お早う御座います、所沢市田中則行です。夕刊フジZAKZAK芸能ニュースにて毎週掲載中の歌姫伝説 中森明菜さんの軌跡と奇跡、今週は薬師丸ひろ子さんのパワーに負けた名曲『トワイライト』のことと“ツッパリ3部作”のイメージを覆せずに苦悩された件などが報じられました。
(夕刊フジZAKZAK芸能ニュース・12月22日報道発表)
明菜にとってデビュー2年目の昭和58(1983)年6月1日に発売された『トワイライト~夕暮れ便り~』は周囲の期待とは裏腹にオリコン初登場2位(6月13日付)と言う結果となった。
ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージックジャパン)で明菜の担当となった田中良明氏(現在は「沢里裕二」名義の作家で活動)は「タイミングの問題が大きかった」と振り返る。
タイミングが悪かったとは…。当時を知る音楽関係者が言う。
「明菜の注目度が高かったのは確かですが、薬師丸ひろ子のパワーをやや甘く見ていた。『探偵物語』は薬師丸の2枚目シングルでしたが、角川春樹の制作した主演映画(松田優作さんと共演)の主題歌とあって当時、異常なプロモーション展開でした。盛り上がりは予想を上回り、50万枚を超える予約が殺到し爆発的な大ヒットとなったんです。流石に上昇ムードにあった明菜も敵いませんでした」
薬師丸ひろ子さんの『探偵物語』は映画の興行収入は50億円を超え、シングルも7週連続で1位を独走した。結果、明菜は2位止まりとなり、1位を逃す苦しい結果となった。因みに7週連続1位は、この年6週連続1位となった明菜の『½の神話』を1週上回る記録であった。その後、工藤静香さんの『黄砂に吹かれて』(平成元年)がやはり6週連続に渡って1位となっただけで、薬師丸さんの7週連続の記録は女性ソロアーティストでは未だに破られていない。それだけに田中氏には「この時に1位を取れていたら…」との気持ちが残る。「私自身、明菜のプロモートを単独で担当して初めてのシングルだったので、悔やむ気持ちは持ち続けていますね」(田中氏)
最も『ザ・ベストテン』(TBSテレビ系列)では初登場9位であった(6月16日オンエア)が、その2週後から2週に渡って1位を獲得。司会の黒柳徹子さんから作品について尋ねられた明菜は「(新曲として決まった時は)難しくて、とてもとてもと言ってきたのですが…」と前置きした上で「私は声が低いので、高いところから入るのがとても不安でした。でもとても感情がこもりやすい曲です。私は落ち着いた曲が好きだったので、とても気に入っています」と心情を吐露した。
田中氏の前任で、デビュー前から明菜のプロモートを担当していた富岡信夫氏(現モモアンドグレープスカンパニー代表取締役)は冷静に分析する。
「来生(えつこさんとたかおさん)コンビの“バラード3部作”では一番の名曲だと今でも思っています。ただ明菜には、ちょっと背伸びし過ぎたことが結果的に伸び悩んだ原因かも知れません。当時、『少女A』が100万枚、『セカンド・ラブ』が120万枚、そして『½の神話』が100万枚だったと記憶していますが、それが『トワイライト』は40万~50万枚ぐらいに落ちてしまった。要するに作品としては優れていても、ユーザーの求める明菜の作品とはややかけ離れてしまっていたのかも知れません」
そんな意見のある中、明菜の心情について田中氏は言う。
「マスコミもファンも圧倒的に『少女A』や『½の神話』が“明菜像”だったように思います。そう言った意味もあって“第二の(山口)百恵”の最右翼となったのかも知れませんが、当時の明菜が来生コンビの路線を気に入っていたことは確かです。明菜はその半面、売野雅勇の生み出した『少女A』パターンが自分そのもの人格と誤解されていることを快く思っていなかった。ところがマスコミは逆に同化させようとしたので、宣伝マンとしては正直『ちょっとヤバいかな』って言う思いも抱えていました」
(芸能ジャーナリスト 渡邉裕二・談)