今晩は、のりちゃん本日2回目です。夕刊フジZAKZAK芸能ニュースにて毎週掲載中の歌姫伝説 中森明菜さんの軌跡と奇跡、今週も83年の全国ツアー『Akina Milkyway'83 春の風を感じて』に関する記事が取り上げられています。これに加え、全国ツアーとは別に九州大分県で行われたコンサートで衣装が盗まれると言う思わぬ事件が発生されたことも述べられました。

(夕刊フジZAKZAK芸能ニュース・2月2日報道発表)

※中森明菜さんの画像はイメージです



デビュー2年目のツアー『Akina Milkyway'83 春の風を感じて』は東京都・新宿厚生年金会館から始まり、群馬県・太田市民会館まで全国18都市で全19公演が開催された。


明菜にとっては初の本格的全国ツアーであったが、全会場が即日完売だったそうで「明菜の人気を文字通り誇示するものとなった」(アイドル誌の編集担当者)。

初日の東京都・新宿厚生年金会館でのコンサートに招かれたと言う音楽ライターは「記憶は曖昧」と念を押しながらも振り返ってくれた。

「デビュー当時はノーマークだったと思いますが、ファンからの支持は正直言って目を見張るものがありました。明菜の急成長は、おそらく業界の誰もが驚かされました。それはコンサートを見ても分かりましたね。とにかく会場は声援の嵐で、親衛隊らしきファンも多かったように記憶しています。オープニングが『セカンド・ラブ』で、続いて『少女A』だったと思います。アンコールは『スローモーション』と『少女A』でしたね。初めてのツアーだから当然でしょうが、トークは慣れておらず、たどたどしかったと思いますが、逆にそれがみずみずしさを漂わせていました。インパクトのあるコンサートで今、振り返ってみるとステージ構成も明菜のボーカルを前面に出す内容になっていて、それも戦略だったのかも知れません」

そんなコンサートについて明菜は、雑誌のインタビューで「事務所がアイドルを扱う経験がなかったこともあって、コンサートでは比較的、自由に自分の意見を言うことができたと思っています。ですから、あの頃大好きだったピンク・レディーをキャンペーンで見たこととかを話したりして内容を決めていったりしました」と語ったが、その一方で「母親の存在も大きかったのでは」と音楽関係者は言う。

「今で言う“ステージ・ママ”と違い、寧ろ明菜の相談役と言う感じだったそうです。仕事に対しては事務所やレコード会社を信用していたので、細かいことまで口を出すようなことはなかったと聞いていますが、一方で母親は明菜の性格を見抜いていたので、厳しい半面、とにかく褒めていたと言いますね。明菜は元々褒められると喜ぶ性格だったので、おそらくコンサートも先ずは母親に喜ばれるように頑張っていたのだと思います」



シングル曲『½の神話』(昭和58年2月23日発売)と通算3枚目のアルバム『ファンタジー〈幻想曲〉』(同年3月23日発売)に合わせて、2月27日からスタートした全国ツアーは、次のシングル曲『トワイライト─夕暮れ便り─』の発売後の6月19日まで続いた。

しかし、ツアーとは別に九州・大分県で7月27日に行われたコンサートでは思わぬアクシデントがあった。

コンサートで明菜は終了後も衣装のチェックを欠かさなかったが、その際に何者かに衣装が盗まれてしまったことがあった。当時を知るイベント関係者に聞いた。

「舞台の袖に移動用トラックが横付けされ、衣装も一緒に運び込まれることになっていたのですが、積む前に確認をしたところ6着の内アンコールで使用した1着を残して5着が消えてしまっていたんです。当然、大騒ぎになりました。その後も単発ですが、コンサートがあるわけですから…。予備の衣装があったとしても、精神的に納得したステージができなくなってしまう。明菜のショックは大きく、当時その事を『ザ・ベストテン』(TBSテレビ系列)で話題にしたんです。すると1週間後に3着だったとは思いますが戻ってきたと聞いています。おそらく騒ぎを知って返してきたのでしょうが、当時は今とは違って管理が甘かったことも確かですね」

(芸能ジャーナリスト 渡邉裕二・談)