私のブログをご覧の方へ。

もくじきびとさんからの大切で重要なお話の3回目をお届けします。


前にご紹介した通り、もくじきびとさんが持論をまとめて書かれるのは、恐らく今回で最後だそうです。


文字にすることも躊躇されたようでしたが、私のお祓い記事が佳境を迎える前に、何か思われることがあり書かれたそうです。 


そこに込められたもくじきびとさんの思い。

もくじきびとさんからの大切なメッセージです。


私のお祓い記事は書け次第更新する予定です。


では、もくじきびとさんからの本編をどうぞご覧下さい。







第三弾   


成仏したい幽霊は、その機会を探します。
しかし、中々その機会はないのです。

誰もその辺りに成仏したい幽霊が存在して、その幽霊を供養しようと思っていません。

あるとしたら、何かの事件や事故があり、供養塔でもあれば、その機会は得られるでしょう。
しかし、幽霊と云っても、前は人間ですから、感情があります。
死を本当に受け入れる。心の整理を付けることは、幽霊にとっても違いがあります。
人間でも、心の整理なり、感情(気持ち)を整えることが難しいのに、幽霊になってしまったのなら、尚更です。
幽霊になったことを後悔しても、実際に天国に行った時に、何を云われるのかを心配します。
人には、悪いことをしたら、地獄に行くと刷り込まれています。

今の人は、そんな気持ちになることが薄いかもしれません。現代は、個人主義で、したもん勝ち、やったもん勝ちみたいな面があります。

相手のことより自分優先、相手のことを気に留めることはしない傾向があります。

人間の前に幽霊として姿を現しても、そんなつもりがなくても、人間からしたら、オバケ!怖い!の心境です。
昔なら、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と唱えて、仏様にすがります。
悪気もなく幽霊になってしまったのに、そんなことをしたら、姿を見た人がどう考えるかは承知しています。

一番成仏できる可能性があるのは、お寺なり神社です。その次に供養塔です。

しかし、待てど暮らせど、その機会は来ません。

そりゃそうです。
そんなつもりで参拝しに来る人は皆無ですから。

しかし、極々少数の人達が存在します。
お経や祝詞をやたらと読みたがる人たちです。

何でその人たちが、成仏したい幽霊からしたら、ターゲットになるのか?

それは、お経や祝詞には、様々な意味を持ちます。
1 亡くなられた人に対しての宣告
2 御霊を鎮めるため、鎮魂です。
3 清める
4 霊能者による幽霊のお祓い

幽霊からしたら、一般人がお経や祝詞を読んでいたら、勘違いするでしょう。
住職にしろ、宮司にしろ、目の前の神仏に対しての行為であり、目に見えない存在に向けてしていません。
しかし、彼らは元々、目に見えない存在に関心、スピリチュアルにどっぷり浸かっています。
六感の意識を全開にして、挑んでいます。
幽霊からしたら、ついにそのチャンスが来たと勘違いして、その人に近付きます。

幽霊の勝手な勘違いの始まりで、行動を起こして、唱えた一般人にしがみつきます。
しかし、しがみついても、そにチャンスは一向に訪れません。
だが、その幽霊は、そんなことも知らずにいつまでもその機会を伺っています。
この機会を逃したら、千載一遇はいつ訪れるのか分かりません。

人間でも運の良い人がいます。
幽霊でもいます。

たまたま供養塔でお坊さんを見かけ、お経を読んでいた。
成仏したい幽霊からしたら、こんな幸運はありません。
その住職に付いて行きます。
住職は、本堂で朝夕、お勤めをします。
仏様が、眼前に存在します。
成仏したい幽霊からしたら、やっと夢が叶うと思います。
その時に、幽霊は改心して、仏様を受け入れます。
仏様を受け入れることは、死を受け入れます。手を仏様に向けて合わせます。
天国に旅立ちます。


                もくじきびと