私のブログをフォローやいいねされているスピリチュアルの方。

その行為の理由はなんですか?

スピリチュアルは幽霊の世界だとお認めになられたからですか?

スピリチュアルを盲信しても何も現実の問題は解決しませんよ。


解決するどころか幽霊に憑依され、本人に成り済ました幽霊に、自分自身と人生を奪われ、事態はより深刻化するだけです。


スピリチュアルで救われたと勘違いして現実を見なくなるだけ。


現実的思考を失った生きた肉体。


幽霊は喜んでその人に成り済まし、支配してこの世を謳歌することでしょう。


その結果例え本人が、まるで自分で自分の首を締めるかのように困ったことになろうとも関係ありません。


追い詰められ苦しむ様を見て喜ぶだけです。

使えなくなったら、次の獲物に乗り換えるだけ。


スピリチュアルは幽霊の世界。


フォローやいいねをしたスピリチュアルの方は、理由をコメントして下さい。


では、もくじきびとさんからの本編をどうぞご覧下さい。




さてと、仕事が途中で入ったと云うより、仕事の合間に書いています。
少し間ができますから、当初書こうと思うのから、また少し違う書き方になるのですが、そこはご勘弁ください。

2022年6月8日の記事、「衝撃  イライラしちゃうのは、知らない誰かさんに洗脳されたから」
この題には、衝撃を受けました。
現実的にそんなことはあり得ないですから、幽霊に憑依されて、感情を操作されて、ついイライラしたお話と思ったのですが、
読んでみると、全くの別ものでした。
・待ち合わせに遅刻したのに、謝らない友達にイライラ
・お箸の使い方を直してくれない子供にイライラ
・家事をやってくれない旦那にイライラ

これは、正しさで他人の行動を測っているからだそうです。
家事に関しては、向き不向きもあるし、旦那の操作の仕方も問題がありますから、その正しさの定義で判断するのは無理はありますが、
遅刻しないのは、正しいことです。相手に迷惑を掛けないことは、当たり前のことです。それでもする人は、そういうことを気にしない人。
ルーズな人。人の気持ちを考える(想像する)ことに欠けているかもしれません。
イライラしたら、損ですから、付き合い方を変えるか、常習者なら、時間を早く伝えて、あなたは本当の待ち時間に行きましょうで解決します。
お箸は、正しい持ち方をすれば、掴み易いです。見た目も綺麗です。
正しい作法を身に付けることは、大切です。イライラせずに、矯正箸もありますから、それを利用するのも手です。
お箸を正しく使うことは、手先の器用さもあります。不器用な人もいますからね。この問題の根深さはあります。
指を使うのは、頭の作用にもありますから、対策を練ってあげるしかできません。
イライラと感情的にならずにすることが、先ずは一番にすることです。
それが、賢さです。



「遅刻は良くない」
「お行儀よくするべき」
「困っている人を助けなさい」

このルールは、自分の行動を制御し、同時に他人に対する判断にも影響を与えていると書いておられています。
スピリチュアルに疑問視している方ですが、現実のマナーや人としての思い遣りにも疑問視してるみたいです。

この方によれば、ルールはどこかの知らない大人が勝手に決めて、それを教え込んだと悪のような書き方をされています。
得体の知れない誰かさんが決めたものだから、自分の気分や感情、価値観まで左右されるのは、怖いと書いておられます。
一般常識で「正しさ」を判断して、自分や他人をジャッジすると、もっと大事なことを見失ってしまうそうです。
この方は、「正しさ」から人生の主導権を取り戻そうと主張しています。
そのために、この方の現実願望術をしたら、人生の主導権を取り戻すことができるそうです。

どんな良いことを書こうとも、どこかで本心が見え隠れします。
潜在意識=本音とお書きですから、この方のお考えは、このことなんでしょうね。

真っ当な人間なら、こんなことを書くこと自体に躊躇してしまいます。
書けと云われても、書けないです。良心の呵責を心に抱きます。

遅刻しても良いなら、沖縄時間なのか?それとも、海外のいい加減な人柄(国民性)が好きな人かもしれません。
海外の人は、日本の公共機関の正確な時間で動くことに感動します。
正確に動くなら、その後の予定も立てやすいです。

どこの誰かも知らない人が作ったとありますが、そんなに敵対心しなくてもいいのですがね。
あなたのご先祖さんも含まれるかもしれません。正確に云えば、実際にご先祖に会ったことがないですから、会っても云わなければ、
どこの誰かさんになります。

どこの誰かさんでなく、先人からの生活を営む上での過程で導きだされたものです。
マナーであり、作法であります。所作とも云えます。
どこの誰かさんを得たいの知れない人とも表現しています。

同じ世界に存在しても、実際には交わらないものですから、相手のことは理解できないでしょうね。
こちら側が正しいと思えば、そちらの価値観は間違いになります。
遅刻していい。行儀なんてどうでもいい。困っている人を見ても、無視しなさい。
そんなことを問われる世界に在籍していないのですから、人間の価値観、過去から現在に掛けて続く価値観は、
否定したいんでしょう。
その人からしたら、そんな価値観を押し付けるのは、人生の主導権をも揺らぐものになるのですからね。

つい本音が出てしまいました。
その人の人生は、その人のものです。主導権がどうこうと云うものではありません。
その人の人生は、その人が当たり前にその主導権を握っています。
どう人生を過ごそうと、その人の勝手です。
当たり前のものですから、主導権の発想なんて出てきません。