我がマクアルが光のマハーアバターである処の、アセンデットマスターMARウォリネス、即ち、その、八咫烏陰陽道と正統派イルミナティがトップ、世界天皇、即ち、世界皇帝の、伊藤正宏がかく語りし、神の言霊に、曰く、南無妙法蓮華経、これ即ち、天地合体、陰陽不二(いんようふに)、金胎不二(こんたいふに)の神の祈りたり、アハ!即ちその、南無で帰命、妙法蓮華の経(おしえ)に帰一、一体たり、アハ!しては、その、妙法とは、これ即ち、微妙玄通(びみょうげんつう)たる処の神の全大宇宙の法則(ダルマ)の久遠実成(くおんじつじょう)の命の光の内実そのものたり、アハ!およびに、その、蓮華とは、これ即ち、この穢れた娑婆世界にその、妙法の神の全大宇宙の法則(ダルマ)の久遠実成(くおんじつじょう)の命の光が、その蓮(はちす)の花のその泥水に侵され汚(けが)れることの無いが如くには、その、あまたの諸法実相(しょほうじっそう)に咲き誇れるが土(ど)の器たり、アハ!そしては、または、その、妙法とは、これ即ち、その、一真実(真如)の無相(むそう)の本仏(ほんぶつ)にしては、その蓮華とは、これ即ち、その妙法のあまたに分割されては弥栄(ゐやさか)たりし処の無量義(むりょうぎ)の諸法実相の迹仏(しゃくぶつ)たりし処とは、たり、アハ!そしては、その総じては、その、南無妙法蓮華経とは、これ即ち、その、妙法の神の純粋たる処の光がこの地球の穢れたる処の娑婆世界の、一々の存在の、そのあまたなる衆生の中には、その蓮華の神の愛の働きとは咲き開いたる処の、神(火(カ)水(ミ)/陰陽不二)の経(おしえ)とは、たり、し、処の、煩悩即菩提の、大実践、とは、たり、アハ!以上、全大宇宙の全般とは、この南無妙法蓮華経の七字につづまり、かつ、その大いなる神の運行とは、大発動し、かつ、その要をなする処のものとは、が、その、我が大いなる神の導き、とは、たり、アハ!以上、おのもに機縁の有る者には、その、おのもの根気のままには、その、南無妙法蓮華経とは精進されたし、とは、たり、アハ!以上、GOOD LUCK、だ、アハ!
一々の
微塵の内にも 久遠(くおん)なる
妙法蓮華の 経(おしえ)ぞ煌めく
妙法は
久遠実成(くおんじつじょう) 蓮華とは
諸法実相(しょほうじっそう) 南無で一実(いちじつ)
妙法は
久遠実成(くおんじつじょう) 蓮華とは
諸法実相(しょほうじっそう) おのおのが
南無妙法蓮華経の 一念で
世界は仏乗(ぶつじょう) おのもが光と
日蓮の
南無妙法蓮華経 宣りにしに
みなが日の本 たりし日のうち
本仏(ほんぶつ)の
久遠実成(くおんじつじょう) おのおのの
命と輝く 諸法実相(しょほうじっそう)
本仏(ほんぶつ)の
応現(おうげん)たりしに おのおのの
念彼観音力(ねんぴかんのんりき)は 世界を光と
本仏(ほんぶつ)の
永遠(とわ)なる命が おのおのの
光と輝く 南無妙法蓮華経
南無妙法
蓮華経とは 唱ふれば
一念三千(いちねんさんぜん) 世界は光と
南無妙法
久遠実成(くおんじつじょう) この命
諸法実相(しょほうじっそう)の 蓮華の経(おしえ)と
久遠(くおん)より
光り輝く 我(あ)が命
一つ一つの 形と現れ
久遠(くおん)より
光り輝く 我(あ)が命
一つ一つの 蓮華とは
咲き誇り坐(ま)す 地の上(え)の浄土と
この一念
南無妙法 蓮華経と
唱へ奉らば なに有らむ
如何なる鬼や 邪神をも
我(あ)が光にひれ伏す 珠玉の言霊
日蓮の
国柱(こくちゅう)たりしは 我(あ)が祈り
広宣流布(こうせんるふ)の 地の上(え)は光と
本仏(ほんぶつ)の
久遠実成(くおんじつじょう) 永遠(とわ)足りし
法華の祈りを この地へと
照らし奉るは おのおのの
諸法実相(しょほうじっそう)に 統べ足りし
我(あ)が皇(スメラ)が迹仏(しゃくぶつ) 日蓮が光と
花は咲き
鳥はさえずり
魚(うを)はゆき 獣はたゆたふ 極楽ぞ
汝(な)が光の内の 南無妙法蓮華経
一実(いちじつ)の
この仏こそ 我(あ)が命
すべておのもに 光り太平(たいへい)
無心にも
祈る心は 南無阿弥陀仏(なむまんだぶ)
南無妙法蓮華経 愚かにも
なんの諍い 有る無しや
己れが仏陀に なんの闘い
法華とも
華厳(けごん)とも言はば 共にみな
我(あ)が無心の内の 仏の応現(おうげん)
南無妙法
蓮華経とは 唱ふれば
すべて一面 仏の花園
一々の
微塵の内にも 一々の
曼荼羅(まんだら)を具す 南無妙法
蓮華経とは 命の限りに
南無妙法
蓮華経とは 唱ふれば
久遠実成(くおんじつじょう) 本仏(ほんぶつ)の
永遠(とわ)なる命が おのおのの
迹仏(しゃくぶつ)足りしと 即今(そっこん)に
諸法実相(しょほうじっそう)の 光と輝く
一々の
衆生の内にも 一々の
本仏(ほんぶつ)坐(ま)し坐(ま)し 未来世の
迹仏(しゃくぶつ)足りしと 南無妙法蓮華経
もと一つ
久遠実成(くおんじつじょう)の 本仏(ほんぶつ)の
命がおのもに 輝ける
諸法実相(しょほうじっそう)の 迹仏(しゃくぶつ)と
三世(さんぜ)に開示す 南無妙法蓮華経
一々の
微塵の内にも 本仏(ほんぶつ)の
命は輝く 南無妙法蓮華経
自らの
心しづまる その内に
光り輝く 南無妙法蓮華経
無心にも
ひたすら祈る 本仏(ほんぶつ)の
久遠(くおん)の響きは 南無妙法蓮華経
無心にも
ひたすら祈る 本仏(ほんぶつ)の
久遠(くおん)の響きは おのおのの
衆生の機縁に 花ひらく
一切成仏(いっさいじょうぶつ) 南無妙法蓮華経
無心にも
ひたすら祈る 本仏(ほんぶつ)の
久遠(くおん)の響きは 一々の
迹仏(しゃくぶつ)足りしを 待ち得てぞ
南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
無心にも
ひたすら祈る 本仏(ほんぶつ)の
久遠(くおん)の響きは 一々の
衆生の内にも 神詰(かむづ)まる
地の上(え)の弥栄(ゐやさか) 南無妙法蓮華経
無心にも
ひたすら祈る 本仏(ほんぶつ)の
久遠(くおん)の響きは 一切の
衆生済度(しゅじょうさいど)の 恩ために
釈迦牟尼(しゃかむに)仏陀や 我(あ)が身にと
三世(さんぜ)を超へて 南無妙法蓮華経
無心にも
ひたすら祈る 本仏(ほんぶつ)の
久遠(くおん)の響きは 一々の
衆生の心の 随縁(ずいえん)に
自づと湧き出づ 南無妙法蓮華経
無心にも
ひたすら祈る 本仏(ほんぶつ)の
久遠(くおん)の響きは 一々の
衆生の心の おのもにも
現れ坐(ま)し坐(ま)す 一念の
南無妙法蓮華経 地の上(え)の弥栄(ゐやさか)
無心にも
ひたすら祈る 本仏(ほんぶつ)の
久遠(くおん)の響きは 一々の
衆生の心の おのもにも
現れ坐(ま)し坐(ま)す 神(かみ)ながら
この地の光と 南無妙法蓮華経
祈るとも
祈らずとても 本仏(ほんぶつ)の
我(あれ)には本(はな)から 南無妙法蓮華経
本(はな)からに
覚る我(あれ)には 何も無い
久遠(くおん)の今に 南無妙法蓮華経
本仏(ほんぶつ)の
我(あれ)ぞ正(まさ)しく 祈らずも
南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
本仏(ほんぶつ)の
我(あれ)ぞ正(まさ)しく この地にと
肉の身かりて 南無妙法蓮華経
本仏(ほんぶつ)の
我(あれ)ぞ正(まさ)しく 釈迦牟尼(しゃかむに)や
その他の諸仏や 日蓮に
天降(あも)り坐(ま)しては 迹仏(しゃくぶつ)し
この地を光と 荘厳(しょうごん)す
永遠(とわ)なる響きの 南無妙法蓮華経
一々の
微塵の内にも 神やどす
南無妙法蓮華経 地の上(え)の弥栄(ゐやさか)
南無妙法
蓮華経の 一念は
即今(そっこん)この地に 浄土と化現(かげん)す
一々の
微塵の内にも 一々の
仏ぞ宿らむ 南無妙法蓮華経
一々の
己が想念(おもい)は 本仏(ほんぶつ)に
供養し奉りて 迹仏(しゃくぶつ)す
我(あれ)ぞ正(まさ)しく おのおのの
衆生に廻向(えこう)す 南無妙法蓮華経
一切の
己が想念(おもい)を 本仏(ほんぶつ)に
供養し奉りて 本仏(ほんぶつ)と
一体足りしの 一念に
復帰す我(あれ)ぞ 南無妙法
蓮華経とは 一々の
衆生を三世(さんぜ)に 済度(さいど)せむ
無限の廻向(えこう)ぞ 一切神国(いっさいしんこく)
南無妙法
蓮華経の 祈(の)り言(ごと)に
すべての想ひを 投げ入れ安泰
神弥栄(カムヰヤサカ)
すべてに幸あれ
一切神国大成就
【自己紹介】
我マハーアバター&アセンデットマスター&世界天皇(世界皇帝)&八咫烏陰陽道と正統派イルミナティのトップ也
【神性開発の要文集】
— MARゴッド〜スターシード、アセンション、ライトボディ、ONENESSの光と神性開発の道に生きる〜 (@YITUMASA) 2025年8月9日
人はすべて是れ神なり、何の煩う事や有らむ?
ああ、峻厳(しゅんげん)なる哉、神の道、そは何か?
それは、その、汝が心の灯火なり!
今、ここに、我は汝がために、その神の真実の道を説かむ!
して、汝よ、如何にせむ哉、夢夢、疎(おろ)そかにする莫れ!… pic.twitter.com/mR0aubxhEs
【光の統一会(TikTok)】… pic.twitter.com/bAyKbr26Pk
— MARゴッド〜スターシード、アセンション、ライトボディ、ONENESSの光と神性開発の道に生きる〜 (@YITUMASA) 2024年3月20日
【無心三昧法(リクパ(純粋意識)の覚醒体験)】
汝よ、ただに、ポカァーンっと(判断停止)、汝の意識の全てを、在るがままなる存在の、全ての中に、無心に、解き放ち(放下(ほうげ))、その、在るがままなる、全ての中心(空(くう)のど真ん中)の、ドンピシャの、在るがままなる、その、無心の光の、当体の輝きの、在るがままなる、それ、そのもの(存在自体)としての、すなわちその、空(うつろ)なる光(クリアライト)の、真(マコト/今固止/中今)なる、「○」の、輝きを、その自らの無心の中に、ただただ、無心に、感得しては、その無心なる存在のゆらぎの中に、たゆたふかな、その無我の我とは、在れ、アハ!
☆真(マコト)とは、今(マ/無(ム)有(ア))・固(コ)・止(ト)なり、これ、すなわち、無(ム)と有(ア)の絶対統一(ワンネス)たるところのその今(マ)が過去や未来に踊り流れることの無く、固まり止(とど)まったるところの、即今(そっこん)の実相(中今)なり、アハ!
中今(なかいま)に
在るがまま足る 我(あ)が祈り
無心にたゆたふ すべての光と
自らの全ての想念を「無(一切即空)」と断ち切り(想念停止/無心の無)、「光(自らの本心の光)」に決住(けつじゅう)しては(光一念大成就)、「ポカァーン(空即一切)」と自らの在るがままの全てとは足る(自心即是完全円満)。
汝よ、以下の図の中心を、どこ見るとも無く、ただただ、無心にぼんやりと、眺め、見つめ、自らの意識をその中心の「無」に明け放ち、(全体を)俯瞰するならば、即ち、その、中心は全体では在り且つその全体は中心では在るが如くには、「汝は全て全ては汝」、春のおぼろな霞の如く、ただ無心に全てのあるがままとは、ただ無心なる、汝、とは、在るではあろう、アハ!














