新聞少女物語

新聞少女物語

淡路島から歌手を目指して上京して、1996年3月~1998年3月まで、新聞社から学費を借りて、在学中住み込みで新聞配達や集金をする、新聞奨学生をいう制度で専門学校に通う苦学生をやってました。そのころの過酷でなんともおもろい経験をネタに綴っていこうと思います

Amebaでブログを始めよう!

フル〇ンのおっさんの話の続編を引っ張ったまま4年放置

4年ぶりに書いたブログの最初の出だしがフル〇ンwwww

前回の話の続き、はよ書いてって言われてたんだけど

 

なんか突然スイッチが切れたっつ~か

 

いろいろあってそれどころじゃなくなってて、ログインするのもめんどくさくなってしまったり

 

辛くなってる時に更に過去の辛かったこと振り返るのがしんどくなってたり。

 

最近はブログ書くよりもやりたいこと、勉強したいことがあるというのもあるけど

 

数か月前に、ほぼ毎日淡路の夢を見ることがあって、あまりにも感覚がリアルだったり、

 

懐かしい気持ちになったりで、覚えてる時は夢日記をつけるようになったのね。

 

夢って起きた直後は覚えてるけど、しばらくすると、あれ?どんな夢見たんだっけ??って思い出せないこともあって

 

でも夢日記付け始めてから、やっぱり新聞配達してたときに繋がる夢を未だにけっこう見てることも気付いて

 

こないだの夢で、自分が配ってた地域のマンションの9階に住んでた中島さん(仮)っていうご夫婦に会いにいくって夢を見たん。

 

ここのマンションはオートロックではないので、各部屋のドアに新聞を挟んでいくんだけど、この新聞の入れ方にも指定がある家があって

 

郵便受けから出てる新聞に放火するいたずらもあったりして、防犯のために、新聞をバラシて折りたたんででも、中にすっぽり入れてほしいって家もあれば、なるべく新聞を痛まないように入れてほしい家もあり

 

中島さん宅は後者だった。

 

チラシが多くて新聞のページ数が多い日は、新聞をドアの郵便受けに差し込めるように三つ折りにすると入り切れないときがあって、

無理矢理差し込んで、新聞の一部が痛んでしまってたみたいで、ある日夕刊配達で中島さん宅のドアに夕刊差し込んで次の部屋のドアに

向かってたら、中島さん宅のドアが開いて、背後からおじさんに呼び止められた。

 

無理矢理新聞差し込んで新聞が痛んでたことについて苦情を言おうと待ち伏せたらしい。

 

でもおじさんも、まさか女の子が配ってるとは思わなかったらしくて、いろいろ聞かれて、労ってくれた。
あの時の自分は見た目中学生みたいだったし

 

それ以降、集金に行く度に奥さんもおじさんもすごく優しくしてくれて、話してくれて、食事はどうしてるの?って聞かれたり、
今度ごはん食べにおいでとか言ってくれた。

 

ある時、奥さんがこれで何か食べてって1000円くれたことがあった。

 

200件以上毎日配ってた配達先の家やお客さんの中でも特に印象に残ってるご夫婦。


そのマンションに行って中島さんご夫婦に挨拶と御礼に行くって夢を見て


なんだか無性に懐かしくなって、googleマップで環七沿いに今でもあるそのマンション見て

久しぶりにじっくり当時のことを思い出して

 

辛かったけど

 

忘れたくないこともたくさんあるなぁと改めて思った。

 

もう25年前。

 

あの頃、集金に行くたびに、新聞のおねーちゃん来た~~!って玄関でいつもおもちゃ見せに来てた子供らも、
学校帰りにbody and soul歌ってた小学生も、もういい大人になってるんだし

 

自分もオバちゃんになった。

 

googleマップ見たついでに覚えてる配達順路をたどってみたけど、やっぱりいろいろ変わってるし

思い出せなくなってる。

 

当時住んでた双葉荘はきれいなアパートに改装されてるし、販売店があった場所はキレイな家が建ってる。

 

配達順路で待ち伏してたストーカー兄ちゃんがいた工務店は今もあったw
立派に後継いでるんかな。


4年放置するとアメブロの書き方も絵文字の入れ方も忘れてて

 

とりあえず文章だけ。

 

こないだ、稽古の時にものすごい雷雨で、お師匠さんがおさまるまで居ていいと言ってくださった。

 

でもあの頃はその雷雨の中、雹が降っても配達してた。

 

雷や雹が怖くて雨具持ってなくて、自転車こげないくらいの突風でも新聞だけは濡らしたらあかん


どないせえちゅーねん!!あほーーーー!!!

 

あぁーーーーもういっそどさくさに紛れて車に轢かれたい思いながらやってたこと思い出したら

 

今の悩みなんかクソだなと思ったw

いろんなことあった。歌えなくなったし、自分がCGデザイナーになってるなんて1ミリも予想してなかったし、離婚するなんて思ってなかった。だけど、歌が好き=声で何か表現をすることが好きというところ、浜田麻里が好きなこと、ウルトラマンが好きなこと、いくつになってもアホなことはブレないまま、子供のころやってた伝統芸能をやるってとこに戻ってきて、いやあんな思いしてまで上京せんでもよかったやん。淡路で農作業手伝って、結婚して親に孫の顔見せててもやれたかもしれんのにとか思うと、なんという灯台下暗しwwwって思う。無駄に自分を削って周りを傷つけたんちゃうやろか。アホすぎる。。。

 

でもアホだからこそ経験してヨカッタんかな。歌うことから逃げて何者かになりたくて必死だったけど、そんなことを経てやっと自分が本当に何を求めてたのか分かったような気もするし。

 

昔、なんかの番組で武田鉄也さんが、

 

過去の自分が自分を励ましてくれるみたいなことを言ってた。

 

いまだにいい加減で何やっても中途半端で、アホな自分が嫌になるときあるけど、

 

誰も褒めてくれなかったけど

 

自分だけはあの時の自分のことは大事に思ってあげたいなとオバちゃんなぎは思ったりして

 

久しぶりに書いてみた。

 

あ、前回の続きは必ず書く。そのうちw