今晩は、所沢市田中則行です。夕刊フジZAKZAK芸能ニュースにて毎週掲載中の歌姫伝説 中森明菜さんの軌跡と奇跡、今週も6枚目シングル曲『禁区』に関わる記事で、プロモーション中に思わぬところでぶち当たったその“壁”が述べられました。また同シングル曲のタイトルとその読み方に対し各局アナウンサーやDJがどのように発音するかについての疑問、タイトル紹介とその事態が大きく変わっていたことも述べられています。

(夕刊フジZAKZAK芸能ニュース・2月23日報道発表)


中森明菜6枚目シングル曲『禁区』は昭和58年9月7日に発売された。これによりデビュー前から明菜の楽曲のコンセプトであった『スローモーション』『セカンド・ラブ』『トワイライト~夕暮れ便り~』の“バラード3部曲”、そして『少女A』『½の神話』、そして『禁区』の“ツッパリ3部曲”が完成した。



当時、ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージックジャパン)の邦楽宣伝課で明菜のプロモーターを担当した田中良明氏(現在は「沢里裕二」として作家活動中)は「心のどこかで達成感のようなものを感じました」と振り返る。

「私が担当したプロモーターとして入ったのは『½の神話』からでしたが、明菜は楽曲も含め戦略が徹底していました。とにかく彼女はインパクトが大きかった。それに周りからは、いつの間にか“ポスト(山口)百恵”と言われるようになりましたが、明菜はまだ新人ながら不思議と周りを意識していなかったように思います。勿論我々は常に周りを意識していたのですが…ところが彼女は『自分は自分』と言うスタンスを明確に持っていました。しかも、既にアーティストとしてもボーカリストとしても、どこか異彩を放っていましたから。彼女自身は『少女A』や『½の神話』は好きな作品ではなく、売野(雅勇氏:作曲家)ともあまり会うことがなかったとは聞いていましたが、結果的にこの2つの楽曲パターンを繰り返すことが彼女のアーティスト性にフィットしたのだと思います」

そんな田中氏が『禁区』で今でも思い出に残っているのがラジオ各局のプロモーションであった。

「とにかく各局のアナウンサーやDJから共通して聞かれたのは『このタイトル、どう発音するの?』でした。どうやら日本語にはない語句なので、アナウンサーやDJの発音規定にはないと言うのです」

元々このタイトルは、売野氏が谷村新司さん・堀内孝雄さんらのグループ『アリス』の北京公演で中国を訪れた際に会場先である体育館の裏通路を歩き回っているとドアに大きく記されていた語句であった。売野氏は「禁区」との語句に、これまでにない威圧感を受け「いつか、この言葉を使いたい」と心に温めていたのだった。要するに、日本語より中国語に近いタイトルであったわけだ。

「これが『禁句』であったら発音ができるんですよ」

「でも、それは違うんだよなぁ」

当時、ニッポン放送でパーソナリティーを勤めた湯浅明さんはそう指摘した。楽曲のプロモーションに行った筈が思わぬところで、これまた思わぬ「壁にぶち当たった感じだった」と振り返る。

「正直言って困りましたよ。曲を売り込もうとしていたら、どう発音して紹介したらいいの?ですからね。勿論、曲を流してもらえればいいだけなんですが、ラジオは言葉が重要ですからね。ちゃんとタイトルを紹介してもらわないと困る。『禁句』なら“ク”は下がります。でも『禁区』であるならば“ク”が上がる訳です。で、論議した結果、ラジオ局でタイトルを紹介する場合は、上がるほう…つまり尻上がりでの発音がベストだろうとなったのです」

と言うことで、暫くはその発音でのタイトル紹介をしていたが、ある時事態が大きく変わった。

「明菜自身がテレビの音楽番組で語尾が下がる発音していたんです。いつもタイトルを発声する時は語尾を下げてしまう。結局は本人が発音を意識していないのであればと言うことになったのです。当時はタイトルの発音についても色々と論議しましたが、今ではどちらが正しいのか不明ですね。何れにしても、本人はともかくスタッフは熱くなっていました」



『禁区』は83年9月19日付けのオリコン週間シングルチャートで初登場1位となった

(芸能ジャーナリスト 渡邉裕二・談)