いするほうが悪党ではないか。そのような悪党が多いのが現実ではないか。それも徒党を組んで行なわれることが多いのは卑劣極まる話である。
よく考えてみたいものである。
「自己と他者」「引き裂かれた自己」などのレインの著作を読み直してみようかな。
私も昭和50年代半ばにこれらの本を読んだ覚えがある。当時は精神分裂病と呼ばれ、不治の病と深刻視されたが、それは事実無根であることが判明している。本態も症状の統一性もないはずである。なぜなら「政治的出来事」を「発病」と錯覚しているのであるから、病気でない人達を治療しようとしても成果が挙がるということも治癒することもあり得ないのである。まさに「不治の非病」である。治療という名の強制的人格改造に苦しめられた人も多いと聞く。過去の治療によるトラウマに苦しめられている人もいて、やむを得ず通院を続ける人も多いと聞く。向精神薬の副作用も物凄いらしい。まるで悪夢である。
私が子供の頃は、人間の命は地球よりも重いと教わったものであるが、人権侵害が跋扈する世の中になったようである。
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私が不思議に思うのは、精神障害者と呼ばれる人達の性格が、基本的に生真面目で大人しく誠実であるのにも関わらず、拘束されたり、警戒されたりすることです。確かに消極的な人達が多いです。しかし、よく考えてみれば、消極的であることが悪いことであると断言できないのは明らかです。私などむしろ積極的な人に困ることが多いからです。何故人畜無害の人達が治療の対象にならなくてはならないのでしょうか。抵抗しないと心得ている人間によるいじめだと思います。
危険性の全く無い人達を鍵が掛けられた病棟に入れるのは、明らかな社会の矛盾であり、人権侵害です。
最近はひきこもりが問題視されていますが、「家」とは人が本来いるべき場所です。本来いるべき場所である「家」にいて何の問題があるのでしょうか。ニートやリストラされた中高年にとって、外出や外食をすれば出費が増えますし、ひきこもるのは経済的に見て合理的な選択です。特にニートは就職先も無く、お金もないでしょうから、家にいるしかないのではないでしょうか。無理に家から追い出せば、本人も苦痛から、自殺や犯罪に走る傾向はないのでしょうか。
現在の法律では自傷他害の恐れがなければ、強制入院はあり得ません。精神障害者の人達の性格は述べた通りなので、少なくと「他害」はあり得ないことです。いまだに偏見と差別が法律の中にまで染み込んでいる証拠かと思います。危険のない人達に対して、どうしてこのような規定を設ける必要があるのでしょうか。明らかに矛盾しており、偏見、差別、人権侵害を示すものと思われます。
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他人事について勝手に断定するのは、例え医師であろうと間違った行為でしょう。あまり他人に影響を与えるような言動は避けるべきです。こういうことが多いから、統合失調症が生じてしまうのであって、考えの順序が逆なのです。統合失調症だと最初に誤認するために、治療が強要されて、統合失調症の存在が信じられ、固定されてしまうのです。
治療自体、症状を抑える薬を投与し、副作用に対しては別の薬でパッチをあてるというのは、Windowsみたいですね。Windowsのほうが遙かに高度ですが。この例でも精神医学は子供並の思考レベルであることを示しています。
措置入院も自傷他害のおそれがなければあり得ません。現実の精神科医は、例え私が批判しようと、Kさんほど非常識ではありませんから、彼の言う例はあり得ないことです。また法的手続きも面倒で、医師のほうが嫌がることです。拘束期間も限度があり、本人の意思表示があれば、その期間内に開放しなければならないことになっています。意図不明の殺人や傷害を犯さなければ、現行法では、措置入院はあり得ません。医師も訴訟は嫌いますから、あり得ないことです。
兼好法師は、自分がキチガイだと叫びながら、街中を走り回るのが本物のキチガイだと言っています。自分で病気と言っているんだから、もう、私は関与しないですけどね。しかし、自分を基準にして、他人に対しても判断するのは迷惑ですね。
他人に迷惑を掛ける恐れのある発言は止めましょう。他人とあなたは違うのですから。
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Kさんの言う実態は20年以上前のものであり、時代錯誤も甚だしいと思います。現在は、閉鎖病棟を廃止する病院も多いですし、入院したとしても、現在は3ヶ月ほどで退院させられるのが普通です。本人が病院に居たいと言っても追い出されてしまいます。
社会の常識も変化しており、早めに社会復帰させるのが基本で、長期入院による社会性の喪失のほうが問題視されるようになりました。また統合失調症の軽症化は20年以上前から指摘されておりますが、Kさんは中世のことを言っているのでしょうか。
閉鎖病棟を見学する権限はどこから来るのでしょうか。あり得ない話です。
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K氏の発言は、一種の優生学であり、ナチスがユダヤ人差別から大量虐殺を行なった時の論理と全く同じであり、危険極まりないものです。
事実と想像(妄想)の区別もできないようですし、空想に基づく極端な独断的傾向には、異様なものを感じます。
確かに、K氏を精神科医に任せるのが適切ですし、彼も本望でしょう。早く入院したほうが良いでしょう。精神医学がお好きなようだから、そうすれば、主治医と存分に議論できることでしょう。我々素人の出る幕ではないようです。
私は病気でもない人間が病気とされるケースの問題性を指摘しているのであり、その点誤解の無いようお願いします。
紹介したサイトも、レインやクーパーの反精神医学とは異なるものであるのも事実です。
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>Sさんへ
先端的なことを言う前に、放送大学教材の「障害者福祉論」とかに目を通して最低限の知識を得ておく必要があると思います。問題は医学だけでないことが分かると思います。法律(精神保健福祉法、精神保健法、最近の障害者自立支援法など)、社会制度、医療制度、授産施設など各種施設などに関する知識も必要です。関わる人達も医師や研究者だけではありません。医療ケースワーカー、心理学者、公務員、法律家を含む大きな問題です。他にもいろいろあります。ドーパミン仮説など、正直言ってどうでもいいことです。
Sさんは大学職員のような感じがしましたが、誤解のようでしたね。あなたが教育研究に携われるはずありません。世間知らずです。マイミク解消ありがとう。
>Yさんへ
確かに私は弱いかも知れないです。しかし、パスカルではありませんが、考える葦です。私の思考能力は強靭なほうです。だからこそ、支離滅裂な言明には、混乱してしまうのです。
>皆さんへ
妄想を抱くことに問題はありません。だれでも妄想に耽っています。問題はKさんのように、妄想と現実を混同することから始まります。この時、現実を優先させて、妄想を捨てればよいだけの話です。これができない人は病気と言われても仕方ないと思います。
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統合失調症(と呼ばれる)人達が警戒される理由の一つとして挙げられるのは、いわゆる心神喪失による犯罪が時折起こることであろう。しかし、これが本当に統合失調症(と呼ばれる)人達によるものか疑問である。
犯罪者に対する罰則を軽減するために、弁護士が発行する免罪符みたいなもので、弁護士の皆さんも軽々しく「心神喪失」という言葉を連発しないで頂きたいものである。精神障害者を追い詰めるようなものである。精神障害者が窮鼠猫を噛むという世相を作ってはならないであろう。
犯罪者も罪を逃れるために、精神症状を訴える可能性も否定できない。しかし、その犯罪者は刑務所に入れられる代わりに、措置入院ということが行なわれることを忘れないほうが良いだろう。犯罪による措置入院は無期懲役に匹敵するものであり、通常の犯罪者よりも人権が尊重されないと考えたほうが良いだろう。エキセントリックな精神科医に当れば、法律無視の治験、人体実験が行なわれないとは限らない。心神喪失とされても無罪となって開放されるのではないことを認識すべきである。心神喪失は免罪符ではないのである。
もう一つ大きな問題は、警察・検察に携わる人間の知能の低さと無教養ぶりにある。警察などは、自分たちの理解力の極端な低さを棚に上げて、理解できないとただちに相手を異常扱いする傾向がある。私自身も警察とは高度な話はできないとの印象を強く持っている。警察官自ら、難しい話は分からない、と正直に認めるのであるから、どうしようもないことであるが、警察官採用に知能検査はないようであるし、警察官育成教育にも大きな問題がありそうな感じを持っている。教養のある警察官など見たことがない。たまに法律に詳しい人もいるが、法律の知識さえ持たない人もいるのは驚きである。警察にとって、理解できない言動は、正しくても、精神病を示す発言と解釈する可能性は高い。
上の三つの要因の相乗効果によって、統合失調症による犯罪が多いという神話ないし錯覚が起きるようである。
動かせない「事実」は、警察統計にあるように、精神障害者による犯罪率は健常者の1%に過ぎない。精神障害者の人口比は1%であるから、精神障害者による危害を加えられる確率は、健常者による危害の一万分の一に過ぎず、ほぼ存在しないと言ったほうが正確である。警察自体が警察統計を無視するのは不思議である。
最初の疑い
私が最初に精神障害を疑われたのは、東大在学中の4年生から大学院修士課程のK.H.研究室に配属されていた時である。疑った人間は、高温超伝導で有名なK.K.元東大教授、S,Y.元東大助教授である。普通、家族でない第三者が他人様の精神疾患を疑うことは、少なくとも現在では、法的にあり得ないことである。触法精神障害者は別の話である。
実際、こういうことに関わると、精神疾患を本人が本当に抱えているのかは問題ではないことが実感できる。本人が病気でなくとも、周りの人間が合意すれば、精神障害とされる政治的出来事であることも多かったのである。精神疾患というレッテルを貼る人間の職業として、教師、企業の人事労務畑、警察官、公務員などが挙げられる。都合の悪い人物を始末するには手っ取り早いやりかたではあった。
しかし、現在は家族以外の第三者が他人様の精神疾患を疑うことは、逆に医師法違反、人権侵害、名誉毀損、ハラスメント、とされ、逆に犯罪行為であるというように認識が強まってきている。無闇に精神障害者を増やせば、社会保障費の増加にもつながり、賢明なことではないと認識されるようになったようである。そもそも、他人様の心が見えるはずもなく、精神疾患を疑うということは、人権侵害の危険性をはらんでいるのである。この点は精神科医も同様で、彼らも慎重にならざるを得なくなっているようである。精神科医を縛っている法律は多い。問題は、なんら教養もない大衆が、集団心理に乗って、スケープゴートを作り出す可能性である。しかし、これに対する対処は簡単で、一般大衆と関わらないようにし、交際相手を制限すればいいだけである。
一般大衆は精神障害者より、自覚がない分、厄介なところがある。自分は絶対に正しいと主張し、反省や自省する能力が、精神障害者よりもはるかに低いからである。精神障害者と呼ばれる人達は、自ら考えすぎる嫌いがあり、大人しい傾向が強い。
では、また。
