
大勢の友人たちと今回荒川知水資料館を訪れその歴史を学んだ。荒川は自然の川ではなく放水路として建設された川なのである。その理由は江戸・東京は有史以来洪水被害を受けており、特に明治40年、43年の洪水は大きな打撃を受け、その治水対策として明治44年から昭和5年にかけて荒川放水路が建設された。荒川放水路の開削工事に必要な用地は広大で、移転を余儀なくされた1300所帯の協力があった。放水路に携わったエンジニアには、計画した原田貞介、工事を指揮した青山士がいる。彼が基礎工事した赤い色の旧岩淵水門は川底より20mの深さに鉄筋コンクリートの枠を6個埋めて固めてあり、関東大震災でも被害を受けず今も残っている。現在は青い色の岩淵水門が隅田川への水量調節をし東京を護っている。国土交通省の巡視船あらかわ号に乗船し荒川下りを楽しんだ。下流にある荒川ロックゲート(平成17年10月完成。水位差のある荒川と江東デルタ地帯の河川を結ぶ閘門)を経て番所橋船着場で下船した