私のブログには、もくじきびとさんが書いて下さった言葉もよく掲載しています。

仕事が忙しく書けない時や、どう書いたらいいか悩んで筆が進まない時などフォローしていただくことが度々あります。


ここ最近も仕事が忙しく、また屋外での作業も多い仕事なため猛暑に体力を奪われブログの更新がなかなか出来ていません。

少しずつでも書こうと思い、休憩時などにいざ書こうと思っても筆が止まってしまいます。

お祓い記事は全て実際にあったことを書いていますが、起こったことをありのままに書いていいのか、どう表現し書くか、配慮が必要な場合もあり躊躇してしまいなかなか進みません。

出来るだけ読む人に伝わるように、光景が目に浮かぶようにと心がけているつもりですがなかなかに難しいと実感しています。

起こったことをそのまま書けばいいと単純に思っていましたがそうではない。

ポイントを絞って伝わる文章にするにはと四苦八苦しています。

自己満足な文章のままでは私自身も何も変わることが出来ないのだと、いつしか自分で自分に課した課題だと思うようになりました。


お祓い記事は、牛歩よりも更にゆっくりですが書いていますので今しばらくお待ち下さい。



今回は私が勘違いをしていたことを書きたいと思います。


もくじきびとさんが「徳を積む」「(心の)貯金をする」ということについて言われたことが気になっていました。

凡人の私は一日一善的発想しか思い付かず、何か良いことをすればそれが徳を積む、心の貯金になるのだと思っていました。

ですが実際はそんな発想自体がいけなかったのです。

それではスピリチュアルにどっぷり浸かっていた頃と何も゙変わらない、愚かで浅はかな発想でしかないのだと思い知ることとなりました。

なぜそう気付いたかというと、もくじきびとさんから注意を受けたからです。

例えばどんな仕事でも優劣を付けない。その人が一生懸命している仕事なら、例えどんな仕事であろうとも批判の目で見たり見下したりしてはいけないと、私に向けて書かれた文章を見て、何も意識していなかったことがあまりにも多いのだと今をもっても反省する材料です。


自分では当たり前に覚えていたり知っていたりしたつもりのはずが、改めて指摘されると「そうでした。」の心境になってしまいます。

この酷い猛暑の中、交通整理の人がしっかり仕事をされているから安心して通行できる。

そんな当たり前の光景を目の前にしても、この人たちも大変な仕事だなぁとは思ってもそれ以上は何も感じず通り過ぎていた。


「プロフェッショナル」やドキュメンタリー番組を見たらともくじきびとさんが書かれた記事が思い出されます。

その人の想いを描いたありのままの姿を映している。

その視点の無さが私にはすっかり欠落していたことを痛感し、忘れてしまったことのあまりの多さに私は驚いています。

子供の頃は知っていたのに、大人になりその感謝の気持ちも薄れ、当たり前過ぎて何も感じなくなってしまった。

その視点すら消え失せてしまっていたことに呆然としてしまいました。

日常を流されるまま、向き合う努力もせずダラダラと過ごしこうなってしまった結果が、当時のことは悪夢としか言いようがないスピリチュアル盲信人生。

なんて情け無いことをしてしまったのだろうと振り返り、現実を生きようと決意した日。

それでもこんなにもたくさんのことを失ってしまった自分。



もくじきびとさんから言われた言葉を記します。


「知らないなら知れば済むこと。

それが人よりも知らないことが多いだけ。

寄り道をいっぱいしたから正しい道を追って進んで行けば、人並みになるでしょう。」


その言葉を聞いた時はガックリしました。でもそうしてしまったのは他の誰でもない紛れもなく自分。

その報いは受けないといけません。

「身に付ける視点を持つ意識」を忘れてしまっていただけだから、もう忘れずに生きて行く。

私が最近思うことがあった出来事でした。

初めてのお祓いを受けてから4年と8ヶ月、まだまだの私たちです。