ツイッターを辞めてみた

自分が心底どうでもいいと思ってることに対してとやかく言われることがこうも不快であるとは、と昨日は思わされた故にである。

いざ辞めてみると呟きたいことがいくつも湧いてでてくるものである。
呟いたところで何か得れるわけでもなく、価値のある行為だとも思わない。
情報をリアルタイムで収集するツールとしてはなかなか面白いし暇つぶしになると思っていたけどそれを昨日の不快感が上回ってしまった。
別に誰が悪いとかではないのが今回の一番たちが悪いところ。おそらく全ての立場に僕が立てたとしたらそれぞれの人がしたように僕もするだろうし結果として僕が不快な気分になったことは誰のせいとかそういう段階に留まれていた話ではなかったということ。
これからはスマホと睨めっこする時間はこちらに移行しようと思った。
自分以外に誰も見ないネットの海に日々の呪詛をつらつらと書き連ねていく行為は客観視すれば相応に気持ちの悪い行為だろうとは思えど、自分がその時どんな気分だったのか見返すことができるようになるのは面白いと思う。
どうでも良いけど人を惹きつける読ませる文章書ける人って面白いなと思う。
そういうのってどうやったら上手になるんかね。
久々に



結果から言うとこの三年半で自分の価値観は大きく変容して、善悪の判断も付き合う人種も昔の自分とは大きくかけ離れたものになった。

今日愛想を尽かされた友達から急に電話が来て、随分最近にその人の夢を見たことを思い出した。

自分は、少なくとも自分が意識することが出来る範囲の自分は、友達なんて1人もいなくても自分のことを好きでいてくれる人がいれば生きていけるし、上っ面の交友を深い絆に偽装することだって出来ると思ってる。なのに電話が来てからは気分が悪い。

正直愛想を尽かされた時はショックだった。

でもいつもそうだった。

友達は期限付きで、新しい環境と共にどこからともなく湧いて出てそして消えていく。

自分のことをふとしたことで思い出してくれたことに喜びを感じていたのかもしれない。

忘れられることがどれだけ恐ろしいことか僕は少ししか知らないけれど。