胎児の記憶の時もお伝えしましたが、お母さんの胎内にいるときの記憶は、今の自分に影響していることが多々あります。

ものの考え方、自己認識、他人との接触、善悪、あらゆることが知らず知らずのうちに刷り込まれています。

もしお母さんがあなたを妊娠中に、ダイエットをしていたまたはお腹が大きくなること、体重が増えることに抵抗を持っていた、または妊娠中毒症などで食べ物を受け付けなくなったなどがある場合、あなたにも食べることについて、なにかしらの抵抗を持っていると思われます。

今からあなたはお母さんの着ぐるみの中に入ってみてください。

そしてお母さんの立場になって考えてみてほしいのですが、なんのためにお母さんは妊娠中という大事な時期に、ダイエットをしようと思ったのでしょうか。
お腹が大きくなること、体重が増えることに、抵抗を持ったのでしょうか。

あなたを身ごもっているお母さんが、毎日の生活の中で、何を思ってダイエットをしていたのでしょうか。

ダイエットをするということは、十分な栄養が足りないかもしれません。
お母さんの体内に取り入れられた栄養が胎盤を通り胎児に与えられます。

そうすると、お母さんの栄養自体が足りないのだから、胎児の栄養も足りない。
いつもお母さんも胎児も、お腹ペコペコな状態が続いているのです。

無事出産した後の授乳中も、お母さんのダイエット状態が続いていたとしたら、乳児の時も腹ペコちゃんでいたかもしれません。

そしたらあなたは、もしかしたら離乳食の始まるペースが早かったかもしれませんね。
ミルクじゃ足らない、食べたい、だから離乳食をはやく始めて!とお母さんにサインを出し、早めの離食が始まったかもしれません。

そこでおいしいものをお腹いっぱい食べると、周りの大人は

「いっぱい食べたね!」

「いっぱい食べて大きくなってね!」

と食べることを喜んでくれることを知り、たくさん食べていいんだ、と思うようになります。

しかしだんだんと年数が経っていき、思春期になると今まで食べていた量や内容を制限し始める出来事が起きます。
それが自分軸の未確立に伴う、他者との比較なのです。
いわゆる、憧れの存在に近づくためのダイエットなのです。

正しい知識を持たない危険なダイエット。
何のために痩せたいのか、間違った目的のダイエット。
他者の賞賛や賛美を欲しがるためのダイエット。

これらが始まってしまうと、ここから先はずっとそのスパイラルに陥ってしまうのです。

そうなるとこの胎児だった子は、お母さんと同じ道をたどる可能性がある、ということになるのです。

前にもお話しましたが、脳は人称を認識できません。
お母さんは自分のことを言っているつもりでも、胎児の脳はそうではありません。

お母さんの中に入ってみて、どんな気持ちですか?

「私は痩せていないと魅力がない」
「妊娠して太ったら、旦那さんに嫌われる、浮気される」
「みんなに心配されたいから、特別扱いされたいから痩せていたい」

けなげにそんなことを考えていたとしても、胎児も同じことを考えてしまいます。
お母さんに罪があるわけではなく、こういうことが起きているとお母さんは知らなかったのです。

これを知ったあなた。
あなたは自分の子どもに、同じことをしたいですか?
気軽なダイエットのはずが、摂食障害にまで陥ってしまうようなことを、子どもにさせたいですか?

あなたが今このことを知るということは、ここで連鎖を止めるキーパーソンだからです。

自分のダイエット経験、摂食障害経験を、健康的なダイエット、健康的な出産育児に役立てましょうよ、ということなのかもしれません。

お母さんの胎内にいた記憶は書き換えられます。

それはまた別の機会にしますね。

 

 

kojemiのいとかるし

 

 

摂食障害をしていた最中に、40歳を過ぎたころからある変化が起こりました。

顔のたるみ、特に目の下がたるみだしたのです。

下瞼から頬にかけて、ハリがなくなったというかげっそりしだしたのです。

自分ではなんとなく「そうかなあ」みたいな感じだったんだけど、ある日友人が私の顔を見て「げっそり」のポーズをしたの。

それで、ああ、やっぱりそうなんだなあって。

年齢のせいかなとも思ったんだけど、そのげっそり感が過食して思いっきり吐いた後の顔だったの。

とってもショックでした。
私、こんな顔になっちゃったの?
って。

自分の顔が劣化していく。劣化どころか壊れていく。
あんなに美しかった自分の顔。大好きだった自分の顔が変わっていく。
それが受け止められなくて、鏡を見るのが怖くなった時期がありました。

摂食障害をしている人の特徴として、唾液腺の腫れがあるけど、下瞼の弛みもそうなんだとこの時実感したの。

この時ばかりは過食嘔吐をしていたことを後悔した。

摂食障害、過食嘔吐の代償。
痩せたい、美しくなりたい、そこから始まって、やがてはストレス解消の手段になり、食べたら吐けばいいじゃんくらいの軽い気持ちで続けていたことが、あろうことか顔に出てしまった。

写真に写る自分は、無理に頬骨をあげて不自然な笑顔。
なるべく口角も上げて、満面の笑みで弛みを目立たせない。

もう、本当に本当に、なんでこんなになっちゃったの?って
どうしたらハリが出るの?上に上がるの?

エステも化粧品もマッサージもトレーニングも、試せるものは全てやった。

でも、思うほどの結果は出ない。
そして最後は、諦めた。
抗うことなく、この顔を受け入れることにした。

だって、これも自分の顔なんだもの。

51年一緒にいてくれた顔。
25年摂食障害した顔。吐いて涙と鼻水でぐちゃぐちゃになって、げっそりした顔。
瞼が腫れて、めっちゃブスになった顔。その顔を見て作り笑いをした顔。

それもこれも、全部自分。

その顔を否定するということは、これまでの自分を否定すること。
だから、たるんだ顔も自分の顔だと認めて受け入れた。

そしたら今はまた、自分の顔が大好きになりました。

51歳の余裕、妖艶さ、経験、知恵、知識を全部醸し出している私の顔。

毎日自分の顔に、大好きと言えるようになりました。

美しくいたい。
それは世界中の女性誰もが思うこと。
それを不自然な形で追い求めると、不自然な結果を招きます。

美しくいたいあなたは、自分の顔がある日突然、思いと真逆の方向にあることを知ったら、どうしますか?
受け止められますか?逃げますか?避けますか?抗いますか?

それは、もう早く気づいてよ、というサインです。

受け止めるのは顔の変化ではなく、もう摂食障害をしないでいる、という現実。

摂食障害に逃げずに、現実を受け止めることです。

泣いても笑っても一度の人生なら、笑って生きていきましょうよ。
自分を責めず後悔せず、どんな自分も丸ごとOK。
そんな大きな器を持って、生きていきましょうよ。

摂食障害を終えた今、私はこのことに気づきました。
だからあなたにシェアします。

気づきは早ければ早い方がいいです。
1秒でも1分でも早い方がいい。

どうか、気づいて。

 


 

あなたが過食や拒食をしている理由が、他人の言動だったとします。

あなたはその相手に、抵抗や反論はしましたか?

してもなお、むしゃくしゃして過食や拒食をしている、という場合。
それは何に対してむしゃくしゃしているのでしょうか。

反論に反論してきた相手に対して?

それとも言いたいことを全て伝えられなかった自分に対して?
反論に負けてしまった自分に対して?
ほっときゃいいのに反論なんかしてしまった自分に対して?

いずれにしても、相手への怒りや憎しみから過食や拒食をしているとしたなら、その人のために自分の命を削ったことになります。

使ったんじゃなく、削った、です。

なぜなら、しなくてもいいことをして、自分の体を犠牲にしているからです。
内臓や粘膜、細胞、あらゆるところに負担をかけて、相手への怒りを収めようとしています。

しかもお金をかけて。過食材を買った費用は、相手にあげたようなものです。
相手のせいで拒食になって治療した費用もそうです。

そして機会も損失しています。

過食をしている時間、拒食で病院に通っている時間。
それらの時間は、何か生産していますか?

その時間を使ってあなたは、本を読むこともできるでしょうし、何かを調べることもできるでしょう。
ゆっくり休むことも、仕事をすることも、友達と話すことも、趣味をすることもできる。

あなたの寿命は何年ですか?
過食する時間が1時間だとして、人生の何分の一を過食に使うのですか?
私は1日1時間として、週に3日だとする。
1週間で3時間。1ヶ月で12時間。1年で144時間。
それを25年だから3600時間。これだけの時間を過食嘔吐に使っていたのです。

なんてもったいない!時間は命です。そんな貴重な命を他人のために捧げていたなんて、馬鹿馬鹿しくないですか?

素人から仕事のプロになるには、10,000時間が必要だ、と言われています。
プロになるための約⅓の時間を、私は過食嘔吐に使っていたのです。

時間は戻ってきません。
若ければ若いほど、その時間は貴重です。

相手への怒りや憎しみは、自分の命を削るだけでなく、それこそ何も生まれません。
さらに自分に負担をかけていくだけです。

人のせいにして過食拒食をするのは、もうやめにしませんか?

その人が嫌なら、離れればいい。
職場でも学校でも、合わない人はいる。
人と関わりを持つということは、人間の生活をしている証拠。
社会で生きているということ。

1人で山奥や無人島に住みたいのならそれもいいけれど、人間として生まれたならいろんな人と関わって自分を成長させていくことが自然なこと。

あなたがどんなに願っても祈っても、相手は変わらない。
変わるのは自分。
相手が悪いのだから、自分が変わるのは悔しい。そう思うかもしれないけれど、相手より自分が1段上にいくことで、もうその相手の言動が気にならなくなります。

もう、人のせいで過食拒食をするのはもう終わりにしませんか?
自分が一つ上のステージに行くことで、見える景色も起きる出来事も会う人も変わります。

そして、これまで苦しんだ時間の分まで、思いっきり人生を謳歌してください。

自分の命を、もうこれ以上相手に差し出さないでください。

どうか、どうか、自分のために自分の命、時間を使ってください。