新聞少女物語

新聞少女物語

淡路島から歌手を目指して上京して、1996年3月~1998年3月まで、新聞社から学費を借りて、在学中住み込みで新聞配達や集金をする、新聞奨学生をいう制度で専門学校に通う苦学生をやってました。そのころの過酷でなんともおもろい経験をネタに綴っていこうと思います

Amebaでブログを始めよう!

おいおいおいwww

前回更新から更に約三年、本編の新聞少女記事途切れてから約7年経っとるやんけwww

こんな放置ブログにありがたくも"いいね"とコメントくださった方がいて、コメント通知が来て、わおっポーンびっくりしてやね

いや、心のどっかで気にはなってたんよ。。。

このブログ以外にも同じ時期にwordpressでブログ書いたりもしててやね、

 

でもある時、ホンマ突然ぷつっと更新しなくなって、そのころあたりからSNSもあまり見たり更新しなくなったん。
 

ブログ、SNSって何なんやろね、

以前は、何かをアピールするためのツールだったのかもしれないけど、自分的には今は忘備録なのかな。あとは生存報告w

最近は仕事でもプライベートでも、人の尻ぬぐい的なことしてたとしても、あくまでこれ愚痴やから、どうこうして欲しいとは思わない、別に共感も求めない。ただ、知ってくれてるだけでいいみたいな。

 

おばちゃんになったんやなぁ照れ



自分ではもうわからないけど、このブログを書き始めた頃と今の自分は、同じ自分なのに違うんよね。
新聞奨学生をやってた時の感情は覚えてるけど、その当時を振り返って表現する自分の視点や心境は違ってるような気もする。

客観的にブログのキャラ設定はこうだったのか。。とか

ブログの更新期間が開けば開くほど、そのギャップが面倒になってきたような、、、

ワタシ根が正直なだけに、やっぱり今の自分のスタイル、感性でしか書けないし。

当時の一人称はどこでも"なぎ"、でも今は割とカタカナで"ワタシ"ってなってたり。
なんでそうなったんか知らんけどw


おばちゃんになったんやなぁ照れ


元新聞少女は現在CGデザイナーで、2020年の春からテレワークになり、2年前の夏にオカンの癌が発覚。10月にオカンが入院、手術の間、9日間休みをもらって、脳梗塞をやった父親の世話をしながら、オカンがやってたお好み焼屋を開けるのに帰省しました。

まぁ。。いろいろあったけど、最終的には会社が現プロジェクトの間の淡路でのテレワークを認めてくれたことと、ちょうどその年の12月に部屋の更新があったこと(ちなみにその部屋は怪奇現象わんさかだったwのでまだネタはある)、それ以前から、インターネットが普及して仕事もやりたいことも東京に拘る必要もなくなるかもとは感じてたし、18歳で上京して淡路を離れてもどこかでずっと地元の血を感じてて、何かしら地元に貢献したい気持ちがあったこと、10月にオカンの代わりに店を開けた時に、常連さんが毎日来てくれて、この店を続けさせたいと思ったこととか。。。親の事で後悔したくなかったとか。。。

とかとか。。まぁそんなこんなで、1996年3月に上京した18歳の新聞少女は、約27年の時を経て2022年の年末に地元に帰ってきたのですニヤニヤ

毎日の配達、月末~月初の集金、家を競売にかけられた親のこと、彼氏のこと。。。
何より、歌のこと



に悩んでた新聞少女は


今も淡路で親のことw彼氏のことw
歌のことw将来のことw


でやっさもっさしてる淡路のおばちゃんになってまーーーーーーーー爆  笑


つか、新聞少女やってた頃の自分の親の年齢を超えてしまったぉ。
ここ数年、子供の頃からいた芸能人の訃報が続いたり、子供の頃から当たり前にいて、大人になっても気兼ねなく"おっちゃん""おばちゃん"って呼べる近所の大人や友達の親が亡くなったり。。。

その年代年代でしみじみと感じることってのはあるわね。
と思うと、まだまだ試練もおもろいことも続くのね。
わっはっは。