初めて体験に来た子が、教室に入れなくて、不安で縮こまっているとき。「大丈夫。無理しなくていいよ」って、自然に隣に座る。声をかけた子も、初めてで緊張しているはずなのに。
ゲーム中に誰かがミスをしても、「大丈夫!次いこ!」って、声をかける。
自分が学校で同じように傷ついた経験があるからこそ、失敗しても「大丈夫」と安心させられる。
「今日は気が乗らなくて休みの子がいる…」と伝えると、「そういう日もあるよな。無理すると壊れるから」って。その言葉には、痛みを知っている人だけが持つ響きがある。
この優しさは、誰かに教えられたものじゃない。孤独や不安を、自分の中で抱えた時間があるからこそ、人にそっと手を差し伸べられるようになったんだと思う。
だからこそ、その言葉は、同じ境遇の子どもに、大人がどんなに優しく伝えるよりも、ずっと強く響くことがある。
けれど、ふと考えてしまう。この優しさの裏には、どれだけ深い傷があったんだろうかって。想像すると胸が締めつけられる。
けれど彼らは、その痛みすらも力に変えて、人に向ける優しさへと育てている。
「人に優しくできる力」それは、テストの点数や通知表には決して表れない。でも、社会の中で人を支え、信頼を得て、確かに評価される、大切な力だ。
だから僕は願いたい。
学校に行かなかった日々を、「遅れ」じゃなく、「心を育てる時間」だったと気づいてもらえること。
子ども自身が不登校の時間を受け入れた瞬間、その孤独は「傷」ではなく、「力」へと変わっていきます。