私ごとですが愛犬が虹の橋を渡りました

9年前運動会の打ち上げバーベキューをしていた時、近所の畑でうろうろしていたのを子どもたちが追いかけ回し捕まえてきました。

警察に連絡すると

「連休だから保健所も休んでいるし警察では預かれないから預かって欲しい」

と言われ、みんなイヤがる中、マリがどうしてもと頼むのでうちが引き受けました。


ブルブル振るえて人間を怖がっていました。

小型犬で外に置いておくと死んでしまうような子です。

でもどんな病気があるのかもわからず玄関に連れ帰りました。


その日は主人は熱が出て寝込んでいて犬の話をすると「絶対飼えないから警察に連れて行くように」と言いました。


子どもの運動会は連休の最初の土曜日。

次の日は日曜で休み、月曜も祝日、次の日は振替休日で私は子どもに合わせて休みを取っていました。


日曜、私は用事で子どもを連れて出かけ、その間、主人は玄関に犬を見に行きました。

ブルブル振るえる犬を見て

「この子が保健所に行くと1日で死んでしまう」と思ったそうです。

主人は誰よりも優しいし、動物が好きです。

見てしまうとダメでした。


連絡が来て、飼い主が見つからなかったら飼おうか、と言われました。

帰宅してから警察、保健所に連絡。

届けが出ていないので獣医師に連れて行き病気の有無を診てもらいました。


ワンコは歯がボロボロ、顔は白髪だらけで腕は折れた痕があり尻尾はハサミで切られ歪んでました。

推定10歳超えのおばあちゃん。

獣医師の指導で獣医ネットワークの迷子届けを出しポスターを何部も作り自治会に配り近所に貼ってもらいました。


たちまちは蚤などはいないけれど変な咳をして心臓も悪いだろう、でも保護犬は最低1年は大きな処置は出来ない、訴えられて負けたことがある(病気予防の避妊をした)と言われました。


そしてうちの子になりました。

当時のマリとユリは小学2年生と保育園の年長さん。

チャイと名付けたワンコは子どもには全然懐きません。

女性も怖いらしく私にも懐きません。

主人が作業着を着ると切なそうに見つめ、主人にだけ尻尾を振ります。

トイレは躾けられ吠えず噛み付いても本気では噛みません。

とても賢い子です。

散歩は主人以外だと家の周りから離れません。不安そうに周りを見て家に帰ろうとします。

作業着の男性だけ追います。


ただ、とても食いしん坊で餌をあげる私にはどんどん懐き、頭をすり寄せお腹を見せて甘えてきました。


9年の間にマリとユリは少しずつでパパから離れて成長します。

パパ大好きで「将来結婚する」と言ってまとわりついていた子たちですが、いつの間にか手をつなぐことはなくなり帰宅しても玄関を開けて飛び出す事もなく

「お帰り」と言うくらい。

そんな中でチャイはいつもブンブンと尻尾を振って出迎えます。

病気になり歩けなくても主人にだけは首を上げて尻尾を振ります。


犬ってこんなに健気な存在です。


4年前は子宮蓄のう症と言う病気にかかりました。

ほとんどの犬にかかる可能性がある病気で出産させる気がない時は幼犬の頃に避妊手術をするのが一般的だそうです。

かかった場合も外科手術が一般的だそうですが、うちの子は老犬で麻酔に耐えられないと言われ、服薬だけでした。

餌も食べられず毎日点滴に通い注射をしました。

死を覚悟しましたが、奇跡的に助かりました。

先生には「宝くじに当たる確率」と言われました。

うちは宝くじに1度当たったと言える幸運を受け取りました。


治りましたがその時からチャイは老犬だとみんな認識しました。

前以上に可愛く愛しいと自覚し、普段愛情表現をほとんどしない主人もチャイだけは可愛い可愛いと口に出して撫でます。

少しずつ少しずつ老いていき、寝て過ごす事が増えたある日、気がつくと腕にシコリがありました。

たった数日でみるみる腫れ上がり慌てて「癌治療にも力を入れている」獣医師を探して受診。

肉腫でした。

すごい速さで大きくなりました。

幸運にも神経や血管を圧迫しておらず

「もしも肉腫が大きくなり過ぎて肉が裂けたらすごい痛みになる。それまでは薬で炎症を止めながら騙し騙し過ごすしかない」と言われました。

チャイは老犬でしたが、食欲旺盛で中身はまだまだ元気です。

肉腫の破裂と寿命はどちはが先なのだろうかと恐ろしく思う毎日が始まりました。

体重2.8キロの小さな犬です。

数センチのシコリが小さなキュウイフルーツくらいから丸々としたキュウイになり、大人の拳くらいになりました。

その頃から身体のあちこちに撫でるとビー玉くらいのシコリがあるのが分かりました。

いたるところでそれが大きくなりチャイの身体は形がおかしくなってきました。

それでも薬で痛みは抑えられているのかお腹が減るとヨロヨロと歩いてエサをねだります。

歩くのがおぼつかないので歩きやすいように絨毯を引きました。

老犬で歩くのが不自由になり、あんなにトイレトレーニングはしっかりしていて子宮蓄のう症になった時もトイレだけは歩いてシートにしかしなかったチャイがそこら中でトイレトするようになっていました。

立てずにベットでする事も増えました。

仕事しているので常にそばにいてあげられずオムツはかぶれるのではないか?と迷ってそのままにしていました。


食事は好きなものしか食べなくなりました。

そのため脱水気味だと獣医師に言われウエットフードにしました。

それも味があるのか、好きなものしか食べられません。


「延命はしない」口から食べられなくなっても点滴で補うことはしない、と決めていました。

癌に栄養がとられ、エサも選り好みするのでチャイはどんどん痩せました。

食事が満足に取れない時はカロリーが高いのでカスタードクリームを与えてみるようにと以前の獣医師に聞いていたのでクリームパンをあげました。

ものすごく喜ぶので夜に少しあげる事にしました。


その日はマリが部活で遠くの大会に参加するので家族で車で迎えに行きました。

連休中日で、帰宅したのは11時過ぎて。

チャイは寝ていました。

しばらくすると気配で目覚め、私たちは

「ただいま」と声をかけて頭を撫でました。

お腹が空いている様子で(エサはお皿に入れてますが目が見えず鼻も効かないので介助がなくては食べられないときが増えていました。)

「まだまだ元気だね。遅くなったね」

とクリームパンを口元に差し出すとガツガツと食べます。

クレクレ、とねだるので

「そんなに慌てて食べると危ないよ」

と水をとろうとしたとき

「キュッ」と一声鳴いて真ん丸な目で私を見つめなら後ろにゆっくりと倒れて行きました

喉に詰めたのかとびっくりして抱き起こし大きな声で何度も呼びかけ、水を手に持ち口をこじ開けましたが、

膝に生暖かい液体が流れてくる感触があり、もう手遅れだと分かりました。

それでも2度ほど一瞬身体が振るえ、その度に

「もしかして」と必死で呼びました。


周りで見ている主人、子どもたちはまだまだ呼びかけますが、抱いている私はもう旅立ったと分かりました。


どうして良いかわからず抱き続け、やがてあきらめてベットに寝かせました。


夜遅いので子どもたちには寝る準備をするように伝え、私はネットを調べました。

死後硬直が始まる前にキレイに毛並みを整えてあげ、苦しくない姿勢にしてあげるよう書いてありました。

主人と一緒に苦しくない姿勢を考えました。

手の癌が大きくてうまく寝れません。

いつもはベットの淵に顔を乗せて楽な姿勢になっていました。

目は開いたままで、舌が出ているのが可哀想で治そうとしましたが、無理でした。


私は濡れた服を脱ぎ、着替えをしました。

主人はその間にネットを調べていて何件かペットの葬儀社を見つけていました。


条件をみて

「返骨をしてくれる葬儀社」

「個別で対応してくれる」

そして場所。

とても近くにありました。

24時間電話受付です。

時間を見ると日付は変わっていました。

申し訳なく思いながら電話すると直ぐに出てくれて丁寧に対応してくれました。


正午に式がとれました。

みんな、出来るだけ黒い服を着て小さな花束を持ち、チャイを新しいバスタオルに包み、連れて行きました。

人間の祭壇と同じものがあり、線香やろうそくも香もありました。

急な事でマナーも何もわからないまま手を合わせ、棺代わりのバスケットに入れてもらい火葬が始まりました。

30分でした。


呼ばれて別室に行くとお骨が置いてあり、人間と同じように

「喉仏」を示してもらい用意された箸で骨壷に詰めました。

1つ1つの骨の説明をしてくれながら足の指の骨から入れるようにと教えてくれました。


その時に

「お腹の病気が一番酷かったですか?

焼きながら中を確認するのですが、たいてい病気の部位が最後まで焼けずに残るのです」と仰いました。

恐らく子宮だったと思います。

病院でも再び子宮に炎症があると聞いていました。


最後まで丁寧に説明をうけ、帰宅しました。

骨を宝石にする会社のパンフレットももらいましたが、骨を送り、その後送り返されるのが本当にチャイの骨なのか分からないし、そこまでしなくて良いだろうという事になりました。


チャイは最後はずっと寝ていたので居なくなった実感は薄いです。

痛みが出る前に虹の橋を渡れて良かったと言う思いもあります。


それでも玄関を開けた時、階段を降りて部屋に入るとき、

「今日はチャイはどこで寝てるのだろう」と辺りを見回します。

夜になると

「チャイがまぶしくないように灯を消そう」

と思うし、食器洗いをする時は

「チャイが起きてはダメだから静かにしよう」

寝る時は

「チャイは真っ暗だとお水の場所がわからないから小さな灯を点けよう」


仕事中は外の天気を見て

「暑くないかな?冷房付けて来たらよかった」

と心配になり、ああ、そうだ。チャイはもう旅立ったから心配はしなくて大丈夫なんだな、と思います。


面長な犬種ですが、私を見る時は耳を垂れ下から私を見上げてまん丸な顔になります。

毛の短い犬種なので頭はつるりとしていて撫でるときにカリカリと掻いてやってました。


最期の時を思い出すと、恐らくクリームパンに興奮して弱っていた心臓か止まったんだと思います。

苦しむことはほぼなく食いしん坊らしい最期だったと思います。


家族が全員揃った中で亡くなり、式に全員揃うことが出来ました。

最近の主人は月の半分は出張していたり、チャイの葬儀で仕事を休むことは出来ない状況です。

子どもたちもたまたま部活も学校もありませんでした。

私もチャイの為にどこまで仕事を休めるのか不安を抱えていました。


本当に賢い犬だったと思います。

家族全員で見送れて、おじいちゃんとおばあちゃんも最期の顔を見に来てくれて、私たちに後悔がないようにしてくれたんだと思います。


今は私の記憶の中からどんどんチャイの記憶が薄れて行くのが怖いです。

撫でた時の手触りや抱いた時の温かさが抜けていきます。

頭の硬さや匂い。

寝ている顔や見上げる顔が記憶から薄れていきます。

それがとても悲しいです。

チャイのいたベットや絨毯は見えない所に片付けました。

置いてくと逆に私の記憶を混乱させます。

チャイの病状にあわせて模様替えした部屋を元に戻しました。

ちょっと前なのにどんな部屋だったか思い出せません。


今はただ、寂しくて、怖いです。

虹の橋のたもとで飼い主を待つと言われています。

チャイにとっての飼い主は私たちでしょうか?

その前の飼い主に付いて行ってしまわないでしょうか?

どうかどうかチャイが虹の国で幸せでありますように。

寂しくありませんように。

中3のユリ。
先日最後の試合があり、部活を引退しました。
中1でマリの真似をして吹奏楽部に入部。
リコーダーを吹くのが大好きなので楽しく活動出来るかと思っていましたが、上下関係が苦手なユリは窮屈でどんどん表情が険しくなり、一度部活参観日があった時覗くと死んだ目をして部活をしていました。

その後、誘われて見学した柔道部に惹かれて転部。
こちらは出来たばかりの部活で女子初入部。
男子の先輩はとても優しくてフレンドリー。
1つ上の女子部員も新しく入部して、またその先輩はとても面白くて、グイグイと距離を近付けてくる、ユリの周りには今までいなかったタイプで学年は違っても休みの日に一緒に遊びに行くくらい仲良くしてもらいました。
経験値も高く、新しい価値観を教えてくれたのも彼女です。

そして進級。
ユリと同じで最初の部活に馴染まなかった子が数人転部して来ました。
妹キャラで年下が苦手なユリがどうするのかと思ったら、これまたムードメーカーの子がいて、先輩後輩の垣根を程よく残したまま、懐に入り込んで来ました。

最上級となった今年。
個人としての技能はそこまで上がりませんでしたが、コミュ障のユリが先輩後輩の立場になり、うまく人間関係を築いて、グループラインを作り、自分から調べて計画して花火大会に遊びに行ったりと以前は考えられなかった成長をしました。

引退の次の日。
顧問の先生がお別れ会を企画して下さり、後輩たちから可愛いメッセージの入ったプレゼントを貰い、ユリはニコニコして帰って来ました。
私なんてそれを見て泣きそうでした。

中学に入学した時、
「部活は毎日あるものに入りなさい」
と条件を出しました。
いろんなグループに属している事で、1つのグループでしんどくなった時逃げ込める場所が出来ると思ったからです。
また、中学の時は、しんどくても毎日通う事でいろんな経験が出来ると思ったからです。
上下関係は緩くてその面では学ぶことは少なかったかもしれませんが、顧問の先生達は精神論も指導して下さりとても素晴らしい2年間でした。

部活引退…
柔道部を選んだ時は、とにかく怪我がないように。早く引退しますように、と思っていましたが、引退した今は、生活のメリハリにもなり、とても大切な時間だった事がよくわかります。
これから本格的な受験生。
部活が終わり空いた時間をどう使うかも重要な時期となります。

いつの間にか4月から高校1年と中学2年になった娘たち。

下の子が2歳になったばかりの時から私はフルで働いています。


マリは初めての育児で小さい頃から手がかかり、全てが初めてで、私も上手くこなせず、第一次反抗期も「教科書に載せれるくらい典型的」と先生に笑われるくらい酷くて私自身育児ノイローゼも経験してます(^^;;


今ではほとんど出ませんが、マリは自家中毒が少しあり、初めての場所や経験は嘔吐してしまい楽しみにしていた行事は経験出来ない事も多くありました。


少人数のお友だちと仲良く過ごしていても、何故かそこに数人加わると、新しいお友だちに追い出され仲間外れにされると言うことも何度かありそんなところもいつも母は心配でたまりませんでした。


頑張り屋で一生懸命で、目標を口に出すので母も隣で応援してきました。

高校入試もモチロンです。


ユリは、生まれた時から面倒見のよいお姉ちゃんがいて、よく寝て、よく笑いすごく育てやすかったです。

でも本当は、泣いていてもマリが邪魔して直ぐにそばに行けず、あきらめていたんだと思います。

思います、と言うか、あきらめていたのを知っています。

知っててもまとわりつくマリに手がかかり、あきらめて寝てくれるユリに甘えてました。


マリは妹が大好きで面倒をよく見てくれるし、欲しいものは与えるし、子分のように扱う事もありましたが、他の姉妹に比べてとても仲良しだと思います。

ユリは母よりもマリが好きだと思うし、母よりもマリに躾けられて成長し、マリに甘やかされて大きくなって来たと思います。


迎えが遅くなった日、真っ暗な保育園で一部屋だけ明かりがついて二人で待っていて、ユリが寂しくないようにマリが世話を焼いていたのを覚えてます。


そんなマリが高校生になりました。

びっくりするほど家に居ません。

3月までは受験生でべったりと過ごして、マリの目標が母の目標でもあって、かなり密に過ごした分、ぽっかりと空間が空いています。

会話に出てくるお友だちの名前も知らない子ばかりだし、毎日何時に帰ってくるのかまだ把握出来ていません。


この空いた時間をユリに回そうと思いましたが、ユリと私の距離感がうまく測れません。

いつも間にマリが居たので。

べったりし過ぎるとユリは嫌がります。

真剣になると逃げます。

が。ユリもマリの後ろに逃げたいのにマリが居なくて居場所を探している感じです。


勉強を開始して、ユリの側で過ごす時間が増えるのですが、まだまだなんだか距離がつかめない親子。


親子なのにね。


先ずは二人で過ごす事に慣れることから始めることになりました(^^;;

保育園、学童とそう言えば遅い時間に迎えに行って、常にマリとユリは揃ってました。

ここまでガッツリユリと二人で毎日過ごすのはほとんどなかったかも。

13年もユリを育てても、まだこんな親子関係もあるんだと我ながらびっくり。


3年後にはマリは家に居ないかもしれません。

成長ってあっという間ですね。

12日はマリの15才の誕生日でした。
朝からテレビCMで人気の菅田くんが
「ハッピ ダースデー トゥ ユー」
と歌ってくれて
ファンクラブの誕生日特典、1日限りの限定動画で
「ハッピーバースデー」を某アイドルに歌って貰い、
学校では大好きなお友達にプレゼントを貰い、お手紙を貰い、
母からのプレゼントであるインフルエンザ予防接種を受け(笑)、大好きなお店でお食事。
そこでもサプライズでケーキと歌のプレゼントを貰い、受験生ですが、
「今日だけは幸せな気持ちに浸っていたい」と幸せに浸っていました。

娘が幸せだと私たちも幸せです。
よいお誕生日でした。

15年。あっと言う間に過ぎました。
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吹奏楽の引退公演がありました。
本来は7月末にコンクールで残念な結果が出た時点で引退するはずでした。
が、今回は毎年恒例の演奏会がなかったという事で特別に引退演奏会がありました。

受験生にとって勝負の夏休みと言われる時期。
塾に通わず毎日部活に出る事が正しいのか、間違いなのか、親子とも迷いながらの1ヶ月でした。

本人が出る事を決めたからには、母は背中を押すしかない。
数日に一度は迷って不安を口にするマリに
「大丈夫」と言い続けてました。

でも本日の演奏会を見ながら、やはり部活を最後まで続けた事は間違いじゃないと思えました。
これから先も一つの事だけに集中出来る環境ばかりではないでしょう。
いろんな事を両立しながら迷って進んで、最後に達成感がある事を知れた、とても貴重な経験だった。

2年半。
いろんな人が言いますが、本当にあっと言う間でした。
スポ根ではない緩い部活でした。
親の私はほとんどお手伝いもせず、関わりも少ない部活でした。
それでも我が子とお友達の成長に何度も涙が出そうでした。

明日から受験メインの毎日。
7時前に帰ってきていた毎日から5時過ぎに帰る毎日に変わります。
この2時間をどう使うか。

部活をやり抜いた経験が活かされますように!!
夏休みの美術の宿題。
「夏の風景」

朝、「今日は何をするの?」
「美術の宿題をする」
と言うので置いて家を出る。
6時間後戻って
「どう?絵は出来た?」と聞くと
「今、乾かしてるよ」と言うので見てみると



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「夏休みの初日」

これを提出するのか?
許されるのか?
吹奏楽コンクールが終わりました。
残念な結果でした。

1年でメンバーに選ばれてから2年間。
スポ根の目線で見ると全然甘い部活だったけど、それでも結果は見ていて辛かった( ;  ; )
迎えに行くと、ワンワン泣いている子を慰めていたマリ。
その後笑顔で近づいて来たけど目は真っ赤だったね。

これで引退!
ではなく、今年は引退記念に演奏会をするらしい。
なので8月いっぱいは部活。

お友だちの中には夏期講習を選んで部活を休む子もいます。
でもマリは部活に最後まで出たいと言う。

ママとしては複雑ですが、恐らく部活を休むと最後まで後悔すると思う。
部活に出たから志望校に落ちるわけじゃないよね。

最後までやり抜く事を学べて良かったと思う。
あと一月、悔いのないように頑張れ!!
ママはとても好奇心旺盛だと思います(^ ^)
大人になって自由になると
子ども達を連れ回し、本を見せ、ネットで調べて、私の知りたかったこと、見たかった物、食べたかった物、行きたかった所などこちらからどんどん与えてしまいます。

作日は、死ぬまでに一度食べたかった、念願の豚の丸焼きを取り寄せて食べるというイベントをしました。

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いろんな部位を頂き、脳みそまで堪能して、ママは大満足の経験でした!!
豚は残す場所ないです!
鼻までかじれるし、骨は煮たら豚骨スープになるし。

でも、子ども達のテンションは普通。
部活が優先で遅刻して参加。
お友だちも「興味ないと思う」って誘わない(>_<)

私が与えすぎて好奇心が育たなかったのかな( ;  ; )


スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツは、
「何もなかった時代」からイノベーションを駆使して製品を作ってきたので、子どもにはスマホを与えないらしい。
最初からスマホに頼っていたら、それを越える発想が育たなくなってしまうから。

今の時点で存在しないものを「欲しい」と考えるからこそ、世界を変える製品を世に送り出すことができる。と言うこと。

私は、経験値がなかったからこそ、いろんな経験がしたかったし、それがモチベーションで勉強も仕事も頑張れた(経験する為のお金と自由が欲しかった)。

こちらから与えて経験した子ども達は、海外旅行は好きではないし、とにかくがむしゃらに何かを成し遂げたいと思ったり、どうにかして手に入れたいと言う野心も薄い(>_<)
勉強にしても、そう。
どうしても!!と言う力強さを感じない。

与えず奪う事で欲が出るのかもしれない。
子育ては、良かれと思っていても上手くいかず反省ばかりです( ;  ; )
最近ユリのカバンの中をチェックするママ。
申し訳ないけど信用してないのです(^^;;

出した課題の返却もきちんとチェックしてみないと再提出のコメントが放置。
昨夜はユリが寝てからチェックした為、歴史の課題のハンコなしの理由が聞けていませんでした。
朝聞いてみると
「やってないページがあったからハンコ貰えてない」
「いつまでに再提出かは聞いてないし、再提出するのかも知らない」
いえいえ、再提出しなきゃダメです(°_°)

社会はパパ担当なのでページを開いてパパとやってもらうことに。
歴史のスタートページ、西暦と和暦についてです。
テスト範囲だったにも関わらず解けないユリ(^^;;
紀元前=BC
「意味は?」
「ビフォア キリスト」
「そう。じゃあ紀元後は?」
「AH」
「!(◎_◎;)」
なんの略?
「え、ゴロがいい?」
ゴロ囧rz?

そして…「昭和は何年まであったか?」の問いがワークに!!
もう昭和は歴史なのです!
もちろん親世代の私たちも昭和は習います。戦前、戦後は大切な歴史範囲です。
が、私にとってちょっと前と思ってた平成元年がもう歴史に…
Hey! Say! JUMPも2年もせず30代が出てくるのか?(◎_◎;)

娘たちにとって昭和天皇の顔は
「マッカーサーさんと天皇が写っているのを授業で見た」との事で若い時の天皇。
私は晩年の天皇のお顔しか記憶にないんだけれど、逆に歴史上の人物としてはこれからは若い時の写真が一般的になっていくんだろうなぁ

歴史ってこういうことなんだなぁ

マリは進路希望の第一希望に憧れ高校を書いて提出しました。

マリは大人しくて人に意見を言うのが苦手な感じですが、希望は口に出します。
「こうなりたい」こんな事をよく口にします。

「生徒会に立候補したい」
「文化祭の劇に出たい」
「文化祭の歌は好きな歌を歌いたいから選定委員になりたい。それで大賞を狙いたい」
「作文の校内代表を狙いたい」
「英語の暗唱大会の予選を突破したい」

昨年から今年に何個大きな望みを口にしたでしょう。
その度にママの役目は背中を押すこと。
「やってみたら良いよ。
その方が後悔しないよ」

本当は口に出すときは心は決まってます。
でもやっぱり自信がない。迷う気持ちもある。
そこで背中を押す。

マリはやるとなると、用意も頑張る。
慎重なので勝算のない事には手を出さないタイプ。
いつも五分五分くらいまではいけます。

ダメなことも多々あります。
が、半分は叶います。

口にするって強いな、って思います。
追い込んでるんだろうな。
「やっぱり止めた」って逃げないように。
そして、口にした事で周りもそのつもりになるから手助けをする。
早くから決めて口に出すからそれを予定として組み込み、みんなもマリの予定に自然と合わせる。

昨日、英語の暗唱大会の予選突破しました(^ ^)!
流石にここまでだろうとマリは言います。
すると、「あぁここまでなんだ」って私を含めて周りも思います。
でも、ちょっと待って!
もしここで、「本選も勝ち抜きたい!」って言ったら?もちろんそのつもりで応援するはず。そして可能性は残る。
負けの言葉を口にしたら?周りも自分もそんな気持ちになる。もうスタートで負けてるね。

受験も同じだね。
マリは憧れ高校に行きたいと決めた。
そして口に出した。
だからマリも周りもそれに向けて頑張る。
これだけで叶う確率上がってます。

チャンスをものにする第一歩。
口に出すこと!
悪いことは口に出さないこと!
娘に教えられてます!