お早う御座います、所沢市田中則行です。夕刊フジZAKZAK芸能ニュースにて毎週掲載中の歌姫伝説 中森明菜さんの軌跡と奇跡、今週は『トワイライト』のセールス伸び悩みと『セカンド・ラブ』ロングセールスの後遺症、3枚目オリジナルアルバム『ファンタジー〈幻想曲〉』のオリコンチャート初登場1位にランキングしたこと等の件が報じられました。

(夕刊フジZAKZAK芸能ニュース・12月15日報道発表)
来生えつこと来生たかおの姉弟コンビによる作品『トワイライト─夕暮れ便り─』はデビュー曲『スローモーション』、第3弾『セカンド・ラブ』に続く所謂“バラード3部作”の完結編として昭和58(1983)年6月1日に発売された。

前作の『½の神話』(昭和58年2月23日発売)、そして続く3枚目のオリジナルアルバム『ファンタジー〈幻想曲〉』(3月23日発売)が立て続けにオリコンチャート初登場1位にランクされた。正に追い風のタイミングでのシングル発売にに業界内での期待度は最高潮に達していた。




ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージックジャパン)で新たに明菜のプロモーターとなった田中良明氏(現在は「沢里裕二」名義で作家活動)は「私が担当になった時はデビュー1年足らずでしたが、社内での彼女は既に“明菜”と言うよりも“明菜様”と言う存在でした」と振り返る。

「『½の神話』は4枚目にして初めて初登場1位に輝き、それも6週間連続1位ににランクされました。その間に発売されたアルバムも4週連続1位と、正に快進撃でした。しかも社内での騒動となった新レコード会社への移籍問題も消滅し、新たなスタッフ編成で挑んだのが『トワイライト』だったので、多少の混乱もありましたがイケイケムードだったと記憶しています。私自身も単独で宣伝を担当する第1弾だったので当然、力が入っていましたよ」

期待と注目の中で発売された『トワイライト』であったが、セールスは伸び悩み、6月13日付オリコンのシングルチャートは1位を逃し初登場2位であった。

田中氏は「正直ショックでした」としながらも「この時期、薬師丸ひろ子さんの主演映画と相まって、主題歌の『探偵物語』がロングセールスを記録していました。改めて思うのは、イケイケだった明菜でも流石に薬師丸さんには及ばなかったと言うこと。所謂ローテーションの1曲と、数年に一度と言うべき大ヒット曲との違いでした。ただ『トワイライト』の評判が高かったのは確かで、ラジオや有線放送で想像以上に露出は稼ぎ、業界内での評価は当時トップを走る松田聖子さんに迫るか並ぶぐらいの勢いでした。明菜には単に数字では評価できないアーティストとしてのオーラのようなものが備わっていました」

一方でマスコミの間で作り上げた「明菜像」があったことも。

「マスコミは圧倒的に売野雅勇さんの生み出したイメージを好んでいたようです。『少女A』『½の神話』は他の歌手のパターンにはなく明菜独自の世界だったので、みんな何処かで“ツッパった明菜”を演出したがっていました。それに来生コンビの作品では『セカンド・ラブ』のインパクトがあまりにも大き過ぎ、ユーザーの中では『トワイライト』が小ぶりに感じたようです。ですから、チャートについては時期的な要因もありましたが、作品的には『セカンド・ラブ』のロングセールスの後遺症が強くあったことは否めませんね」



デビュー前から明菜の宣伝を一手に担いながらも『½の神話』の発売後、新レコード会社『ハミングバード』に転職した富岡信夫氏(現モモアンドグレープスカンパニー代表取締役)は「楽曲に関わっていたので老婆心ながらも気になっていました」とした上で「来生コンビの3部作の中では一番の名曲と今でも思っています。ただ、当時の明菜の作品としては、やや大人びた曲だったことが結果的にユーザーと離れてしまったのかも知れません」と振り返った

(芸能ジャーナリスト 渡邉裕二・談)