今晩は、所沢市田中則行です。夕刊フジZAKZAK芸能ニュースにて毎週掲載中の歌姫伝説 中森明菜さんの軌跡と奇跡、久々に配信します。今週は「『ミッドナイト・フライト』から『北ウイング』へ レコーディング重ねて直感力を証明」と題して84年シングル曲『北ウイング』に関連するレコーディングとそのイメージについて述べられました。同シングル曲では4作目の『½の神話』(当初は『不良½』と名付けられました)の時と同様にタイトル変更があったようで、当初は『ミッドナイト・フライト』と名付けられたそうです。

(夕刊フジZAKZAK芸能ニュース・4月20日報道発表)
昭和59年元旦にリリースされた明菜の7枚目シングル曲『北ウイング』の作詞、康珍化氏と作曲、アレンジャーの林哲司氏は明菜自らが指名したコンビである。2人は当時『杉山清貴&オメガトライブ』の作品を手掛けていたこともあり、明菜は作品のイメージについて「オメガトライブのような曲を書いてほしいと言っていたようです」と林氏は明かす。



林氏は明菜の前に聖子のアルバム『Canary』(昭和58年)にも2作品を提供していたが、明菜については「聖子さんと人気を二分するアイドルでしたが、作品としてはどちらかと言うとニューミュージック系のものを求めていたような感じでした。デビュー2年目でしたが、彼女なりのカラーが出始めてきた感じはありましたね。オメガトライブのような作品をよく聴いていたようです。恐らく感覚的に合っていたのかも知れません」



『北ウイング』は当初、タイトルは『ミッドナイト・フライト』だった。それが明菜の考えによって変更された。この変更について、その後『ザ・ベストテン』(TBSテレビ系列)に出演した際、司会の久米宏に尋ねられて語っている。

「色々なタイトルが候補に上がっていて、これではよくないねって言ったんです。詞の中に『北ウイング』と言う言葉があって…。私、松任谷由実さんの『中央フリーウェイ』が好きだったんです」

更にこう続けた。「中央フリーウェイに乗って、実際にそれを見た時は嬉しかったんです。(ですから)もし空港に行って実際に北ウイングがあったら、きっと嬉しいんじゃないかって…」

振り返ってみると、作詞家の付けたタイトルの変更は過去にもあった。売野雅勇氏の付けた『不良½』も『½の神話』に変更されている。

「あの時はNHKの意向で変更された」とは、当時のワーナー・パイオニア(現在のワーナーミュージックジャパン)の邦楽宣伝課の関係者。しかし、売野氏ご自身は変更には「インパクト不足なタイトルになってしまった」と不満を口にした。そうした思いは『ミッドナイト・フライト』と付けた康氏の中にもあったに違いない林氏も「明菜さん本人の意向と言われたら仕方がなかったが、最初は当然タイトルの変更には反対した」。しかしその後、「結果的に『北ウイング』と言うタイトルが多くの人に受け入れられ、成田空港をクローズアップさせ、当時は千葉県の歌のようにも言われました。でも、タイトルで一つのポジションを取るのは重要ですし、印象の残るものとなった訳ですから。やはりこれもアーティストの直感力なのでしょうね」と語っている。

楽曲は依頼からアレンジまで1ヶ月程度掛かったと言う。「曲だけでしたら早かったのですが、アレンジまでやることになっだもので。アレンジまでとなると、コンセプトを含めこの作品が本当に(明菜に)合うのかどうかも考えなければならないのですが、レコーディングではディレクターからスタジオに来ないでくれと言われたんです。明菜さんが神経を使うと言うのが理由のようですがちょっと驚きでしたね」と振り返る。

スタジオで立ち会えない分、作品へのプレッシャーは大きかった。「アレンジのイントロにAメロが入り、空港をイメージした詞になっていたのですが、最初のレコーディングのデモテープを聴いた時は正直不安になる仕上がりでした。僕としては完璧な作品にしたかったので、本当に大丈夫かと…。ところがレコーディングを重ねる毎に見違えるように良くなっていく。とにかく、じわじわとレベルアップして最後は想像以上に完璧な作品となったんです。聖子さんと明菜さんとの違いを言うなら、明菜はスロースターターなアイドルだと思いますね」

(芸能ジャーナリスト 渡邉裕二・談)