だいぶ間隔が空きましたが、自分のパニック障害に
関する経験を書いていきたいと思います。
タイトルにナンバーを付けてはいますが、この回で
終わるかもしれないし、まだ続きがあるかも知れません。
書きながら考えているので、どこで終わることか。。。
さて、前回のエントリでは、どのような素因があって、
私自身がパニック障害になってしまったのかという事を
書きました。
現状、自分自身の健康状態がどうであるかというと、
『パニック発作は出ていない。予期不安は0~100で言うと、
20ぐらい。自律神経系の不調がある。』という感じです。
毎日発作が出たり、予期不安が大きい人にとっては
『羨ましい』と思える状態かもしれませんね。
まず、ここまで来るのにどのような経過をたどって、
どうして来たのかを書きましょう。
最初に発作を経験したのは、大学三年生の時。
始発駅から発車する前の電車に乗っていて、
強烈な不安を感じ、発車のベルが鳴っている最中に
電車から飛び降りました。
『何が起こったんだ!なんだこの不安は!?』
そのようなことを考えていたように思います。
『何か、体調不良なんだろう・・・。うーん・・・実験
せないかんけど、まぁ・・・今日は休もう。。』
そう考えながら家に帰りました。
しかし、家に帰ってから、こう考えたのです。
『待てよ?・・・え?・・・もし、このまま電車に
乗れなかったら、学校行けないぞ???・・・
留年するのか?退学???・・・だめだ!
これではいけない!』
だから、家に帰った後、2時間ほど経った後で、
再び駅に向かいました。そう・・・ぶっ倒れても、
死んでも電車に乗るという覚悟で、電車に乗る
練習?をしたのです。
これは、本当に辛かった。
特急電車に乗って通学していたのですが、特急は
ひとたび動き出せば10分は動き続ける。苦しくなった時に
すぐに下車できません。だから、電車が動き出す前は、
本当に恐ろしかった。恐怖しかありませんでした。
そして、ベルが鳴って電車の扉が閉まる・・・。
冷や汗が出る。心拍数は120を超えていたと思います。
もう、この時は恐怖という濁流に自分の心が
飲み込まれてしまって、電車がいまどこを走っているのか、
どういう人が車内にいるのかなど、何も考えることが
出来ませんでした。言うなれば、まさに「頭の中が真っ白
」という状態でした。
ところが、一つ目の通過駅を通過する直前に。
『あ、作業員が保線作業してるなー』
という言葉が頭に浮かんだのです。そう、周りの
状況を観察する余裕が出てきたのです。
そして、
『あれ???不安が落ち着いてきている・・・』
3分も経たないうちに、恐慌状態が消褪し始めたのが
分かりました。そして、12分経過して最初の停車駅に
着いた時には
『あの不安は一体なんだったの???』
とまぁ、不安はゼロになってしまっていたのです。
今思えば、これはパニック障害の治療方法の1つである
『曝露療法』だったのです。知らないうちにこれをやっていた。
自分で一度、「大丈夫なのだ」という事が理解できれば、
その後はもう大丈夫。無理を通せば道理が引っ込む・・・
というわけではないですが、無理をしたおかげで、
学校に通学する能力を失わずに済んだ・・・というわけです。
しかしながら、予期不安との戦いは終わることが無く、
通学のたびに苦しむ・・・そのような状態だったと記憶しています。
ただし、「我慢してれば治まるから・・・」という事を体感しているので、
苦しみながらも、何とか通学して無事に大学を卒業する
ことが出来ました。
この体験から言えることは、「パニックの恐怖から逃げなければ、
意外と、それを乗り越えられるのだ」という事です。
絶対に逃げるなとは言いません。しかし、パニック障害と
『上手く折り合いをつける』には、少しずつでもいいから、
パニックに、絶望的なほどの不安に対して向き合って
行かなければならない・・・それが治療の大前提であろうと
私は思います。
つづく。