読む少女 (角川文庫)/岸本 葉子
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【「私」って何だろう、という疑問。
人はどこからきてどこへ行くのか、という問い。初めてその胸にしまった秘密。わからなかった「愛」という存在。友達との交換ノートに記された、静かな哀しみ。父親の古い本の片隅に記されていた落書き…。
「読む」ことで自分なりの答えを見つけてきた著者の体験と、みずみずしい少女時代の記憶の欠片。
誰もが通り過ぎてきた、あまく切ない気持ちをそっと呼び覚ます、珠玉のエッセイ。 】

大変だなあ。

■ 感想とか色々~

“いかにも”なあらすじの割には楽しめました。
ああ、あったあった、こんなの。はお姉さんがいたからこそ見えていた「反抗期」。56~57。

思春期の子を持つのは、親にとってもはじめての経験である。
上の子は、成長の段階でひとつひとつ親とぶつかっていかなければならない。
下の子にできるのは、せめて自分からは原因を作らないこと、だけである。


ああ、(この先)あるかもしれないなあ、こんなの。は146ページ。

それなりに受け取るものはあったけれど、「青春」と言われる時期でなければ感じとれないこともあったのではないか。そう考えると、後悔にとらわれる。
 ある年齢ですべきことを、私はしないで、来てしまった、と。


考えないわけでもないし、考えるという言葉を使うほど大仰なものでもないがな。でも結局の所二律背反だからなあ、と開き直ってる。
仮定として、太宰さんなり夏目さんなりが生きている時代と一緒にわたしが生きてたなら(出版された本がリアルタイムであれば)読んでいたかもしれないけど、まあこればっかりはねえ。
「青春」を中高生にしたら怒ってたかも。あと自分が「後悔」したからってその年代の人達に押し付けたらものすっごく怒ってたと思うけど、ただ自分の中にあるだけの悔やむだけのものなら。
高村光太郎さんの「レモン哀歌」の中の「すずしく光る」、「生涯」と「一瞬」は好き。
そうそう、言われても困るよねえ。62ページ。

「レモンに託した思いから、智恵子への愛を理解しましょう」

「素晴らしい」と「教科書に載っている」はイコール「面白い」じゃないからなんとも言えない。

お父さんとの確執や学校に通うことすらひとりでは出来ない自分や、
誰だって水面下では辛いこと、同じように考えた子供が泣きじゃくったこと。
不安なこと不安定なこと。
P86のあの人の胸の中にも、なみなみと悲しみをたたえた湯桶がある。
「自分だけではない」というのは思い上がりを挫くときも使うが、ひとりではないことを思い出すときも使う。
「それ」はただの事実であって、慰めにするか励ましにするか教訓にするかお説教にするか絶対的な答えはない。
淋しいから群れることも、悲しいから傷を舐めることも、楽しいから手を取り合ってはしゃぐことも、泣く傍らに寄り添うことも、嫌いな使われ方があるだけで、それそのものは嫌いじゃあないよ。

101! お父さん……!!
「生キル事ニ理屈ヲ付ケル馬鹿!」!!!

あーでもここも結構好きかも。近いな、110。
自分の世界に踏み込んでくるものとして、よけい頑なな態度を取ってしまいそうだ。
わたしは、どこまで自分がこのまま「頑なな態度」を取り続けるか、結構な見物だよなあ、と思ってる。(変わらない、とは言い切れない。変わる、とも言い切れない。永遠も絶対も、わたしには見付けられない。見届けることも出来ない。
変わる瞬間よりか、変わったと認めた瞬間にこそ、大笑いしたくなるだろう)


エッセイと知らずに買って積読でした。
言っちゃえば「読書」スタイルに関することと「少女」の心。
単純に素直にざっくり言うなら 作家の人生を読みたいとは思わない です。

漫画家が描いたエッセイってどこかにあるのかな。
この場合エッセイという言葉は厳密に言えば違うんだけど。
一緒にしていいなら作家さんのブログはちらほら読んでる。

カバーイラストは網中いづるさん!